二週間前、法政大学イノベーションマネジメント研究センターの歓送会(宇田川勝先生)で、著者の西尾先生にお会いした。その場で、2012年に出版された『舞妓の言葉:京都花街、人育ての極意』(東京経済新報社)をサイン入りでいただいた。
西尾先生は、京都女子大の准教授で、現代社会学部では組織論や社会学などを教えていらっしゃる。わが娘(知海)は京都女子大の卒業生で、そのまま京都に住みついてしまっている。駅前のホテルに勤めていて、だんだん京都言葉を話すようになった。
多少の違和感はあるが、生活のフランチャイズがその人の言語体系を支配するのは致し方がない。その意味では、標準語や秋田弁は、劣性の言語システムだと得度してしまう。
長男夫婦も、船橋出身だったのが、神戸に住んでいる。保育園に通っている孫は、いまや関西弁をしゃべくっている。
京都の芸舞妓さんたちは、伝統的な京言葉を話す。当り前だが、舞妓さんにあこがれて京都に来るのは、必ずしも京都(関西)の出身者とばかりではないだろう。わが娘のように、関東地方から中学を出て置屋さんに入る子もいるだろう。それが、一年で舞妓さんとしてデビューするのだから、その訓練システムはものすごくよくできているにちがいない。
そのキャリア形成と適応のプロセスを、本書では「京言葉」を通して描いている。舞妓さんのキャリアは、「仕込さん」(第一章)からはじまり、「見習いさん」(第二章)を経て、「出たて(の舞妓さん)」(第三章)として花街にデビューする。「舞妓の社長(最上位)」(第6章)から「衿替え」(第7章)で、独立した芸妓さんになると、上りになる。
そこまでは、ほぼ3~4年。修業の期間は意外に短い。そのあとのキャリアはどうなるのだろうか?気になるので、西尾先生に頼んで、京都花街にて宴席を設けてもらうことにしようか。
芸舞妓さんたちのキャリア形成を知って、すぐに思い浮かんだのは、「劇団四季」と「宝塚劇団」だった。劇団四季は、教育システムがちょっと違うかもしれない。
舞妓さんの世界は、なんとなくだが、むしろ宝塚歌劇の育成システムに似ている気がする。しつけや言葉遣い、団員の上下関係など、舞妓さんの世界は宝塚的だ。舞妓さんが芸妓さんとして独り立ちする姿もよく似てみえる。卒業があるのも、それとなく宝塚みたいだ。
違いはなんだろうか?踊りの披露は同じなのだが、舞台の大小が違っている。そして、小さな舞台(御茶屋さん)では、舞妓さんはお客と直接の接触がある。宝塚には、直接のおもてなし(ホスピタリティ)はない。置屋さんの場合、サービスは個別的である。
ちょっと気になったのは、舞妓さんの育成にかかる費用面のことだ。お稽古ごとに衣装代、これだけの育成プロセスをすべてまかなうためには、すいぶんとお金がかかるはずだ。それは、どこのだれが負担するのだろうか?お相撲さんの世界のように、「谷町筋」がいるのだろうか。
特別にはいないのだとしたら、回収のビジネスモデルが知りたいと思うのは、わたしがマーケティングの研究者だからだろうか。本書を読んで、そこまで気になるひとは少ないのだろう。西尾先生に聞いてみたい気がする。
京都でお茶屋さんを楽しむには、この手の疑問は、きっと無粋な質問なのだろう。