「老舗経営に学ぶブランド経営術、虎屋はなぜ和菓子だけで成長できたのか」 『ダイヤモンド・チェーンストア』(2016年12月1日号)

 友人の千田直哉編集長からの依頼だった。12月1日号の特集が「事業創造と再構築」。『先生、虎屋に詳しいでしょ」ということで、「ケーススタディ番外編」を寄稿することに。最初はお断りしていたが、めっぽう珍味に弱い。神保町の上海カニ料理に魅せられ、結局は引き受けさせられてしまった。

 

「老舗経営に学ぶブランド経営術、虎屋はなぜ和菓子だけで成長できたのか」(*註)
『ダイヤモンド・チェーンストア』2016年12月1日号 (最終版:2016年11月)
 法政大学経営大学院 小川孔輔

 

 <リード文>
 日本は、世界の中でも長寿企業が多い国の一つである。とりわけ、食関連の事業分野で老舗ブランドが目立つ。羊羹(ようかん)で有名な和菓子メーカー、虎屋(東京都/黒川博光社長)はその代表的な存在だ。室町時代後期に京都で創業した同社は、今日まで約500年間、和菓子という事業ドメインを変えずに緩やかに成長してきた。本業の商いを変えることなく、なぜ虎屋は繁栄を続けてこられたのだろうか。

 

 <百貨店出店で規模拡大>
 筆者は20年ほど前に、「虎屋が老舗としてこれほど長く続いてきたのはなぜか」という問いを、ある雑誌のインタビューで虎屋の楠野陽専務(当時)に尋ねてみたことがある(『ブレーン』1997年5月号)。楠野氏がそれに対する答えとして挙げたのは、「革新の気風」「人材育成」「お客様第一」といった企業姿勢だった。長きにわたって「虎屋ブランド」を支えてきた具体的な要因は何なのだろうか。
 まずは虎屋の事業概要に触れておこう。
虎屋は東京・赤坂に本社を構え、全国3ヵ所に工場を置いている。東京工場では、生菓子などあまり日持ちのしない商品をつくっている。自動倉庫を持ち、機械化された量産設備が整っている御殿場工場(1993年竣工)では、主力商品の羊羹を生産している。また、京都・八木にも2008年に竣工した工場がある。
 販売店は、首都圏(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県)に49店舗、関西(京都府、大阪府、兵庫県)に11店舗。愛知県に4店舗、その他の地域に16店舗を展開する。海外では1980年にフランスのパリに出店し、今でも営業を続けている。総店舗数は81店舗の上り、売上高は190億円で、業績は順調に伸びている。
 しかし、当初から多店舗展開を図っていたわけではない。
 かつては御所の御用商人であったという成り立ちから、虎屋の顧客は、戦前までは財閥や実業家など一部の人々に限られていた。注文を受けてから生産する方式をとっていたから、店舗を構えて商売を大きくすることをしなかった。むしろ間口を狭めることで、良質な特定顧客の二-ズに応えることが大切だったのだろう。
 そうした時代を経て、現在のような経営規模に成長したきっかけは、百貨店へ出店したことである。ただ、虎屋は老舗和菓子メーカーの中では百貨店への出店を決めたのは遅い方で、1962年の東京・池袋の東武百貨店が初めての百貨店進出であった。出店に踏み切るまで長い時間がかかったのは、派遣する人や商品の供給方法、品質管理の問題などを慎重に検討したからだ。
 もっとも、いったん方針が決まってからの行動は素早かった。その後はさまざまな百貨店から要望を受けて次々と出店している。もし、百貨店への出店を決断していなければ、今日のように虎屋の知名度が格段に上がることはなかっただろう。なお、店舗数は増えているが、虎屋の商品はどこでも買えるわけではない。売れる場所を絞っていることは、老舗ブランドとしてのステータス維持に貢献している。

 

 <時代のトレンドにいち早く対応>
 百貨店の出店のみならず、虎屋の代々の経営者は、時代の趨勢に合わせて新しいことに挑戦してきた。その事例をいくつか紹介してみたい。
 たとえば、1901年に、虎屋は『読売新聞』に粽(ちまき)の広告を出している。いま虎屋文庫に残された資料によると、「ちまき10本が15銭」となっている。明治末期には、羊羹を自転車で配達するサービスを提供したほか、26年に「ホールインワン」という名称のゴルフボールの形をして最中をつくった。新聞広告の出稿、配達サービス、ゴルフボール最中の開発など、虎屋は時代の流行をいち早く取り入れる企業だった。
 伝統を重んじる老舗でありながら、世の中のトレンドに素早く対応する姿勢は、社内の人材育成方法にも垣間見ることができる。虎屋は76年に職能資格等級制度を導入、男女同一賃金を実現し、入社後に学歴による差別を受けることがないようにした。そのほか、80年代前半には、早くも育児休暇制度、海外留学制度など、今日では当たり前になった人材育成のための制度を充実させている。
 現在、虎屋の従業員数は917人で、女子社員の比率が70%を占める。平均年齢は男性が41歳、女性が29歳と非常に若く、男女平均で34.0歳である。老舗と言われているわりに、平均年齢が低いことに驚かされる。しかしそれが、進取の気風と革新的な企業風土を生み出している源泉なのかもしれない。

 

 <安定した需要に恵まれる和菓子の市場>
 古くから続いている老舗には、「本業以外に手を出すな」という家訓をよく見かける。
 虎屋も場合も、地道に菓子づくり一筋で来たことが今日の繁栄を築く基礎になっているが明らかだ。
 また、和菓子の市場規模が約4750億円(「全国和菓子協会」、2015年調べ)で、売上げが上下に激しく動くことがない和菓子市場の特異性も、本業に専念できた理由のひとつである(図表)。
 日本では戦後、一般市民の生活にも洋風化の波が押し寄せたが、そうした中でも和菓子への需要は、実は年率1%程度伸び続けてきた(2000年代からは微減、微増を繰り返している)。誕生日や入学祝い、結婚式の引出物、桃の節句や子供の日など、現代社会においても、生活の節目節目で和菓子は登場する。和菓子は日本人の生活の中に溶け込んでいるのである。
 これに加えて、和菓子の需要が安定しているもう一つの理由が、和菓子が消費者から、ヘルシーな食べ物として捉えられている点である。
 和菓子の原料は、小豆や寒天など植物性のものが中心で、食物繊維も豊富である。また、和菓子は洋菓子に比べて、カロリーが約半分というデータもある。「タニタの摂取カロリー早見表」によると、洋菓子(1人分)は平均300キロカロリー超に対して、和菓子(同)は200キロカロリー弱にとどまる。また、一般的に最中には脂肪分がほとんど含まれていない。
 このように、一見ダウントレンドに思われる和菓子ではあるが、実際には安定した需要と売上を持つカテゴリーなのである。そうした環境下で虎屋は家業を変えることなく、一貫して和菓子メーカーとして発展してきたのである。

 

 <常に変化していながら、老舗としてのイメージを維持>
 とはいえ、和菓子が安定した需要の下、虎屋はまったく変化を遂げていないというわけではない。
 「少し甘く、少し硬く、後味良く」―――。黒川光博社長が表現した自社商品の特徴である。虎屋は今後も、この基本的な味のコンセプトを変えることはないだろう。しかし、具体的な「甘さ」と「硬さ」の表現にはある程度の幅がある。甘みや硬さをつくり出すための製造技術や原材料の調達方法は、試行錯誤のプロセスを通して完成されたものだ。時代の趨勢や嗜好の変化を取り入れ、プロの職人たちが現場で微調整して、最終的に決めている。
 また、虎屋は約3,000種のお菓子があり、ラインナップも変化している。たとえば、毎年新作を発表する御題菓子や干支菓子などのほか、パリや東京にある店のイベントなどでも、新商品を作り出している。また、カフェ事業の「TOARYA CAFÉ」を2003年にスタートするなど、和菓子の販売にとらわれない、新しい試みにも日々チャレンジしている。
 そこで注目すべきは、顧客のニーズに合わせて商品を微妙に変化させていながら、虎屋の持つ老舗としてのイメージは、ずっと変わっていないように見えることである。
 最後に、2015年12月22日、「日経MJヒット塾」の特別セミナーで、17代当主黒川光博社長が述べた言葉を引用しておきたい。
「虎屋はいつも時代に合った商品をつくり、サービスを提供したい。いろいろな変化に対応できるようオープンな、開かれた会社でありたいと思っています。とらや銀座店には昨年4~11月に約3万人のご来店があり、7%が外国のお客様でした。非常に増えています。しかし外国人、日本人と分けては考えていません。「羊羹を世界へ」を実現し、全てのお客様に「おいしい“WAGASHI”を喜んで召し上がって頂くこと」をめざしています」。
 驚くほど革新的な経営を実践しながら、一貫性のある商品イメージを維持する巧みさを、われわれは虎屋のマーケティングから学ぶことができる。

 

 

(*註)本稿は、拙稿(1999)「第1章:老舗ブランドの伝統と革新“虎屋”」小川孔輔(1999)『当世ブランド物語』誠文堂新光社をもとに書き直したものである。原稿を書くにあたっては、(株)虎屋・社長室広報課にお世話になった。

 

 <図表 和菓子の小売市場規模(2000年~2015年)>(省略)