【お知らせ】本日(7月13日)発売の『プレジデント』に、拙稿「マクドナルド凋落の元凶がついにわかった」が

 掲載されています。マクドナルドの話は、これでほとんどの新聞・雑誌に記事やインタビューの形で登場しました。来週は、東京新聞に掲載されますが、これにて一応のラウンドは終わりと考えています。論点はほぼ出尽くしたように思います。



  二〇一五年二月に発表された日本マクドナルドホールディングスの一四年一二月期連結決算は、全店売上高が前年比一二%減の四四六三億円、最終損益は二一八億円の赤字だった。同社の経常赤字は四一年ぶりで、二〇〇一年の上場以降では初となる。
同社では赤字転落の原因を「消費期限切れ鶏肉使用問題の影響」としているが、それだけが原因ではないことは明らかだ。
前一三年一二月期決算でも営業利益は前年比五四%減の一一五億円、売上高は一二%減の二六〇四億円で、この時点ですでに二年連続の減収減益だった。三期連続減収減益、上場以来初の赤字転落という極度の不振に陥った根本の原因は、辞任した原田泳幸前社長(現ベネッセホールディングス会長兼社長)時代にある。
 日本マクドナルドは一九七一年、米国マクドナルドよりフランチャイズ権を獲得した藤田田により設立された。以後、急成長を続け、八二年には全店売上高七〇三億円で外食産業トップとなっている。
藤田時代の経営の成功要因は、要約すれば「時代の趨勢」である。高度成長の最中であり、人々は米国文化に憧れていた。しかし藤田は、米国で成功した手法をそのままコピーするのではなく、日本の事情に合わせてローカライズした。たとえば一号店出店では、郊外での出店を指示するアメリカ本社の意向に同意せず、流行の発信地である銀座を選んだ。それによりハンバーガーという日常食を、プレミアム商品として位置づけることに成功した。
 チェーン経営においても、フランチャイズ店中心の米国とは路線を違え、直営店中心のレギュラーチェーンを展開した。ハンバーガー大学を設立して人材を育て、子飼いの社員たちをチェーン店の店長に据え、家族的な経営を行った。九五年に初の減益を経験すると、経営戦略を価格を下げ、地方や小都市にまで店舗を展開する、ペネトレーションに変更。売上高を倍増させ、〇一年にはJASDACへの上場を果たす。
 〇二年に藤田が社長を辞任すると、日本マクドナルドは売上高、経常利益ともに大幅なマイナスに陥る。〇四年、業績悪化を受けて、アップルコンピューター出身の原田泳幸が新たなCEOに就任した。

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