トヨタ自動車も、マスマーケティング(大衆相手の車づくり)から脱却しようとしている。

 まさかのコラムを読んでしまった。トヨタの車づくりに関する自動車ジャーナリストの文章だ。池田さん。わたしは、「車好き」ではないが、書かれていることには研究者として共感します。効率が良くて儲かる車ではなく、もっと楽しい車を作りましょう。

 記事タイトルは、「トヨタの自己否定と変革への本気度 「世界に通じるクルマ」へ」(11月17日配信)

 この記事は、生産性と効率性の重視、テイスト面で「ど真ん中の顧客」を相手にしてきた、世界のトヨタの自己否定にも見える。もはや量(マス)を追わない作り方をしないと、トヨタには未来がない。
 「実はたいして車が好きではないが、田舎に住んでいるので移動手段として仕方なく車を買っている!」大衆(フォルクス)を相手にしてきた、自身のマーケティングを否定しているではないのか? わたしは、これは望ましいことだと思う。

 以下は、自動車評論家の池田直渡氏の記事である。
 「トヨタが本気で「いいクルマ」をつくるために変革を目指しているように見える」と分析している。

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「トヨタ生産方式」という呪縛

 あなたはトヨタのクルマが好きだろうか? そしてトヨタのクルマが世界一売れていることをどう思っているだろうか?
 上の二つの問いに対してネガティブな答えをする人の気持ちはよく分かる。トヨタはカタログを見れば燃費もパワーも素晴らしいし、ファミリーカーのインテリアに凝らされた小物入れやシートアレンジに対する細やかな気遣いはすごいと思うが、クルマ好きが萌える何がしかの要素が足りない。そう思っているのだと思う。

 振り返ってみれば、トヨタが世界一になった理由は「トヨタ生産方式」という世界の製造業に衝撃を与えた新しい生産方式によるものだ。その理念は「売れた分だけ作る」という極めてシンプルな目標にたどり着くが、それは裏返せば「売れる分以上に作らない」だし「売れない不良品を極限まで減らす」でもある。理念そのものはシンプルでも、やろうと思うと膨大な取り組みが必要で、簡単にできることではない。

 1970年代以降、このシンプルな目標を達成するために、トヨタは知力と汗を振り絞って、ムダを徹底的に排除してきた。そうすることこそ社会的正義だと信じてきたはずだし、資源を浪費しないという意味でもそれは確かに間違っていない。ここまではトヨタの経営について書かれた多くの書籍、それもトヨタ出身者が書いた書籍にさえ書いてあることだから間違ってはいまい。

 ここからはどこの本にも書かれていない筆者の個人的見方だ。トヨタ生産方式の中には「多数派の顧客が理解できない作り込みはしない」という考え方もあるのではないだろうか?

 例えば「G’s」シリーズは、最小限の追加加工でシャシー剛性をぐっと高めたりしている。その勘所の掴み方は見事だ。つまりこれを見る限りトヨタはクルマをもっと良くするノウハウを持ちながら、通常モデルにはそれを投入していない。

 多数派の顧客に評価されないことをするよりも、誰でも分かる売価を下げることを正義としているのではないかと思うのだ。一言で言えばオーバークオリティの抑制である。それ以上を求めるユーザーには、G’sという限定仕様を出して対処する。それがトヨタの答えだったのではないか?

 「世界に通じるもの」が作れるのか
 ところが、数年前はほぼ5割を達成した国内シェアが2014年実績では4割まで落ちてきている。グローバルでは好調なトヨタだが、少なくとも国内マーケットに限って言えば、従来トヨタがターゲットとしていなかった「クルマ好き層」に訴求しなくてはならない状況が現れつつあるように思うのだ。

 そのタイミングでトヨタは自らが変わったという広告をスタートした。http://gazooracing.com/pages/tnga/?ptopid=men

 「TNGA、46のこと」と名付けられたこの広告の動画の冒頭で、トヨタは「世界に通じるものが作れるのか。」「未来に通じるものを作れるのか。」と自らに問いただしている。それはトヨタ自身がこれまでのトヨタ車は「世界に、未来に通じない」という自己否定をしたということである。

 おそらくこの広告プランは社内で物議を醸したことだろう。広告主体がトヨタではなく、トヨタの情報発信サイトであるGAZOOになっているあたりからもそういう軋轢の形跡は見て取れる。多くの先達の成果を否定し、新しい価値を打ち立てることは大きな組織ほど難しい。東芝の一連の隠蔽体質と比べた時、トヨタのこの姿勢の素晴らしさは賞賛に値するだろう。ましてやトヨタの場合は違法行為でも何でもなく、単純にクルマ作りの方針の話なのだ。

 (以下は、テクニカルな話になるので省略します)