ドリカム(吉田美和)の曲に、「うれしはずかし朝帰り」というのがある。ちょっと意味はちがうが、昨夜は、静鉄ホテルプレジオ(駅北)に帰ったのが、深夜の午前2時半だった。めずらしく”午前様”である。静岡での集中授業は3日目。ちょうど中日に当たっていた。少々気が緩んだいたのかもしれない。
集中授業は、21時40分で終わった。定刻の終了である。ラインの無料通話プレートに着信記録が残っていた。
「授業は終わりましたか? 先生を拉致しに来ましたよ」(21時38分)。
元院生の小松みゆきさん(富士の企画旅行会社「レイライン」の女性社長)が、一階のタリーズコーヒーの前でわたしを待ち構えていた。マツダの赤い車を道路わきに停めている。
いつものおなじみで、近くにあるバー「トスカ」に連れて行かれるのかと思っていた。今夜の行き先は、どうやらいつもとはちがうらしい。あのバーのママ、舞子さんのところに行くのならば、彼女はサテライト教室の近くまで歩いてくるはずだ。
そういえば、昼ごろにきたメールでは、「(会社?家?は)富士なんですよ。富士に泊りません。先生、秋田料理、食べません?」とあった。小松さんのご両親のどちらかが秋田の出身だった。新幹線で行くのなら、富士は静岡のつぎになる。富士には、秋田料理の店でもあるのだろうか?
「大丈夫ですよ。先生、ちゃんと静岡に返しますから」
小松さんは、わたしの不安を見透かしている。
わたしを拉致した赤いマツダ車は、東名高速道路に入った。高速道路の右車線の暗がりで、半月が東から上がっていてなんとなく気持ちが悪い。どこに連れて行かれるのだろうか。やはり不安になってくる。
小松さんは、大学院政策創造研究科(法政大学静岡SC第一期生)の元学生で、坂本ゼミに所属していた。杉山君と同じで、マーケティング論の受講生だったが、2年後に定年が来る坂本教授の話題になる。小松さんは行き先を言わない。
富士のインターチェンジを降りて、マツダ車は小高い丘の道を海側に走っていく。あたりは真っ暗闇だが、眼下には富士の町の灯りがともっている。そこだけは夜景がきれいだ。
左折して富士川を渡る。市街地に入って、小松さんは、運転しながら携帯を取り出した。危ないなあ。誰か男性の声がする。
「事務所の電気を消しておいてね」と、小松さんがその男性に指示している。
マツダ車は、狭い通りの脇に止まった。「ここがわが社です」(小松さん)。やはり行き先は会社だったのか。
そのとたんに、事務所の明かりが消えて、社員らしき男子が車に乗り込んできた。
「はじめまして、坂間です」。
鈍いわたしでも、なんとなく事態が飲み込めた。この43歳の男性は、わたしを静岡に送り届ける”係り”なのだろう。いままで残業していたので、社長につかまって、「先生の輸送係」の特命を仰せつかったのだった。「レイライン、ゼネラルマネジャー」の名刺を坂間さんからいただいた。
後部座席にGMを乗せたマツダ車は、狭い路地に入ってスナックらしき前にとまった。店の看板には、「タイガー」とある。
「両親がやっている店です」と小松さん。やっと終着点がどこだったのが、納得ができた。
カラオケもあるスナック風の店に入ると、カウンターに妙齢の女性が立っていた。小松さんの母親だった。タイガーのママさんでだった。料理人が、父上だった。
「森吉の出身なのです」とお母さんが、旦那さんの出身地を紹介してくれた。わたしが秋田の出身だと、小松さんがご両親に説明してくれていたからだろう。大きなダムがある森吉町は、いまは北秋田市になっている。
「秋田にありがちな、”桜田”さんよ」と小松さん。
元歌手の桜田淳子は秋田の出身だが、桜田はそうそうたくさん秋田にいる名前でもない。
ひとしきりお互いの紹介がすんで、目の前に「秋田料理」が出はじめた。
お通しは、鰹節にモロヘイヤ。それと、いぶりがっこ(おしんこ)。懐かしいメニューだ。昨日はブログを書くのに忙しくて、夕飯が取れていなかった。おなかが空いているので、ビールのまわりが早い。
わたしたち3人以外は、カウンターの客が二組、フロアには一組。10時半を回っているから、タイガーは空いている。
そのうちに、小松さんが冷えた日本酒を冷蔵庫から取り出してきた。銘柄は、大吟醸の「北秋田」。先月、秋田森のテラス(北秋田市、桂瀬)に行ったときに、どこかのお店で見たブランドだ。
黒はんぺんとイカのフライが出てきた。小松さんが自慢するだけあって、料理人の腕がよい。そして、秋田の酒はやはりうまい。
ちなみに、運転手になるはずの坂間マネージャーは、ウーロン茶で過ごしている。学校時代は、バスケットボールのプレイヤーだった。私の出身地を知ると、かならず能代工業の話になる。
そのあとは何をしゃべったのか、あまり覚えていない。小松さんから、おちょこにどんどん北秋田が注いでくれる。わたしもご返杯はするのだが、そのペースがだんだんわからなくなった。
ふたりとも、ずいぶん酔っ払っぱらったころに、秋田名物の稲庭うどんがでてきた。
「11月すぎたら、比内鶏のきりたんぽが出るんだけどね」
お母さんは、いかにも残念そうに話す。カウンターの中で堂々としている。押し出しが強いところなど、小松さんはお母さん似だ。それに対して、料理人の父親は、どことなく木こりの横顔をしている。きこりは、森の香りがするものだ。
ひさしぶりに、わたしはお父さんとは秋田弁で話した。「がっこ(おしんこ)、ちゃっこ(おちゃ)」の世界である。
帰り際に、「あきた小町、もってきます?」と小松さんが気をまわしてくれた。わたしが秋田の出身だと知って、いつか千葉の自宅に送ってくれたことがあったからだ。
「いまは静岡のホテルにいるので」と、お米の申し出は今回は辞退した。
あさりの味噌汁だが出てきたころ、時計はすでに1時を回っていた。深夜のスナックタイムだ。わたしたちふたりは、帰り支度を始めねばならない。坂間さんは、自宅が静岡市内らしかった。
そのあと、東名高速道路に乗ったはずだが、静岡のホテルまでの記憶がほとんどない。坂間さんがひとりで運転してくれていたのだろう。申し訳がなかった。
また、懲りずにお付き合いを。小松さん、坂間さん。そして、11月になったら、富士のスナック・タイガーに、きりたんぽ鍋を食べに来ますね。桜田さんご夫婦は、仲がよさそうだ。堂々の静岡女に、寡黙な秋田男。いつも東北の男子は、遺伝子的に劣性だ。そうそう、わが家も、江戸女に秋田男の組み合わせだ。