「ゆる起業」(退職後の起業)という社会現象を考えてみる

 退職後の起業を「ゆる起業」と呼ぶのだそうだ。定年後の生き方として、自分で起業する中高年者が増えているらしい。『中小企業白書』でもその存在に注目している。日本では中小企業の開業率が低下している。中高年による「ゆる起業」は、開業率の低下を反転させるのに有望かもしれない。



 わたしたちの法政大学経営大学院(イノベーション・マネジメント研究科)には、「MBA特別」というコースがある。一年間でMBA(経営管理修士)の修士号がもらえて、しかも中小企業診断士の二次試験が免除される「おいしい」専門課程である。
 教育内容はきわめてハードなのだが、このプログラムは、かなりの人気課程になっている。2006年に10人クラスではじめて、いまは31人が「MBA特別プログラム」に在籍している。
 本来は二年間で学ぶ内容を、一年間に詰め込んで勉強する。さらには、MBAの取得課程で、同時に「中小企業診断士の実習(診断実習)」までやってしまう。だから、毎年夏くらいになると、入学者約30人のうち数人は、身体的あるいは精神的にきびしくなる学生が出る。結局はほとんどが卒業できるのだが、「日本でいちばんハードなMBAコース」だとわたしは思っている。

 そのきびしい「MBA特別プログラム」に、定年まじかの、あるいは、定年を迎えて第二の人生を歩むために、毎年、数人の中高年がチャレンジしてくる。驚かされるのは、ほぼ全員がMBAと診断士の資格を取得して、一年で卒業していくことである。
 20代~30代の若者の中には、数は多くないが、途中で「診断士資格」のほうは断念して、「MBA取得だけ」で卒業していく学生もいる。ところが、60歳を超えた中高年は、必ずや両方の資格を取得して出ていく。日本の中高年者は、実にたくましいのである。

 彼ら(中高年大学院生)の卒業後の進路は、おおよそ2種類である。
 いちばん数としては多いのが、MBA診断士という資格を活かして、「中小企業向けの経営コンサルタント」として独立するパターンである。『中小企業白書』の執筆者の観点から分類すると、この形態が「ゆる起業」に分類されるのだろうか。
 たしかに、年間260万円の授業料を払えるのだから、彼らは経済的に余裕のある層に属している。貯金と退職金をベースに、自宅を事務所にして起業する。彼らは、決して無理なコンサル案件などはとらない。クライアントも、昔の職場の知り合いや、同級生や友人からの紹介で始める。
 決して、大きく儲けているようには見えない。実際にそうしようとも思ってはいないだろう。だから、しごとに余裕が見える。それでよいのだと思う。小さいけれど、社会的に有意義な仕事をするために、最後の人生を送るスキルを大学院で身に着け、その結果を楽しんでいる。

 二番目のパターンは、実際にそれなりの規模の会社を作ってしまう中高年院生である。これは、事例としてかなり限定される。ただし、このパターンで起業するひとは、社会的に大きな成功を収めている。
 まずは、新(大学院)旧(昔の会社)両方の人脈を使って、自分のアイデアを実現するために仲間を集める。人徳のあるひとだから、周囲の人が寄ってくる。磁力があるので、社会的な信用もあり、そのうちに実績が積み重ねられる。それほどむずかしくなく、「第二の成功者」になってしまう。
 中高年起業での成功は、メディアや大学も広報的に興味深い。成功の話題が拡散して、さらにビジネスの輪が広がっていく。具体的に名前を挙げるとすると、セントラル自動車の元社長で、退職後に大学院(MBA特別)に入学してきた小森治氏(大学院客員教授、2011年~2013年)である。
 「MBA特別プログラム」の卒業生ではないが、経営大学院二期生で、広島県呉市で「社会福祉法人 政樹会」の施設長をしている里村佳子さん(広島国際大学臨床教授、法政大学客員教授)も、”第二種の起業家”の一人である。大学院卒業時(2006年)に従業員14人だった「呉ベタニアホーム」を、2014年現在、社員100人で3か所の介護施設を運営する組織に成長させた。女性の年齢を言っていけないのだが、里村さんは入学時に49歳だった。

 正直に告白すると、経営大学院に中高年学生(>50歳)を受け入れることに、わたしはあまり賛成ではなかった。自分が年寄り(62歳)だからわかるのだが、50歳を過ぎるとほとんどのひとは、頭が固くなって柔軟に発想できなくなる。頑固で環境の変化に対応ができない。
 しかし、最近になってわたしは考え方を変えるようになった。法政大学のイノベーション・マネジメント研究科に入学してくるような「志の高い」中高年は、良質な年寄りたちである。入学後も卒業後も、柔軟に物事に対処してくれるだろう。ときには、小森さんや里村さんのように、人生経験が浅くて未熟な若者に良い影響を与えてくれることも期待できる。
 良質な「ゆる起業家」のプールを作ることは、社会的にも意味があることだと思う。それだからではないが、今後は今まで以上に、入学試験においても中高年受験者には意地悪をしないよう、面接にあたることを誓いたい。