静岡サテライト通信#4: 老舗うなぎ屋、空を飛ぶ

 静岡サテライト滞在中に、必ず行くお店がある。「あなご屋」という名前のうなぎ屋さんだ。静岡の新通りにある老舗のうなぎ屋をさがしてくれたのは、静鉄プレジオのフロントレディ、わがオッキニーの靭矢(うつぼや)さんだ。偶然にも、あなご(うなぎ)とうつぼはどちらも細長い魚類で親戚っぽい。



 過去の訪問記録を検索してみた。
 2012年3月5日に、最後のハーフ(レース距離)になった静岡駿府マラソン(いまは42KM)を走った。ゴールのタイムは、1時間49分。その夕方に、フロントレディの靭矢さんに頼んで、マラソンを走っている最中に見かけたはずの「うなぎ屋」(白地の看板)をさがしてもらった。夕方にたどりついたのが、「あなごや本店」だった。その日のブログには、「生涯で一番おいしいうなぎを食べました」と報告がしてある。
 3年前のことである。その後も静岡を訪れるたびに、あなご屋に立ち寄っている。店主の稲森秀明さんとは、ずいぶん親しくなった。うなぎを食べ終わると、いつも30~40分ほど話し込む。仕事のこと、プライベートのこと、あなご屋の後継者のことなどである。わたしの学校(静岡分校)のことなどもときどき話題になる。
 これまで、たくさんのひとをあなご屋に連れてきた。ABCクッキングスタジオ創業者の志村なるみさん(静岡県藤枝市出身)や法政大学の教職員(静岡大学出身の五月女先生や滝沢課長)、大学院の卒業生(弟子の杉山君や溝口さん)。有無を言わせぬ強制連行だから、もちろん最後の支払いはわたしの役回りだ。
 あなご屋では特別なうなぎを扱っている。だから、値段はちょっと張ってしまうが、それはそれはおいしい。お勧めのうなぎを提供してくれる。

 あなご屋の創業は、文久2年(江戸時代)。浜名湖の付近には、もっと年季が入ったうなぎ屋がありそうだが。あなご屋は、地元静岡ではいちばんに古くて格式がある。145年間も続いている老舗の蒲焼・割烹だ。
 昨日も、店主の稲森さんの奥さんに、「うなぎを提供しているのに、店名が”あなご屋”とはいかに?」とたずねてみた。「当初は、あなごとうなぎを一緒に出していたので」との答えだった。しかし、江戸時代のことである。その言い伝えは本当なのだろうか。ちょっと疑ってしまう(笑)。
 ホームページでメニュー(食材)の欄を見ると、「あなご・うなぎは、あなごや本店の料理食材の基本と成るものです。特にうなぎは地元、国産養殖ブランドうなぎ『共水うなぎ』(大井川共水)、『坂東太郎』(忠平)、5月~11月は利根川産天然うなぎ『坂東新之助』(当店名)を扱い、品質と食の安全にこだわります」とある。
 わたし自身は、これまであなご料理を頼んだことはない。ただし、店名に恥じることなく、材料としてはきちんとあなごは準備してあったのだ。こんど、お店に行って注文してみよう。

 昨日は、授業がはじまる夕方5時に、一年ぶりで稲森さんに会いに行った。めずらしくひつまぶしが食べたかったのだが、本命はすでに昼間の時間帯に売り切れていた。雇っていた職人さんがいなくなって、ご主人がひとりで朝から仕込む。なので、急な注文には応じられない。その代わりに、いつもの「うな重、肝吸いつき」(3700円)を頼んだ。
 うなぎは3種類から選ぶ。わたしはいつも、「大井川共水」という種類のうなぎを選ぶことになる。店主のお勧めだからである。大井川供水は、厳密にいえば、天然のうなぎではない。天然のしらすを、大井川河口の生簀で、天然のえさを使って養殖したうなぎだ。管理が行き届いた環境の中で育つので、かえって天然のものよりおいしくなる。
 以上は、店主の説明である。わかったように書いたが、単なる受け売りである。店主の理論を信じて、いつも共水うなぎに多額の金を支払っている。うなぎは気持ちで食べるものだ。今は暑いからそれでよい。
 
 さて、昨日は、あまり滞在時間に余裕がなかった。静鉄系列のスポーツクラブ「ホーク」でトレッドミルの上を9KMを走ってから、マッサージをしてもらったからだ。もっとも夕方の開店が5時だから、6時半の授業開始にはいずれにしてもぎりぎりである。
 キリンのフリー(アルコールなし)を飲みながら、うな重が出てくるまで30分ほど待った。ほかにも二組、家族連れのグループがいた。ホールは奥様だけだから忙しそうだった。サテライトキャンパスがある「ぺガサート」までタクシーを頼んであった。タクシーは、6時10分に店まで来る。
 おいしいうな重を食べ終わってから、ご主人がわたしのテーブルに現れたのが5時45分ごろ。一年ぶりの会話は、稲森さんの動脈瘤の手術の話からはじまった。今年の2月に、心臓の動脈にステントを入れるため、数週間お店を休業したという。それで、例のうわさの根拠に合点がいった。
 最初の授業日(8月3日)に、静岡サテライトの学生たちにあなご屋の話をした。そうしたところ、複数の院生から「あなご屋は休業になったようですよ」との反応があった。心配になったので、昨日も例によって、靭矢さんからあなご屋に電話を入れてもらった。午後5時からの予約のためである。
 あなご屋の店は閉まっていなかった。廃業のうわさの根源は、ご主人の病気休業だったのだ。
 
 その話を稲森さんにしたら、ご本人はちょっと笑った。それからすぐに、パイロット免許の話になった。
 稲森さんは、パイロットのライセンスを持っている。いや、少し前までは操縦ライセンスを「持っていた」というのが正確である。病気のために、今年になって、ライセンスを返上したのだった。
 「若いころから飛んでいたから、(病気になって)もう十分だとおもったのです」と稲森さん。それに続いて、「先生は、まだ走ってますか?」との質問。わたしはこの年(もうすぐ64歳)になっても、まだ記録にこだわってがんばって走っている。稲森さんが言いたいのは、「それはやり残したことが多いからです」ということらしい。
 「腹八分目がいいんですよ。長生きしたいなら、適当なところでやめておくこと」(稲森さん)
 病気療養明けの人生の先輩に指摘されているのだから、なんか風向きがわるい。わたしの両親は体が頑丈だった。「先生のご先祖様に感謝しなさいよ」が最後のコメントだった。
 
 稲森さんは、20代でパイロットのライセンスを取得していた。3年前にはじめてここを訪れたとき、わたしたち(法政大学)の前々理事会が始めた「理工学部機械工学科航空専修コース」の創設の経緯を話題にした。そのとき、稲森さんが、うなぎ屋の跡継ぎでありながら、趣味で飛行機を操縦していることを知ったのだった。
 前年の2011年1月に、わたしは『しまむらとヤオコー』(小学館)刊行していた。出版直後の書籍を稲森さんに渡したのだが、本中のあるエピソードに稲盛さんは反応した。「ファッションセンターしまむら」の元会長である藤原秀次郎氏が、60代でパイロットのライセンスを取得したことが書いてあったからだった。
 趣味ではじめた飛行機乗りだが、あるとき技を極めようと思った稲森さんは、4年連続で世界チャンピオンになった名人パイロットに師事したことがある。
 「ふつうのパイロットと名人はどこがちがうのですか」とわたしから質問をしてみた。その回答が面白かった。
 「名人は、目の前を見ていないんです。わたしのような凡人のパイロットは、操縦桿を握ることに汲々としているでしょ」
 世界チャンピオンになるようなパイロットは、地上から飛行機が降りてくるのを見ていても、その名人の操縦だとわかるのだという。
 「彼らは、いまではなく、30分後、一時間後の状況を想像しながら操縦しています。いまだけを考えていては美しい飛行はできないんです」

 含蓄のある言葉だった。企業経営や学術的な研究でも同じことだ。いま目の前のことだけを考えている経営者や研究者に、いい仕事ができるわけがない。3年後、5年後の環境をシミュレーションしながら、企業という飛行機の方向を定める。いま吹いている風や、発生したばかりの入道雲の状態を見ていたのでは遅いのである。
 レーダーの先にある乱気流やフォローの風を見るのだ。それにあわせて、自分の飛行機を操ることができるのが名人のパイロットなのだ。「かなわないですよ。われわれには、、、」
 その後の稲森さんは、名人の技能を盗むことができたのだろうか? わたしにその話をしてくれたのは、きっと別に思うところがあったからなのだろう。残念ながら、その先をお互いに語る時間がなくなってしまった。

 6時5分だ。そろそれ短かった会話を閉じなければならない時間だ。フリーを二本飲んだので、お会計は5000円弱。支払いを済ませていると、玄関のガラス戸の向こう側に、タクシーが停まっているのが見えた。
 「少し早いですが、タクシーが来たみたいですよ」と奥様がわたしを呼びに来た。
 稲森さんは、もう少し話したそうだった。でも、授業の開始時刻が迫っている。
 「あと3日あります。静岡にいる間に、もう一回、誰かを連れて来ますよ」
 「(あなご屋閉店の)うわさを心配してきたんですよ」と言ったら、わたしのほうをじっと見ていた稲森さんからは意外な言葉が返ってきた。
 「先生こそ、無理してマラソンを走ってらっしゃるでしょ。しばらくお見えにならないから、もしかしてどこぞで倒れてしまったんじゃないかと、女房と心配していたんです」

 そうだったのか。わたしがあなご屋さんの商売を気にかけている以上に、稲森ご夫妻は、わたしのむちゃくちゃなマラソン行脚を心配してくれていたのだ。どこかで倒れているランナーが、ご夫妻の日々の会話の中に登場していたのだった。
 旅先でたまたま知り合っただけなのだが、稲森さんのような友人との縁に感謝しなくてはと思う。頻繁に会えるわけではないが、互いの生活やときどきやってくる苦境を、遠くで離れて暮らしていながら気にかけている。そうした人たちによって、わたしたちは支えられている。
 あなご屋にはまたすぐにやってくるつもりだが、心臓の病は軽くはなさそうだ。朝早くから、稲森さんはひとりでうなぎをさばいているという。毎日、暑い日が続いている。パイロットの免許を返上して、ゴルフもほどほどらしい。
 まだまだ長生きしてくださいね。あなご屋さんのおいしいうなぎを、もっとたくさんの人に食べてもらいたいから。