【書評】 チャールズ・スペンス/長谷川圭訳(2016)『「おいしさ」の錯覚』角川書店(★★★★★)

 「最新の科学でわかった、美味の真実」と表紙に書いてある。おいしさを科学で解明した書籍(ガストロノフィジクス=美味の科学)。本書のユニークさは、食べ物の味は、舌(味覚)と鼻(嗅覚)だけで決まらないという主張にある。何となくわたしたちが思っていた直感を、科学的に実験とデータで解明した好著である。

 経験的にも、見た目(視覚)が、食べ物の美味しさに影響することはわかっている。しかし、人間の脳が感じる美味しさは、もっと複雑らしい。触覚(手触り)や聴覚(音量や音質)や雰囲気(食事の環境)が、味覚と嗅覚に交互作用を及ぼしている。食べ物の美味しさは、舌と鼻以外の要素が決めている。
 その理由の説明がおもしろい。たとえば、第3章「見た目」では、食物の「形」がおいしさに影響するという例が紹介されている(P.83-85)。原始人は、鋭利な形をした食べ物より、緩やかな曲線をもった食べ物を好んだはず。なぜなら、四角や角のある対象物(牙や槍)に、原始人は何らかの危険のシグナルを感じただろうから。
 緩やかな曲線を持った食べ物が好まれるのは、原始人の経験の名残りである。なるほどと納得してしまった。安全な捕食行動をする人間という観点から、美味しさが説明できるのである。実に示唆的でおもしろい。
 マーケティングの事例が、本書のなかでもいくつか紹介されている。消費者行動論でも、色彩やBGM(売り場で流れている音楽)が買い物行動や商品選択に影響があることが分かっている(カーン&マッカリスター『グローサリー・レボリューション』白桃書房に事例が豊富)。
 
 本書でも、食べる速さがBGMに影響する紹介されている。アップテンポのBGMが流れていると、食べるスピードが加速される。そして、ゆったりとしたクラシック音楽が流れているレストランでは、客単価が高くなるなど。音の大きさも、食事のおいしさに影響する(第4章「音」)。小さい音のほうが、一般的には好まれている。破裂音は、人間の食欲を減退させる傾向がある。
 音と味覚に関して、サクサク感とぱりぱり感がおいしさと関係しているという推論が出てくる。この説明が本書の中でもっとも洞察に満ちている部分である。というのは、焼いたり焙ったりすると、人間にとってたんぱく質や脂質が摂取しやすくなる。つまり、高カロリーで脂質を含んだ美味しいものに変わる。そのことを、原始人は経験的に知っていたのである。
 人間にとって、美味しい食べ物には、良質なたんぱく質や脂質が含まれている。カリカリに焼いたお肉(ソテーや焼き鳥)や、熱い油で揚げてぱりぱりとなった炭水化物(ポテトチップス)は食欲を刺激する。それは、原始人の生活の知恵がもたらしたものである。
 
 後半(P.200~)は、これから読むことになる。第7章「ソーシャルダイニング」や第8章「機内食」の内容はだいたい想像できる。それ以降を読むのも楽しみだ。