ディズニーシーの開園直後に書かれたTDRの誕生物語。著者の自叙伝にもなっている。加賀見氏は、現オリエンタルランド代表取締役会長。初代社長の川崎千春氏と二代目社長の高橋政知氏の下で、東京ディズニーランドの立ち上げに奮闘した。米国ディズニー社との実務交渉の担当者だった。
13年前に書かれた著書である。執筆のきっかけは、「実質的な創業者、高橋政知元社長の急逝だった」と本中で述べられている。東京ディズニーランドの開園20周年のタイミングで、本書は刊行されている。その2年前(2001年)に、東京ディズニーシーが開園していた。
その時点で、「舞浜リゾート」(オリエンタルランドの独自開発コンセプト)は、「東京ディズニーリゾート」(ディズニーブランドを中心に据えて、イクススペリア、アンバサダーホテルなどの施設を含むエリア全体を”ディズニー”のイメージで統一する)とするように、基本開発コンセプトが変更された。
TDRはその後も成長を続けているが、このコンセプトチェンジが、現在のエリア開発と将来の成長戦略に微妙に影響を与えている。加賀見氏ご自身は、埋め立てによって誕生した舞浜エリアを、「ディズニーブランド」で統一することは正しかったと結論づけている。わたしは、そのことによってOLCの経営には、成長機会と同時に事業的な制約が生まれたのではないかと考えている。
日本のテーマパーク(遊園地)の市場で、TDRは来場者数ではいまでも圧倒的なシェアを占めている。1983年の開園からほぼ30年間、無競争の状態が続いてきた。遊園地市場では45%のシェアを占めてきた。ただし、数年前まで経営不振に陥っていたUSJ(ユニバーサルスタジオ・ジャパン)とハウステンボスが入園者を増やしている。
TDRを運営するオリエンタルランド(OLC)の創業は1960年。京成電鉄の子会社だったOLC(いまでも京成は大株主)、テーマパークを開発する会社ではなかった。もともとは浦安の埋め立て地を造成する不動産会社だった。初代社長の川崎千春が、米国視察で見たディズニーランドに魅せられて、日本に誘致したいと考えたことがすべての始まりだった。
苦難の中で1984年にTDLが開園する。そして、1996年に株式公開したオリエンタルランドは、約1400億円の上場資金を調達して、東京ディズニーシーとホテル事業を開発することになる。
本書は、オリエンタルランドの創業(1960年)と舞浜埋め立て地へのディズニーランドの誘致(1984年)、その後の米ディズニー社との交渉の経過を詳細に記述した記録である。もともと社員向けに書き始めたのを、書籍の形にまとめたものである。TDRの事業すべてに関与してきた経営者の肉声でつづらえた『社史』(20年史)として位置づけることもできる。
海外アミューズメント施設のライセンシーとしての奮闘の日々が、淡々と描かれている。加賀見氏の上司だった創業者たち(川崎氏と高橋氏)への愛情を感じる書である。