ベトナム視察旅行日記#1:ベトナム琉球文化工芸村@ハノイ郊外

 静岡銀行のベトナム視察旅行で、ハノイに着いた。気温26度。湿度が高いから、30度は越えているように感じる。一昨日までは、38度だったそうだ。亜熱帯モンスーン地域の端っこにいる。ここからすこし南に下れば熱帯になる。



 ハノイの空港に到着してそのまま、ベトナム琉球文化工芸村に直行した。手作り琉球ガラスのベトナム現地工場である。1995年に、沖縄の糸満市にある「シャトーヒルズ株式会社」が、安い労働力を求めて、ベトナムに進出してきた。沖縄から琉球ガラスの技術を移転して、普及価格帯の製品を作り、日本に輸出している。近年は、欧米や東南アジアに販売もしているらしい。

 琉球ガラスは、第二次世界大戦後に、米軍が沖縄に持ち込んだコーラやビールの瓶を加工して始まった新しい産業である。すべて手作りで、光沢のあるガラスの色合いや気泡が美しい芸術作品である。その分、だから工賃も高く、製品単価も高くなる。沖縄の民芸品店では、泡盛を飲むための色グラスが、1200~1800円で売られている。わたしも買ったことがある。

 1995年に、ベトナムに会社を設立。翌年から操業を開始。約600種のガラス製品を、年間300万個ほど生産している。現地工場の直売所(南蛮空間)で売られているガラス製品の価格は、4~8ドル(320~640円)。日本の3分の1の値段である。
 その理由は、現地で働く労働者の最低賃金が、相対的に低いことに由来する。ジェトロの調べによると、年収で約10万円ほどである。賃金が日本でいちばん安いと言われる沖縄(年収240万円)から見ても、約20分の1である。

 約250人が、ガラス工場で働いている。その半分の120人が、工場のガラス製作に携わっている。琉球ガラスの作業工程は、3段階である。吹き出し→仕上げ→除冷。各工程は分業がされている(日本では1人で全工程を担当する)。6~7人がひとつの班をつくって、いずれかの工程を担当する。12班が動いているそうだ。これは、副工場長の仲里守さんから聞いた話である。
 単純に計算すると、ひとりの作業員が、1日80個のガラス製品を生産していることになる(1万個÷120人)。3工程だから、ひとりが触っているガラスは、1日240個。時間あたりでは、30個。そんなものだろう。工場全体では、250人を抱えている。
 視察団のメンバーのひとりが、「最近、沖縄に行くと、琉球ガラスをよく見るようになったからね」と感想をもらしていた。その理由は、このベトナムの量産工場にあったわけだ。工房的に作る沖縄では、1工場で30人が働いているという。

 この先の課題は、二つだろう。ひとつは、賃金の上昇圧力。仲里さんによれば、「進出当初の最低賃金は、月60ドル。それが80ドルになり、3年前には突然、100ドルにと通告された」。日本からの進出企業は、規制や制度の突如の変更に振り回される。
 二番目は、技術移転と品質管理の問題である。名前は忘れたが、もうひとりの説明員のかた(沖縄からは4人が常駐)からは、ベトナム人の意外な側面を聞いた。
 一般に、ベトナム人は手先が器用で勤勉と思われている。しかし、仕事に対する向上心や創意工夫は別なのだそうだ。継続して、品質レベルを維持することがむずかしい。つまり、注意をしていないと、品質が落ちてくる。要するに、ベトナム人は、監視されないと手抜きに走るらしいのだ。また、技術を向上させるモチベーションをもたせることがむずかしい。だから、沖縄人がいつまでも技術指導しつづけなければならないのだ。頭が痛いところではある。

 沖縄の人は、しかし、東南アジアに積極的に出てきている。台湾やインドネシアでも、生産現場に沖縄の花き農協が進出している。地理的な近さと亜熱帯の環境が似ていることだろうか。
 発見をいくつか。ハノイは、町中がバイクだらけだ。ホンダ、川崎、ヤマハ。運転がうまい。街中にカフェが多数。ベトナムはコーヒー豆の世界二番目の産地。フランス統治下にあったから、フランス文化の移植だろう。
 ハノイの町並みは、産業ごとにブロックにわかれている。いわく、秋葉原電気街やかっぱ橋の道具街のように、通りごとにまとまって同業の店が集まっている。ベトナムでは、サングラス街(100軒以上)、絵画街(インテリアアートだけ50軒)。便座街(INAX、TOTOなどの集積50軒)。そういえば、ホーチミンには、花や街があった(200軒以上)なあ。

 本日は、ショッピングセンター巡りになる