デザインの身体性(補足)

 昨日の書評(川島蓉子著)の補足である。クリエイターのみなさん(佐藤さん、和田さん)と増田さん(CCC社長)に特徴的なのは、デザインを手で描くことにこだわっている点である。和田さんは、車をデザインでするとき、CAD,CAMは使うが、モックアップ(原寸大模型)も作ってみると言っていた。



 現物(モノ)へのこだわりが、デザインの本質ではないかと思う。実体(タンジブルなモノ)に触れてみなければ、良いデザインができない。いわゆる、身体性がデザインを決めるのだ。手や足や目や耳を動かして、つまり四肢と五感を使って対象物(ビジョン)は設計される。
 このことは、製造業におけるモノづくりでは基本中の基本だが、デザインもその例外ではない。デザインをするという行為は、単に情報操作(コンピュータ)によって、素材を情報的に組み合わせることではない。その本質は、身体を使って素材に触ってみることである。だから、デザインには触知性(対象物に触れてみる行為)が必要になる。
 CAD・CAM(キャド・キャム)だけでは、すばらしいデザインに仕上がらないのは、そのようなデザインの身体的な特性から来ていると考える。

 岡藤さんが、伊藤忠商事の社長になったいまでも、百貨店など店舗の現場に足しげく通っているのは、経営が身体的な行為だからだ。経営をすること(組織や目標のデザイン)には、素材が必要である。そうなのだが、それは部下が集めてくる市場データや財務数値では事が足りない。現場に足を運んで、店の空気に触れて、顧客の顔を見なければ、経営のデザインなどできるわけがない。
 小売業の経営者が、現場・現場・現場というのもそこから来ている。市場の空気感が経営をデザインさせるのだ。わたしたち研究者も同様だ。わたしの分野では、街歩きから理論が創られる。現場感覚がないリサーチは、頭でっかちで無味乾燥でリアリティに欠ける。
 先行研究のレビューも大切だが、思考の種子は現場にある。だから、リサーチのデザインもきわめて身体的な行為になる。現代経営学の父、ピーター・ドラッカーも頭だけで理論を考えていたとは思えない。彼の経営学の体系は、経営者との会話や工場を散策することから生まれている。
 後世に残る立派なデザインや壮大な経営ビジョンは、歩きながら生まれているものなのではなかろうか。