学生読書感想文優秀作品 2名の感想文を掲載する。
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「『コンビニ人間』を読んで」 橋本奈波
今回の読書感想文は、コンビニにまつわる図書4作品から1つ選ぶというもので、私は、第155回芥川賞受賞作の『コンビニ人間』を選びました。私が今まで読んできた本は、専ら大衆文学ばかりで、『カラマーゾフの兄弟』も『わたしを離さないで』も早々と挫折してしまった経験があったので、読書感想文というプレッシャーがあれば読めるのではないかと思い選んだのですが、そんなプレッシャーは全くいらず、あっという間に読破することが出来ました。
小難しい表現は一切なく、主人公にもある程度共感でき、純粋に面白かったです。以下、本作を読んだ感想となります。
まず、なんといっても主人公の古倉恵子という人物、このキャラクターの、悉くズレている感性とシュールな語りがとても面白かったです。幼少期のエピソードだけを見れば、ただのサイコパスなのですが、そんな彼女と真摯に向き合ってくれる家族に義理を感じ、一生懸命、「普通」を周囲から学びとろうとする所を見れば、素直で、健気なようにも思えます。
しかも、合理的、合理的、と言う割に彼女は結構不器用で、コンビニという世界を一歩離れ、プライベートな会話をしてしまうと、途端に設定にボロが出てしまう。バイトの休憩中に読んでいたのですが、堪えきれず吹き出してしまう所がいくつかありました。例えば、コンビニでは、“同じことで怒ると、店員の皆がうれしそうな顔をすると気付”き、“皆が私の怒りを喜んでくれる”と分析し、怒るフリをするという、冴えた学習能力を見せるのですが、きっと何回も色々な人に聞かれているであろう、コンビニで働き続ける理由や、恋愛・結婚をしない理由はきちんと用意せず、基本的に妹から教えて貰ったテンプレートである「身体が弱くて」の一点張り。いやいや、不器用すぎるでしょ!とツッコまずはいられませんでした。
ただ、作者が意図的にそういう人物像にしたのか、無意識なのか分かりませんが、ある意味リアルな設定だなと思いました。なぜなら現実世界でも、「普通」というレールから外れてしまうのは、そして、世界にとって「異質」になってしまうのは、よっぽど鈍感か、少し不器用な人だからです。
古倉恵子という人間は、極端で想像力も欠いていて、到底、自分と似ているとは思えないのですが、この不器用さが、私を含め少なくない読者に、共感を覚えさせているのかなと思いました。
また、本書を読んで、古倉恵子を反面教師に改めて学んだことは、「普通」と「個性」の出し入れが上手く出来るようになることが、社会と上手に付き合っていくコツだということです。
古倉恵子が極端すぎるだけで、そして「普通を装うこと」に酔っているだけで、人間多かれ少なかれ、無意識のうちに、いろんな場面で「普通」を装っている、もしくは「普通じゃない部分」を隠していると思います。ただ、出し入れのうまさにはかなりバラツキがあり、そういう意味で考えると、「普通」ではない人が生き辛いのではなくて、出し入れが下手な人、結局やはり「普通を装えない不器用さ」を持った人が、生き辛いのではないかと感じました。
中学生の同級生に、とっても変わっていて、同級生や教員といった周囲と上手く関われていない子が居たのですが、私はそんな彼女が結構好きで、色々ちょっかいを出していたら、段々打ち解けて来てくれ、周囲ともいい関係を築けるようになっていった、ということがありました。
それでも結局、高校からアメリカへ行ったのですが、彼女の母親が「アメリカに行かせて良かった。彼女に合っているみたいで、落ち着いた」と言っていたという話を耳にして、自分の居場所と言うのは、必ずしも生まれた国だとは限らないということを知りました。彼女も「普通」を装おえない不器用さがあったのかもしれませんが、彼女は生き辛さを抱えたまま生きていくのではなく、諦めずに自分を受け入れてくれる場所を求める勇気があったのだと思います。
私みたいに、「普通」より、「変わっている」方が好きな人も、「普通じゃないこと」を受け入れてくれる人も、世界を見渡せば、たくさん居るだろうし、自分の肌に合った居場所もきっとどこかにあるんじゃないかなと思います。私も、古倉恵子と白羽のように、自分の世界に篭った生き方ではなく、色々な人間と出会い、自分の居場所を探し求める勇気と強さを持たなきゃなと、そんな風に思わされる作品でした。
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「『コンビニ人間』を読んで」 八木悠太郎
物語自体はフィクションであるが、とてもリアルな描写が多く、作者の村田沙耶香さん≒恵子なのでは?と思ってしまいました。私は読みながら、作中に出てくる恵子はとても身近な存在かもしれない感じました。(もちろん近くに赤ちゃんを黙らすために、ナイフを連想するような人はいません。)
それは、私がアルバイトをしているUNIQLOの環境が、「コンビニ人間」を生み出した環境に似ていると、読んでいて思いました。
どこが似ているのかというと、店員一人一人の個性よりも、規律正しい「店員」が求められているところです。恵子は自ら「店員」になり「コンビニ人間」になったが、私は心のどこかでUNIQLOのマニュアルは、半ば強制的に「ユニクロ人間」を作り出そうとしていると感じます。
UNIQLO内でもさまざまなマニュアルが存在します。もちろん店員によって対応が変わってしまっては、クレームへと繋がり問題になってしまいます。それを予防するために、マニュアルは存在しますが、UNIQLOの場合は一言一句までマニュアルで統一されています。シンプルな接客対応であれば、おそらくどの店員が対応しても同じように接客してくれるでしょう。
UNIQLOのマニュアルはとても便利なもので、マニュアル通りの接客をすれば、レジでの金銭授受のミスは無くなるし、試着室での裾上げ、そしてミシンで行うデニムの補正まで、お客様に納得してもらえます。しかし、私たち働いている側からしたら、接客というよりかは作業と同じように感じます。少なくとも、4年目の私からしたらレジで「接客」をしているのか、お客様に対して「作業」をしているのか、よくわからなくなってしまいます。
たとえば、私が就職活動で2~3ヶ月ほど休んで復帰した際に、新しく始まったサービスがあり、新たなマニュアルを読んでから私は売場へ出ました。新サービスへの対応はマニュアルを読んでいたので、卒なくこなすことができました。
今思い返すと、私はこのマニュアルのおかげで、復帰初日から無事に接客ミスをすることなく、復帰することが出来たと思います。しかし、新サービスの「本質」を決して理解していなかったと思います。「本質」を理解しなくても対応できるマニュアルがあったからです。
恵子もこんな感じだったのかと、本を読みながら少しドキッとしました。新サービスの接客をどのようなテンション、表情で行えば良いかは、先に覚えていた他のスタッフの真似をしていたのを思い出し、私も「コンビニ人間」に近づいていたことに気付かされました。さすがに恵子のように、日常にまでは取り入れていませんが…
UNIQLOや他にもマニュアルがしっかりとしている企業は究極を言えば、恵子のような人間を作り出したいのかなと思いました。もちろん業種にもよると思いますが、企業の規律正しい歯車になれば、組織は波風が立つはずありません。
しかし、22年間ほど生きてきましたが、私はこれが正しいとは思わないです。部活動、サークル、そして小川孔輔ゼミナールと数々の組織で、さまざまな人間に出会ってきました。その中で小川孔輔ゼミナール七か条にもある、「個性と協調性を大切にする」この一言に尽きると思いました。マニュアルで生まれた「コンビニ人間」のようなシンプルな歯車より、個性がぶつかり合いながらも、一つのものに収束していったほうが、より素晴らしいものが出来上がると自分の経験が言っています。
恵子のように感情や個性が欠落しているわけでもなく、白羽のように協調性がないわけでもなく、組織の中で個性を協調させながら生きる事の大切さを、この本を読んで再確認する事が出来ました。