当初は、「テレビはどのように見られてきたのか?:テレビ視聴態度の変遷とテレビを“聞く世代”の発見」というタイトルで書いたドラフトである。今月発売の『日経広告研究所報』(2013年10月号)の「アゴラ欄」に掲載されている。
以下のエッセイは、岩崎、八塩、中畑、各氏との共同研究をもとに書かれている。わたし(小川)が、共同研究者たちの一連の論考を再度整理したものである。
「テレビはどのように見られてきたのか?:テレビ視聴態度の変遷とテレビを“聞く世代”の発見」『日経広告研究所報』(2013年10月号)
法政大学大学院イノベーションマネジメント研究科(教授) 小川孔輔
1 受動的視聴対象としてのテレビ
1929年、BBC(英国放送協会)がテレビの実験放送を開始してから、わたしたち人類は、自分たちが撮影した動画を音声とともに遠隔の地で見ることができるようになった。日本でのテレビ実験放送開始は、10年後の1939年である。ただし、日本でテレビ放送が実用に供されるようになるのは、1953年にシャープが国産第1号のテレビ受像機を発売し、NKKがテレビ放送を開始してからのことである。
同年8月に、民間のテレビ放送局(日本テレビ)が放送を開始するが、わたしたち世代が視聴していたテレビ番組は、スポーツ中継(大相撲、プロレス、プロ野球など)が主だった。強力な競合メディアが存在しない時代において、テレビは娯楽の王様であった。子供ながらに覚えているのは、テレビとのはじめての出会いは、駅前の街頭テレビと喫茶店や飲食店が客寄せに使っていたブラウン管式の白黒テレビだった。そして、受像機の値段は非常に高価だった(この項の一部は、「ウイキペディア」による)。
そのような時代において、テレビから得られる情報は「希少」で珍しく、情報コンテンツの需給バランスという観点からは、圧倒的に供給者(テレビ局、広告主、代理店)が優位に立っていた。庶民は、天空から降ってくる電波(番組とCMのセット)をありがたく拝聴する下僕だったと言える。テレビの草創期において、わたしたち世代(~1950年代生まれ=第一世代)は、受け身の態度でテレビに接していたように思う。われわれ世代を、テレビ視聴の「受け身世代」と呼ぶことにしよう。
最初に述べたように、テレビ放送は英国で始まったが、「テレビの視聴研究」もイギリスが起点である。有名な2人の研究者(バーワイズ&エーレンバーグ)は、媒体としてのテレビを「受動的メディア」と特徴づけている(Barwise, P. and A, Ehrenberg (1988), Television and Its Audience , London: Sage Publications: 邦訳:田中義久・伊藤守・小林直毅訳(1990)『テレビ視聴の構造』法政大学出版会)。これは、テレビが置かれていた時代背景によるものだが、テレビという媒体が持っていた特質によるものとも考えられる。ただし、この受動的なメディア特性は、技術的な条件が変化することで大きく変容していくことになる。
2 ザッピング行為と「ながら視聴行動」=落ち着きのない視聴者
テレビを取り巻く状況が変化したのは、日本で言えば1970年代である。地方でもキー局と連携をもつ地方局が増え、マルチチャンネルの時代を迎えていた。経済成長がメーカー間での競争を生み、メーカーは自社ブランドのイメージ強化を企図して、CM制作と放送枠を確保するために大量の資金を投入するようになった。その一方で、放送局間でチャンネル争奪戦が激化したが、受け手側では番組の選択肢が広がったことから、視聴者の「ザッピング行為」が一般することになった。
テレビの視聴態度を変えた技術的な理由としては、チャンネルの切り替え装置としての「リモート・コントローラー」(リモコン)が発明されたことがあげられる。1970年代初めにサンヨーが開発したリモコン(超音波を用いた無線式リモコン)が改良されて、その後は、現在普及している「赤外線方式」が一般するようになった。ソフト(放送局)とハード(リモコン)の両方の面から、視聴者のテレビに対する態度がそれ以前(~1970年代)と比較してずいぶんと「落ち着かない」ものになってしまったのである。
ザッピング行為と同時にテレビ視聴で一般的になったのは、「ながら視聴」という現象である。勉強をしながら、家事をしながら、漫画を見ながら、テレビを見るのは当たり前のことになった。「ながら視聴」の結果でもあり、その原因でもあるのだが、テレビ番組やCMに対する視聴者の態度において、著しい「集中力の低下」が見られるようになった。
ザッピング行為に象徴されるテレビ視聴の「第二世代」(1970年~1980年代前半の生まれ)を、「ザッピング視聴世代」と呼ぶことにする。追い打ちをかけるように、テレビを取り巻くメディア環境が目まぐるしく変化していく。
3 多メディア時代の視聴行動=視聴の分散化と興味の低下
2000年代に入ってからの視聴環境の変化は、「多メディア時代」に突入したことである。多メディア環境とは、地上波放送に加えて、BSデジタル放送やCS放送およびケーブルテレビの加入世帯が増加することである。
多メディア環境に置かれた視聴者の行動についてわれわれが予想したことは、(1)テレビ視聴が分散化するようになることと、(2)テレビ視聴(番組)が細分化されることであった(八塩圭子・岩崎達也・小川孔輔(2008)「多メディア時代のテレビ視聴行動:視聴番組数の増加と視聴行動の計画化・多様化」『法政大学IM研究センター』(ワークキングペーパー)。5年前の調査結果のエッセンをここで紹介しておく。
①年齢が高くなるにしたがって、計画的に視聴する傾向があること。それとは逆に、若年層ほど「非計画視聴」が増えること。
②女性は比較的、テレビに対して高い関与を持ち(女性の半分以上が、「高関与・計画視聴= テレビをよく見る、関心が高い)、男性は比較的、関与が低い(男性の70%が「低関与・非計画視聴」=テレビを見ない、関心がない)こと。
③テレビ視聴に対して高関与で計画視聴の傾向がある人ほど、多メディア化が進んでいる。
以上を要約すると、多メディア時代においては、テレビに関心が高いグループとテレビをほとんど見ない層に視聴グループが大きく分かれていた。一般的な傾向としては、年齢と男女別で大方の傾向は説明できるが、それだけではない要因(非デモグラフィックな要因)がテレビ視聴を決定づけているらしいことがわかったのである。
継続的な調査分析から、われわれ(小川・岩崎)は、そもそも「テレビは本当に見られているのだろうか?」という疑問を持つにいたった。自宅や仕事場にPCが置いてあり、移動中に使用する携帯電話はスマートフォンが主流になった。テレビの情報娯楽メディアとして地位低下は避けられない。にも拘わらず、視聴率の調査データだけをみると、テレビ番組やCMの視聴率が著しく低下しているという証拠はどこにも見当たらない。他方で、一人の人間が情報通信手段に接している時間には限度があるはずである。
こうした謎を解決すべく、われわれの調査チームは、従来のアンケート調査だけではなく、視聴行動を分析するために多様な調査方法を採用することにした。その成果を紹介して本稿を終えることにする(岩崎達也・中畑千弘・小川孔輔(2013)「ソーシャルメディア時代のテレビ視聴~テレビは本当に視られているのか(上・下)」『日経広告研究所報』)。
4 テレビを「聞く世代」(=第3世代)の発見
われわれは、ごく短期間でこれまで4つの調査(「スタディ」と呼ぶ)を実施した。その4つとは、視聴アンケート調査(スタディ1)、テレビ視聴の写真収集(スタディ2)、視聴行動記録(スタディ3)、テレビの視線計測調査(スタディ4)である。調査分析からは、これまで予想してもみなかったテレビ視聴の実態が明らかになった。
最初のふたつのリサーチ(スタディ1&2)からは、やはり若年層ではテレビの相対的地位が低下していることがわかった。ところが、必ずしもテレビの視聴時間は減少しているわけではなかった。調査対象者(学生グル―プ)が提供してくれた写真を確認したところ、テレビ視聴時は情報機器との「同時視聴」が常態であり、PCやスマホの方がテレビよりも視聴者の近くに置かれていた。視聴の仕方も、視聴者がテレビと単独で対面しているのはレアなケースであり、PCやスマホと様々な角度でテレビが置かれていることがわかった(たとえば、「ひねり視聴」「首振り視聴」など)。
それに続くリサーチでは、実際に視聴行動を記録してもらい(スタディ3)、視線計測装置を使って目線の滞留時間を分析した(スタディ4)。テレビ番組やCMを見ている間に、視聴者がどのタイミングでテレビを離れ(アウトフロー)、どのタイミングでテレビに戻ってくるのか(インフロー)を確認した。どちらのスタディにおいても、「音」の役割が重要性であることが検証できた。テレビを離れる主たるきっかけは、携帯電話の着信音だった。テレビに戻るきっかけも、番組内の「笑い声」や派手な「セリフ」、CMソングだった。たしかに、その逆の事例として、最近の広告(2012年の「ユニクロ」の広告)では、「無音」が視聴者の注意を喚起していることに注目が集まっている。
結論である。いまやテレビは「見るメディア」ではなく、「聞く媒体」になっている(テレビを「聞くセグメント」の登場)。また、テレビを見ながら友人・知人と携帯でメールや通話をする「ソーシャル視聴」という現象も確認できた。とくに、ある年齢以下の世代(1980年代後半~生まれ=テレビを「聞く世代」)では、コンテンツの選択の仕方とテレビへの集中の仕方が劇的に変わっていた。クリエイティブの立場からは、音の効果を考えた番組やCM作りが重要であり、視聴者がテレビ画面に目を向けるきっかけなどについてさらに詳しく分析する必要がありそうだった。