「社長はつらいよ」『新潮45』(2017年7月号)

 『新潮45』(2017年7月号)では、オリジナルタイトルが、「社長の”履歴”大研究」という凡庸なものに変更されてしまった。最終校正の段階まで、「社長はつらいよ」だったのにと大いに嘆いたものだった。見出しやリード文、若干の数字や登場人物にも変更がある。V4の途中での文章を掲載する。

 

「社長はつらいよ」『新潮45』2017年7月号( V4:20170507)
 文・法政大学経営大学院 小川孔輔

 *(刊行された原稿は、紙面の関係で短縮されています)

 <社長のしんどさランキング>
 二年ほど前に、大塚家具の父娘(大塚勝久、大塚久美子)による株主議決権争奪戦が、その直後には、ニトリ家具の母子(似鳥昭雄、似鳥みつ子)の確執がメディアを賑わせた。 家具の業界で内輪もめが絶えないのには何か特別な理由でもあるのだろうか。そう思ったものだが、誰が社長の椅子に座るにせよ、社長業はうわべの派手さとは異なり、案外とつらいものにちがいない。
 友人の二代目社長から聞いた「社長のしんどさランキング」という小話をまず披露してみたい。二世経営者のわが友人は、関東でも指折りの進学校の卒業生である。ある日、同窓会のつながりで、知り合いの社長たち3人と会食することがあった。社名を言えば、「ああ、あの会社の」と、顔と名前が一致するくらい有名な社長さんたちばかりである。
 話題は、そのころ新聞紙上を賑わせていた大塚家具の親子ゲンカの話になった。ひとりの社長さん(Aさん)が、わが友人に向って、「2代目と創業者の関係って大変そうだよね。経営方針が違うとケンカになるだろうね」と、同じ災難がわが友人の身の上にも起こりそうだと同情してくれた。Aさん自身は創業者ではないが、自分の代で事業を大きくした「1.5代目」の経営者である。
 その話を聞いていたもうひとりの社長(Bさん)が、二人の会話に割って入った。「いやいやサラリーマン社長はもっと大変よ。だって、株を持っているわけでもなし、部下が先輩だったりして。クビにでもなったらタダの人だし」。Bさんは、大手小売りチェーンの生え抜き社長である。「その点、おふたりはいいよね。創業者だから、何でもできるでしょ。オーナー系の経営者とわたしらサラリーマン社長は立場が全然ちがいますよ」。
 三人の会話に、もうひとりの社長さん(Cさん)が加わってきた。Cさんは、専門店チェーンのベンチャー経営者である。「確かに何でもできるけど。自分ひとりの勘によるものが多くて、マニュアルにはできないし、科学性に欠ける気がしているんだよね」。
 そのあとは、たわいのない会話がしばらく続いたらしい。ということで、その日の会食に参加した4人の結論としては、社長の精神的な大変さ(=しんどさランキング)は、ワーストから順に、①サラリーマン社長、②二代目経営者、③創業経営者と決まりかけていた。ところが、しんどさでワーストになりかけていたBさんが、ふとつぶやいたのだった。
 「いや、もっとなりたくないパターンがあるよ」。残りの三人は、「なに?それって」と顔を見合わせた。「創業者の娘婿が社長になるヤツ。何人かいるけど、あれは大変そうだわ!」。というわけで、この発言で、「社長のつらさ、ワーストランキング」の順番が更新されることになった。
 最後に、わが友人のコメントである。「本当の大変さは、また別のランキングだと思いますがね。先生、くれぐれも匿名でお願しますよ。わたしの友人がまた減っちゃいますから(笑)」。
この話を聞いたわたしは、その場では俎上に乗らなかった5番目のカテゴリーの社長について思いを巡らしていた。プロ経営者の場合は、社長としての大変さの度合いはどうなのだろう。しんどさのランキングでは、どの順番になるのだろうか。

 

 <娘婿社長のパフォーマンスは高い>
 社長には5つのタイプがあることがわかる。①創業経営者、②後継経営者、③サラリーマン経営者、④娘婿の社長、⑤プロ経営者の5つの類型である。そこで、当然のことながらつぎのような疑問がわいてくる。しんどさのランキングは脇に置いておくとして、社長の類型と企業の業績との間には何らかの相関関係があるのだろうか?
 驚くべきことには、この点に関しては、家族経営(ファミリービジネス)について国際的に厚い研究蓄積があることが知られている。 また、皮肉なことには、4人の著名な経営者たちが結論づけた「社長のしんどさのランキング」と、実際の企業の収益性とは逆相関していることがわかっているのである。沈政都准教授(京都産業大学)とウィワッタナカンタン・ユパナ教授(シンガポール国立大学)が実施した「戦後日本のファミリービジネスの業績比較研究」から、その証拠を引用してみることにする。
 上場企業の財務データを詳細に分析したユパナ・沈(2015)の研究によると、戦後日本の経済において、全体の35%を占めるファミリービジネスの業績は、残りの非ファミリービジネスを圧倒していた。家族経営が日本経済に与えた貢献が非常に大きかったのである。それを支えてきたのが、戦後になって自らが会社を興した創業経営者たちであった。ベンチャー経営者のパフォーマンスが高いのは、モチベーションが高く激しい競争を勝ち抜いてきたのだから、当然といえば当然のことである。創業者が経営している会社は、その他の企業に比べてROA(総資産利益率)が平均で6.8%ほど高い。
 ところが、創業経営者群に続いて、④娘婿の社長がそれとほぼ同等の業績を残しているのである。さらには、⑤暫定専門経営者(家族経営を暫定的に引き継ぐ経営者)も、二者よりはややパフォーマンスが落ちるにしても、家族経営に少なからぬ貢献をしているというデータが示されている。二人の研究者の説明は、つぎのようになっている。
「日本のファミリービジネスが良い業績を示している背景には、ファミリービジネスが潜在的に持ちうる弱みを克服する何らかの制度的措置を持っていること、制度的措置として婿養子の習慣とファミリー後継者への橋渡し役をする暫時専門経営者の存在(がある)」(ユパナ・沈、32頁)。

 

 <老舗の経営を支えてきた婿養子の制度>
 日本は世界でもっとも多くの「100年企業」(100年を超えて継承された老舗企業)が存在している国だと言われている。その老舗の継続を支えているのが、世界的に見てもめずらしい「入り婿」の制度である。婿養子の制度は、母系制社会の日本に独特のもので、江戸時代においては、武家に限らず商家や農家においても一般的に行われていた風習である。
 ただし、ひとむかし前とはちがって、妻の実家の会社を継承する場合でも、男性の方は改姓しないケースが増えている。たとえば、日本最大の豆腐メーカー「相模屋食料」(江原家)の鳥越淳司社長(元雪印乳業の営業マン)や子供服の「西松屋チェーン」(茂理家)の大村禎史社長(京都大学卒の技術者)などは、入り婿にならないまま社長に就いている(図表1 代表的な娘婿社長のリスト)。

 

<<図表1 代表的な娘婿社長のリスト>>
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氏 名  会 社  説 明

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鈴木修 スズキ 2代目社長の鈴木俊三氏、修氏ともに娘婿トップ
現在は長男の俊宏氏が社長
野間惟道(これみち) 講談社 父は元陸軍大将・阿南惟幾 急死により、妻の野間佐和子が専業主婦から社長に
槙原稔 三菱商事 妻・喜久子は三菱財閥の祖、岩崎 弥太郎の孫
稔氏は英国生まれ、岩崎家の別邸で育つ
*当時の三菱商事社長の娘婿ではない
捧雄一郎 コメリ 捧 賢一(ささげ けんいち)が創業 雄一郎氏は元通産省官僚 コメリは東証一部上場
鳥越淳司 相模屋食料 元雪印乳業の営業マン 「相模屋食料」(江原家)は日本最大の豆腐メーカー
大村禎史 西松屋 京都大学卒の技術者 西松屋(茂理家)は子供服のチェーン
Greg Penner ウォルマート S. Robson Walton の義理の息子、Sam Waltonの義理の孫
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出典:著者作成

 

 たしかに、娘婿が事業を継承した「娘婿社長の会社」は、研究者が公式データで示しているように、通常の親族継承企業より業績が良いとの印象がある。その理由を、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄准教授(2014)はつぎのように説明している。入山氏の論点を要約すると、
 「同族企業で婿養子が経営する企業の業績がいいのは、(1)創業家が大株主なので、所有と経営の分離による弊害(たとえば、過剰投資やリスクの高い買収)を最小限に抑えることができ、(2)企業と一族を一体としてみなすので、長期的な繁栄を目指す姿勢やビジョンをもって経営のかじ取りをしやすい。この二つは、ファミリービジネスならではの好業績の理由なのだが、それに加えて娘婿が社長になると、(3)資質に劣る経営者が創業家から選ばれてしまうリスクを解消してくれるうえに、婿本人も家族の一族になるので長期的な視点から経営に取り組むことができる」。
 ちなみに、入山准教授は同じ記事で、海外の文献を引用して、女性経営者が親族から経営を引き継ぐ場合の難しさを指摘している。「同族企業の女性経営者は従業員からの反発に合いやすく、また特に父親から経営を引き継ぐよりも、母親から経営を引き継ぐ場合に比較されがちで、トラブルが起きやすい可能性がある」(5頁)。このロジックが大塚家具の不幸な事件をある程度はうまく説明できているようにも思う。
 また、家族経営を暫定的に引き継ぐ経営者のパフォーマンスが高いのは、江戸時代の商家の「大番頭制度」の現代版ともいえるだろう。かつてトヨタ自動車社長を務めた奥田社長や張社長は、ファミリーの長氏である豊田章男社長までのつなぎ役として社長に就任した。進行形の事例では、サントリーの新浪剛史社長や資生堂の魚谷雅彦社長も、創業家ファミリー(佐治・鳥居家、福原家)への大政奉還を前提に社長業を続けている。暫定専門経営者の立場だから、一般的にはパフォーマンスの期待値が高いことになる。さて、数年後の返還時に、実際の結果はどうなるのだろうか?

 

 <異説:なぜ、娘婿は社長業に耐えられるのか?>
 冗談交じりに書きだした「社長はつらいよ」の論考だが、念頭に置いているのは、入り婿になった社長たちのことである。実名を挙げると支障があるので名前は伏せるが、筆者の周囲には、入り婿として有力企業の後継経営者に収まっている友人・知人がかなり多い。だから、事業家としての成功と同族企業に加わったあとで、彼らが個人的に幸せな暮らしを送っているのかどうかについて、いつも気にしながら観察してきたものだ。結論を先に言ってしまえば、友人たちのほとんどは事業家として成功している。
 成功を測る物差しが経済的な豊かさだとすると、婿さんたちは例外なくお金持ちになっている。会社も大きく成長して、企業家としての世間の評価も極めつけに高い。ユパナ・沈の研究論文(1999、2014)に出てくるサンプル企業の一つが彼らの会社である。しかし、これもまた例外なく、自らの後継者の問題では悩みが深そうな様子がうかがえる。なぜなら、自分を除く親族のほぼ全員 が、義父が事業をスタートした時に直面した困難を知らないままに育ってきたからである。
 話が脇道に逸れてしまった。それでは、娘婿が一見つらそうに見える社長業にどうして耐えられるのだろうか?以下の仮説は、科学的に実証されたわけではないが、なんとなくそうではないかという見当がつく。周囲の人物たちを見回してほしい。読者にも思い当たる節はないだろうか?
 筆者の友人で娘婿になった典型は、元官僚か商社マンである。銀行員やメーカー勤務の同級生は皆無である。そういえば地方出身者が多い。学力偏差値は高いが、彼らはそれほど裕福な家庭に育っていたわけではない。それゆえ、都会育ちのエリートたちとはちがう、どこか別の上昇志向を持っていたように思う。
 彼らの思いを一言で表現するとすれば、「自分の力に余るくらい、大きな仕事がしたい!」である。その夢を実現するために、とりあえず大手企業に勤務することになるのだが、社内でその能力が認められても、最初の10年間で与えられる仕事はたかが知れている。その事態に一気にけりをつけられるチャンスが、創業経営者の娘とのお見合いだったりする。あるいは、知らないうちにそんな縁を掴んでいたりする。
 成功した創業者は、たいがい大いなる欠点を抱えている。一般的には、公式的なマネジメントが苦手なことである。ベンチャー気質の経営者が得意なのは、人心掌握と新規事業の創出である。できれば、好きなことだけをやっていたい。そこで、有能なマスオさんの登場となる。ファミリーの一員になってくれた義理の息子は、マネジメントが得意である。官僚組織でそつなく根回しをしたり、大手商社で海外勤務の経験があるから英語でのコミュニケーションも難なくこなせる。
 見合い結婚で運命が変わった婿さんには、大きな仕事を短い時間にやり遂げるチャンスが目の前に転がり込むことになる。娘婿になったおかげで、出世の階段を一足飛びに駆け上がることができたのである。企業経営で目標数字を積み上げていく楽しみなどは、受験勉強と同じだ。あとは、性能のいい自動車を操縦するがごとく、受け継いだ親父のマシンを事故のないように安全に高速運転していくだけ。
 はじめのころは、資金調達や外部組織との交渉事で困難に直面することもある。しかし、親父さんが露払いの役目を買って出てくれるはずだ。実の娘や孫がかわいいから、義理の息子の言うことを、そのうちに納得して聞くようになる。息子のネットワークは、元の職場や友人たちとの大きくて広い外洋へとつながっている。会社のさらなる成長に、その仕組みがそれなりに役に立つことがわかってくる。私生活のほうはさておき、30代後半で跡継ぎとして専務から社長に抜擢される。売上高数百億円から数千億円の優良企業のトップ経営者の地位はそれほど悪くはない。

 

 <プロ経営者受難の時代>
 「逆玉の機会」に恵まれなかった若い野心家たちは、プロ経営者を志向することになる。かつて企業派遣で海外MBAの資格を得た幹部候補生の多くが、帰国後に旧態依然とした組織の中で充分な活躍の場を得られずスピンアウトしたものだった。彼らの向かう先は、ベンチャー経営者か専門経営者としてのいばらの道である(図表2 プロ経営者の一覧表)。

 

 <<図表2 プロ経営者の一覧表(外国人経営者の報酬を含む)>>

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氏名  会社  説 明  直近の報酬

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藤森義明 LIXIL(元) 2011年に日本 GE 社長兼 CEO から LIXIL グループ社長へ中国関連会社の不正で損失、2016年退任 5億2400万円(2016年3月期、業績連動報酬3億円含む)
*業績連動報酬は、2015年4月~2018年3月)の業績に応じた額で、支払は行われていない)
原田泳幸 ベネッセホールディングス(元) アップルコンピューター(日本)社長から日本マクドナルド社長、
2013年ベネッセへ 2年連続最終赤字で2016年退任 マクドナルドから3億3900万円(退職金含む)
ベネッセから2億3400万円(2015年は1億4200万円)
松本晃 カルビー(現) ジョンソン・エンド・ジョンソン(日本)社長から、2008年カルビーの社外取締役,2009年会長兼 CEO 1億400万円
魚谷雅彦 資生堂(現) 2014年 日本コカコーラ会長から資生堂社長 1億2900万円(ストックオプション等も含めて2億3600万円)
新浪剛志 サントリーホールディングス(現) 三菱商事からローソンへ、2002年に社長 2014年に会長就任後、サントリーホールディングス社長 1億9500万円(ローソン会長時)
岩田松雄 スターバックスコーヒージャパン(元) 日本コカ・コーラ ビバレッジサービス常務執行役員、イオンフォレスト(THE BODY SHOP運営)社長、2009年スターバックスコーヒージャパンCEO
2011年に「葉山社長大学」立ち上げ -
ニケシュ・アローラ ソフトバンクグループ(元副社長) Googleの上級副社長から、ソフトバンクグループ副社長.、2016年6月退任 80億4200万円(退職金含む)
*宮内謙現副社長3億1700万円
ジョセフ・マイケル・デピント 米国セブン-イレブン(現) Thornton Oil Corporation上級副社長COO、2002年7-Eleven,Inc.入社、現在セブン&アイ・ホールディングス取締役 21億8700万円
*鈴木敏文前会長は2億8200万円
ロナルド・フィッシャー ソフトバンクグループ(現) Phoenix TechnologiesCEOなどを経て、ソフトバンクグループ取締役 20億9600万円
カルロス・ゴーン 日産自動車(現) 2017年3月末で社長・CEO退任、現在会長 10億7100万円
クリストフ・ウェバー 武田薬品工業(現) グラクソ・スミスクライン バイオロジカルズ社 CEOを経て、2014年から武田薬品工業社長 9億500万円(2015年 5億700万円)

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出典:各社ウェブサイト、東京商工リサーチ「上場企業 役員報酬 1億円以上開示企業調査」などから作成

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 ところが、困難な道を歩んできた元MBAホルダーたちにとって、いまは受難の時代である。代表的なMBA所持者としては、楽天の三木谷浩史社長(日本興業銀行→ハーバード大学→創業)やローソンの玉塚元一会長(旭硝子→日本IBM→サンダーバード国際経営大学院→ファーストリテイリング→リヴァンプ→ローソン)、サントリーの新浪剛史社長(三菱商事→ハーバード大学→ローソン→サントリー)、ディー・エヌ・エーの南場智子会長(マッキンゼー→ハーバード大学→創業)の名前を思い浮かべることができる。
 MBAホルダーではないが、大企業をスピンアウトして専門経営者に転身したエリートたちにとっても、経営環境には極めて厳しいものがある。カルビーの松本晃会長(伊藤忠商事→ジョンソン&ジョンソン→カルビー)や葉山社長大学の岩田松雄氏(日本コカ・コーラ→アトラス→イオンフォレスト(Body Shop)→スターバックスコーヒー・ジャパン→創業)は、困難な事業の立て直しで経営手腕を発揮できた成功者たちである。しかし、創業家にスカウトされた原田泳幸氏(アップルコンピューター日本→日本マクドナルド→ベネッセ)や藤森義明氏(日本GE→LIXIL)は、企業再生の道半ばで退任を余儀なくされている。
 専門経営者のつらさは、別のところにある。それは社内における権力基盤が脆弱なことである。彼らには株式や資本のバックアップがあるわけでもない。頼みの綱は、経営者としての能力と実績だけである。プロ経営者のキャリアは、さながらフリーエージェントで野球チームを渡り歩く大リーガーと同じである。経営の全権を委託してくれる創業家との関係も微妙である。この辺の事情は、最近になってセブン&アイ・ホールディングスの会長を退任することなった鈴木敏文氏の立場と共通するものがある。
 プロ経営者が働く市場環境には、もうひとつ別の問題がある。日本人の専門経営者は、苦労が多そうなわりに、意外なほど報酬が高くないからだ。図表2を見てわかるように、外国人お雇い経営者の報酬は驚くほど高額なのである。例えば、原田泳幸氏が日本マクドナルドから得ていた報酬は3億円強だった。それに対して、孫正義社長の心変わりでソフトバンクを一年半で退くことになったニケシュ・アローラ氏がもらうことになった契約金は165億円である。何の業績も残さずに去っていった外国人に、これほどの法外な報酬を支払ったことを知って、日本人として大いなる屈辱を感じた。
 しかし、冷静に物事を分析してみると、専門経営者の内外報酬格差の背景には、日本的な雇用慣行と年功序列の賃金体系があることがわかる。日産のゴーン社長の報酬は10億円で、トヨタ自動車副社長のルロワ氏は、豊田章男社長の2倍の報酬(7億円)を得ている。日本人経営者の場合は、社長といえども同僚の目(嫉妬心)が光っているからだ。
それなのに、なぜプロ経営者になろうとする日本人ビジネスパーソンが後を絶たないのだろうか?その問いに対する答えは、本論考の最後で述べることにする。

 

 <社長人材の輩出企業グループ>
 ところで、いま現役で活躍している社長の多くを輩出している特定の企業群が存在していることにお気づきだろうか?日本の企業社会では、社長の人材輩出機能を担っている企業グループが4つある。そのカテゴリーを順番に列挙してみよう。有名な経営者を、図表3にリストアップしてみる。
(1)コンサル系の企業グループ
アクセンチュアなどの経営コンサルティング会社は、IT系のベンチャー起業家を多く輩出している。特異な存在としては、人材・メディア会社のリクルートが上げられる。リクルート出身の経営者は、あらゆる業種にその名前が登場する。原則として、リクルートの社員は40歳前に独立することが義務づけられている。多数の社長を創出できているのは、「制度的スピンアウト」という人材流動化のシステムがあるからである。
(2)流通業と飲食チェーンのトップ企業
イトーヨーカ堂グループは、流通業にたくさんの経営幹部を供給してきた(元成城石井の大久保恒夫社長など)。ファーストリテイリングも同様に、社長人材の有力な供給源になっている(ファミリーマート社長の澤田貴司氏、ローソン会長の玉塚元一氏)。同じく社長のプールになっている企業が、日本マクドナルドである。藤田田氏の最大の貢献は、部下の中から多くの飲食チェーンの社長を生み出したことである。
(3)商社系の二社
伊藤忠商事と三菱商事は、プロ経営者の宝庫である。しかも、娘婿あり生え抜きあり、ベンチャー経営者となんでもあり。社長の供給源である。代表的なプレイヤーは、ファーストリテイリング(GU)の柚木治社長(伊藤忠商事出身)など。
(4)メーカーの業界二番手企業
たとえば、トイレタリーメーカーのライオンが典型である。非関連分野で多くの起業家を生みだしている。スピンアウトした元社員には、アスクルの岩田彰一郎社長、プラネットの玉生弘昌社長などがいる。同族企業で業界二番手であることから、組織内昇進の可能性と「温い社風」に限界を感じて外に出たのかもしれない。

 

<<図表3 社長人材を輩出する企業(代表的な経営者)>>
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会社  主な人材

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ライオン

岩田彰一郎(アスクル社長)
玉生弘昌(プラネット会長)
魚谷雅彦(元日本コカ・コーラ社長、資生堂グループ社長)

 

リクルート

村井満(元リクルートキャリア社長、Jリーグチェアマン)
宇野康秀(大阪有線放送社(USEN=父の会社)会長、U-NEXT社長)
杉本哲哉(元マクロミル社長)
佐藤弘志(元ブックオフ社長)

 

日本IBM

玉塚元一(元ファーストリテイリング社長兼COO、元ローソン社長)
新宅正明(元日本オラクル社長)
八剱洋一郎(元AT&Tアジアパシフィック代表、日本テレコム副社長、SAP JAPAN社長)
高柳 肇(元日本ヒューレット・パッカード社長)

 

日本マクドナルド 

村尾泰幸(バーガーキング・ジャパン社長)
友成勇樹(モスダイニング会長)
臼井興胤(コメダ社長)
紫関修(元フレシュネス社長、現ウェンディーズ・ジャパン社長兼傘下のファーストキッチン社長)
興津龍太郎(すき家本部社長)

 

伊藤忠商事 

澤田貴司(元ファーストリテイリング副社長、ファミリーマート社長)
細谷武俊(元アスクル執行役員、SKYグループホールディングス社長(カクヤス、オフィス・デポ・ジャパンなどの持株会社))
深田剛(元フィディック創業社長(現アクリーティブ=東証一部上場)、中小企業の資金繰り支援サービス)
井上直也(マガシーク創業社長=ファッションECサイト運営、マザーズ上場後、NTTドコモグループ会社に(上場廃止))

 

三菱商事 

新浪剛史(元ローソン社長、サントリーホールディングス社長)
安渕聖司(ビザ・ワールドワイド代表取締役・日本マネジャー、元日本GE代表取締役GEキャピタル社長兼CEO)
鳩山玲人(元サンリオ常務取締役、海外事業拡大)
駒村純一(森下仁丹社長)
遠山正道(スマイルズ社長=スープストックトーキョーなどを展開 社内ベンチャーとしてスタート)
矢野莉恵(Material Wrld創業社長=ラグジュアリーファッション下取り、米国起業)

 

楽天

 田中良和(グリー社長)
経沢香保子(元トレンダーズ社長)
サイバーエージェント 白砂晃(フォトクリエイト会長)
村田マリ(iemo元社長=キュレーションサイト運営、DeNA売却後、DeNA執行役員)
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出典:各社ウェブサイトなどから著者作成

 

 <社長業を支えるエコシステム>
 よくしたもので、孤独でつらい社長業を精神的に支えてくれる組織が世の中には存在している。経営塾や異業種交流会など、経営者を理念的に導いてくれる互助的なクラブ組織がそれである。一国の経済や特定の業界が急成長するとき、自然発生的に出現する人的ネットワークのインフラを、筆者は「社長業を支える生態系(エコシステム)」と呼んでいる。
 代表的な例としては、京セラとKDDIの創業者で、破たんしたJALを短期間で見事に再生した稲盛和夫氏が主宰する盛和塾がある。カリスマ経営者をいただく“稲盛教”の信者は、世界中に約1万5千人。これまで300社近くの企業を上場させている。盛和塾は、稲盛氏を頂点にいただく経営者たちの自己啓発システムではあるが、メンバー間の相互交流から新しい事業やビジネスの連携が生まれている。
 また、戦後の日本の流通業界には、チェーン小売業の成長を理論的に指導してきたメンターの渥美俊一氏がいた。2010年に亡くなるまでペガサスクラブを主宰してきた渥美氏は、ダイエーやイオンをはじめとして、日本の大手流通業の約4分の一を直接的に指導している。現在でも、ニトリや西松屋、サイゼリヤやカインズなどは、渥美氏の理念を受け継いでいる。渥美氏の仕事を引き継いだ日本リテイリングセンターの桜井多恵子氏(チーフコンサルタント)から、これらの小売りチェーンは、いまでも経営の技術的な指導や中堅幹部の教育研修などのアドバイスを受けている。
 米国のシリコンバレーにも、ベンチャー起業家たちのエコシステムが存在している。自らが起業で得た資金を、次世代のベンチャーに投資する「エンジェル」たちが、若き起業家を側面から支援するためのエコシステムを組織している。企業家たちが目指すべき方向は、そうした生態系の中で暮らすことで共有され、共通の経営理念や価値観が陶冶される。
 日本では、精神的に支えあう仲間たちがいるという意味で、JC(日本青年会議所)やロータリークラブなども、社長業を支える生態系の一翼を担っているのかもしれない。相互の資金援助や経営幹部の紹介などで、経営者同士の人脈が役立っている様子がうかがえる。

 

 <自己実現として社長業>
 とはいえ、社長業に耐えられる人間は、自分を特別な存在だとは思ってはいないようだ。彼らにとっては、仕事に対するモチベーションは社会的な使命感の一部である。仕事に対する意欲は、ある種の宗教観によって支えられている。だから、頼りになるメンターや仲間がいれば、つらいはずの社長業もそれほどは辛くはない。
 いや、それどころか、「社長業はたいへんですよね」というわたしの問いかけに対して、知り合いの経営者たちからは、「そんなことは思ったことがないです」という返事が返ってくる。この答えは、会社の規模や業種とは関係がない。「社長の仕事?そりゃ楽しくて仕方がないですよ」という反応にはほぼ例外がない。
 その典型例が、友人の玉塚元一氏である。筆者が司会を務めたあるシンポジウムで、パネラーの一人である青山フラワーマーケットの井上英明社長が、玉塚さんに質問を投げかけたことがある。
 井上氏:「玉塚さんは、どうしてそんなにコロコロ会社を変わるのです?いつか『勉強したいから』って言ってたよね」
玉塚さんは、これまで5回の転職を経験している。ちなみに、井上さんと玉塚さんは、トライアスロンの仲間である。
 玉塚氏:「『勉強したい』と言ったかどうかは覚えてない。でも、40代までは、働くうえでいちばんのモチベーションは『成長』だったことはまちがいない。植物は水があり、栄養があり、光があれば、元気で魅力的だ。しかし、近くにビルが建って日が差さなくなれば、枯れてしまう。しかし、人間は自分の足で歩いて、栄養や新しい明かりを求めて、新たな場所へ出て行くことができる。僕は、40代までは、成長する自分がいると感じられさえすれば、どんなに辛くても大丈夫だった」
 玉塚さんにとっては、ユニクロの社長として柳井正会長から叱咤激励されたのも、新浪剛史さんに誘われて立場が難しいローソンの社長に就任したのも、自分が成長するための糧であり、長い成長の道のりの一里塚でしかなかったのである。恐ろしいほど楽観的な向上心と、ふつうでは考えられない前向きな精神構造を有しているからこそ、つらいはずの社長業に何度でも挑戦できたのだろう。