今年30歳になる若者が経営している柴海農園を訪問した。来週(2月2日)、オーガニックスーパー「ビオセボン」の土屋社長をお迎えして、法政大学で「フードマーケティングセミナー」を開催する。代表の徳江倫明さんから、麻布十番の店舗を事前に見学するよう指令が出されていた。
ビオセボンは、イオンが昨年から出店をはじめたオーガニックスーパーだ。フランスの会社との合弁である。
ビオセボン訪問記は、数日前(1月24日)にブログにアップしてある。「フランス流の店舗運営ルールと品揃えの仕方を、日本の消費者に合わせて変えていかないとこの先がないですよ!」と辛口のコメントを残している。単なるマネジメント批判ではなく、将来性がある業態だと思うからだ。
先週の火曜日(1月23日)に店頭で見た「野菜サラダセット」が気になった。「柴海農園」の無農薬・無化学肥料のパック野菜のことだ。ポトフセットも柴海農園のものだった。そういえば、アシスタントの青木恭子から、「柴海さんの農園は、先生のお住いの近くですよ」と知らされていた。圃場がある場所を見ると、千葉県印西市松虫167となっている。
伝説の松虫寺(松虫姫伝説)がある近辺だろう。わが家からは20KMほど先だが、「(幅)100メートル道路」を通れば、ほとんど信号機がない道路が続く広大な大地。農園には20~30分で着くだろう。
どこかの講演会で柴海(しばかい)さんと会話したらしく、青木が名刺のコピーをもっていた。早速、二日前の金曜日に柴海祐也さんの携帯に直接電話してみた。すると、午後には運よく柴海さんの時間をいただけることになった。
松虫のご自宅に午後2時過ぎに伺うことにした。よく聞けば、今年30歳になるピカピカの若者。東京農大(短大)卒の柴海さんは、久松達央さん(久松農園)のブログでわたしのことを知っていた。ときどき、このブログも読んでくれているらしい。話は早い。
わが家から印西松虫までは車で25分だった。しかし、「松虫167」だけではナビでは到達できなかった。周りに目標物が何もないからだ。ひまわり保育園の前から、柴海さんの携帯に電話を入れると、ご本人が保育園まで迎えに来てくださった。軽トラックに案内されて、わが家から30分で目的の場所へ到着した。
目の前にあるのは、築100年以上は経っている瓦屋根の立派な旧家。野菜の仕分け場に使っているのは、トマト農家のご両親が住んでいるご実家の納屋。その場に、パートさんが4人ほど働いていた。全員女性。レストランやスーパーや個人宅配向けの野菜の出荷仕分けをしている。宅配便を使って運んでいるので、物流費は高そうだ。
近所に住んでいる女性のパートさんを10人ほど雇用しているという。ごく最近まで、雇っているパートさんは2~3人だった。畑を担当している正社員さんは二人とのこと。農大で同級生だった奥様は、別に小林牧場の付近で野菜を加工している。名刺の裏に、「甘糀ジャム、各種野菜ジャム、季節のピクルス、野菜パテなどを新商品開発中!」とある。
柴海さんの経歴を簡単に紹介する。
ご実家は、千葉県(旧)印旛郡松虫村にある旧家(現在は、印西市松虫)。戦前は大地主だったらしく、ご本人で16代目だという。柴海家は戦前は落花生を作っていて、父親の代からトマト農家に転業した。先祖代々がチャレンジャーなのだろう。篤農家の家柄で、チャレンジ精神と公徳心に溢れる好青年とわたしは見た。
東京農大を出て3年間は、わたしも行ったことがある国立のレストラン「農家の台所」で商売を学ぶ。最後の方で、銀座店の立ち上げ店長を経験している。いずれは農家の跡取りになるつもりで農大に入ったのだが、「卒業してからのことを考えて、店舗の経験をした」という。準備がよい。
会ったときの第一声が、「わたし農業が好きなんです」。これでやられてしまった。続いて出てきた言葉は、「有機農業は制約が多い分、工夫ができるのでやりがいがあります」。ふつうは、それを「大変、大変」と嘆くものだが、この青年は全く逆のことを言う。
販売先は、このあとに述べる「ビオセボン」の他に、スーパーや都内のレストラン、近所の個人宅配など。ビオセボンに納品するようになったことを機会に、自分で作る野菜だけでなく、周囲の農家と緩く提携して野菜を集荷するようになった。作付けもグループで共通化している。
品ぞろえが偏らないようにするのと、栽培のリスクを考えてのこと。ご自分で60種類の野菜を栽培していても、販路が広がってくると、需要に対応できなくなる。それならば、ローソンファームのように、自身の品ぞろえに協力農家の商品を加えれば、年間の出荷品目で数量・種類とも安定させることができる。
篤農家の血筋なのだろう。技術や種子を共通化していけば、そのままで出荷グループが形成できる。農協が本来は果たすべき役割を、柴海青年がやっていることになる。売上げ3000万円~5000万円の農家が連携すれば、それなりの規模の供給ができるだろう。
小売業やレストランなど、商売相手の売り先も最近ではローカルな出荷を受け入れるようになっている。ローソン(ファーム)やエブリイ(福山市)などはそうした方向に動いている。
ビオセボンとの取引は、去年の6月ごろに話が来たらしい。群馬の「スーパーまるおか」に置いてあった「野菜サラダセット」を見たイオンのバイヤーがコンタクトをとってきたことが始まりだった。当初は、「ディスカウントイメージが強いイオンとの取引はどうかな」と柴海さんは思った。が、「まったく新しい業態なので」と説得されて現在に至っている。
麻布十番店の開店2日間は、自らも店頭に立って野菜サラダセットやポトフセットを売った。サラダセットだけ一日100袋は売れた。自農場産でない野菜も説明すれば売れる感触を得た。「でも、いまの麻布十番店には、料理説明用のPOPが置かれていない」(柴海さん)。販売のチャンスを大幅に失っている。
わたしも同感だ。試食するだけではだめで、オーガニックが定着するまでは、野菜の良さを説明できるマネキンが必要だ。また、店頭からの情報がほしい。消費者がどんなニーズを持っているのか、現状ではイオンからはあまりフィードバックがもらえていない。「かつて働いていた「農家の台所」では、店頭での会話から商品ニーズが把握できた。それが貴重な情報になった」(柴海さん)。
気をつけていることは、鮮度管理。たとえば、集荷後すぐに出荷するようにしている。サラダセット用の袋には、通常の三倍のコストをかけている。農大時代に学んでことなのだろう。おいしく食べるためには、できるだけ早くパックして、早く店頭に届けること。エチレン除去フィルムを採用している。
最後に、風が強い中で印旛日本医大近くにある圃場を案内してもらった。全部で3.5ヘクタール。農地は借りているので、10か所に分かれている。一箇所が30~40アール。50メートルのひと畝で、播種の時期をずらしてそれぞれ一種類の野菜を作っている。土浦にある久松農園でみた風景だ。
多品種少量で希少な野菜を作る。結果としての有機農業。そして、柴海さんは、まちがいのない「力のある野菜」を作るひとだ。白井の自宅で、水曜日の夜、ビオセボンで購入したセットで野菜サラダを食してみた。ぱりぱりでおいしかった。昨夜は、ポトフ用のセットを分解して、カレースープを作ってみた。これもまた、おいしかった。
分けれ際に圃場で、柴海さんから、キャベツの「4回おいしい栽培収穫法」の話を聞いた。8月に定植したキャベツは、11月にふつうに大玉を収穫する。そのあと改植せずにキャベツをそのまま圃場に放置しておく。すると先端に「芽キャベツ」ができる。これをレストランに出荷する。
そこで話は終わらない。そのあと、さらに畑を放置したままにしておくと、今度は収穫後のキャベツから茎が伸びてくる。12月~1月にかけて「茎キャベツ」を収穫する。さらに、春先4月になると花が咲く。これもレストランに納品できる。結局一粒のキャベツを4回使いまわしができるので、一粒のキャベツが500~1000円になる。
柴海流の多品種少量の工夫栽培だ。応用はまだまだあるように思う。こういう若者の仕事ぶりを見ると、日本の農業の未来が明るく感じられる。万事の健闘を祈りたい。