「マクドナルドの時代は終わった(復活原稿#1): ふたつの東京オリンピック、日本の食文化史上の意味」

 拙著『マクドナルド 失敗の本質』は、180頁の書籍として出版されたが、初稿は280頁から構成されていた。原稿を80頁ほど削ったのは、短縮して読みやすくするためである。それと、エビデンス(根拠となるデータ)が十分でない場合、エピソードや仮説は編集段階で採用してもらえなかった。



 しかし、消えてしまった挿話に真実が隠されていたり、怪しげだが面白いエピソードがその中には含まれていた。そこで、本日から数回にわたって、マック本から”消されてしまった”部分原稿を復活したいと思う。
 第一回は、ほぼ一年前の2014年3月1日に、【不定期連載】「マクドナルドの時代は終わった(#7)」として、執筆された「ふたつの東京オリンピック、食文化史上の意味」である。
 少しだけ手をいれて、復活することにしたい。マック本を書きたかった大きな動機の一つである。

 
(復活原稿#1)「ふたつの東京オリンピック、食文化史上の意味」

 小学校6年生のとき、第一回の東京オリンピックが開催された。いまから50年前の1964年のことである。子供ながらに当時の熱狂を覚えている。そして、第二回の東京オリンピックが2020年に開催されることが決まった。ふたつの東京オリンピックを56年の歳月が隔てている。その間に日本も世界も大きく変わった。
 
  戦前にも、幻の東京オリンピックが計画されていたらしい。しかし、予定されていたアジアではじめてのスポーツの祭典は、太平洋戦争の勃発で中止になっている。東京は、日本経済の復興を旗印に掲げて、戦後すぐに再度のオリンピック誘致に挑戦することになる。無謀を着想したのはどこの誰だったのだろう。
  米国を中心として、世界は廃墟から立ち上がろうとしていた日本を応援してくれた。いまからは考えらえないくらい寛容な時代の雰囲気である。

  第一回東京オリンピックが開催されたのが1964年。東京が太平洋戦争で焼け野原になってから19年後のことである。貧しいなりに、日本人の生活スタイルが米国化されはじめていた時期である。進駐軍がもたらした米国の食文化の象徴は、パンとチョコレートだった。
  少なくとも、テレビや映画、書籍(『リーダーズダイジェスト』)を通して感じる米国人の生活様式は、すばらしく羨ましかった。地方都市に住んでいた日本人の小学生にとって、あこがれの米国のシンボルは、パンとケーキ、マーガリンと牛乳とチョコレートとコーラだった。
  忘れはしない。学校給食でいやいや飲まされた「脱脂粉乳」は、米国人が摂取する牛乳やバターなど乳製品の残滓だったことだ。個人的な話で恐縮だが、わたしは牛乳とパンが嫌いである。そうなってしまったのは、鼻をつままないと飲めなかった脱脂粉乳と、翌日になると石のように固くなっている給食のコッペパンのせいだったと思う。このコッペパンを「剣」に見立てて、教室内で友達とちゃんばらでふざけっこしたものだ。
 
  ちびで虚弱だが、生意気な児童だった。先生からすれば、悪意があっての強制ではなかっただろう。しかし、所詮はわがままな呉服屋のボンボンである。脱脂粉乳を飲み込めずになんども嘔吐した。パンは知らぬふりをしてごみ箱に捨てた。女性教師は、呆れ顔でそんな鼻たれ小僧を見ていたと思う。
  考えてみるがよい。いやなものに毎日のように向き合わざるをえない小学生の直感は、「何かがおかしい」と感じていた。こんなまずいものを食べさせられるのは、大人たちの世界で何か特別な事情があるにちがいない。
  大学生になって「本物の世界史」を学ぶようになってから、「学校給食の真実」がわかるようになった。子供の直感は正しかった。1971年、東京銀座三越の1Fに、マクドナルドの一号店ができた。まさにその時である。

  わたしが小学生のころ、全国的に学校給食の制度がはじまった。日本は貧しかったので、子供たちの栄養状態を改善しなければならないというのが表向きの理由である。
  もちろんその通りではあるのだが、1960年代は、米国の農業部門が過剰な農畜産物を抱えていた時代でもあった。とりわけ小麦粉と牛乳(脱脂粉乳)、そしてジャガイモとトウモロコシが過剰だった。そのはけ口(アウトレット)として、人口が爆発的に伸びているアジアの敗戦国、米国の言いなりにならざるを得ない日本がターゲットとして選ばれるのは自然な成り行きである。
  戦後の日本において、「食の洋風化」は自然に起こった現象などではない。米国の農業セクターが過剰な農産物をさばく場所として選んだのが日本だったからである。米国の農業部門の事情と日本の貧しさがシンクロナイズして生まれたのが、学校給食の制度である(この辺の事情は、 鈴木猛夫(2003)『アメリカ小麦戦略と日本の食生活』藤原書店』に詳しい)。
  だから、米や魚(和食)をベースに給食メニューを作るなどはありえなかった。もちろんセンター方式(CKで集中調理)である。なぜならば、画一的な材料を用いて低コストで調理することが条件である。だから、安い食材で最高の栄養価を与えるメニュー(パンとマーガリンと鯨肉)が選ばれたのである。
  そんな事情で始まった給食の食材だから、味は二の次である。米国のまずい食物が日本人の児童の舌を麻痺させてしていくのだが、それは微妙な「インプリンティング」(刷り込み)という形で、次の時代の米国ファーストフードチェーンの全国制覇の布石になっている。
 ちなみに、米国食品産業の日本浸透戦略は短期的には成功するが、日本人の「味覚DNA」を長期的に破壊することはできなかった。現在の日本マクドナルドの事業低迷に、それは象徴的に表れている。いま、「米国による生活文化の日本支配」が本当の意味で終わろうとしている。

  さて、1971年に日本に進出したマクドナルドは、学校給食で地ならしをされていた「洋風化された畑」(食品市場)に満を持して投入されたファーストフードである。そのころには、「コーク」が食品スーパーや自販機でふつうにみられるようになっていた。そして、三番目の過剰農産物であるじゃがいもを使った「フレンチフライ」は、四番目の余剰生産物の「コーン」の油で揚げたアイテムである。
  すべては、米国のグローバルな農産物輸出戦略のシナリオ通りに進行していた寸劇である。わたしが心のどこかでマクドナルドを好きになれないのは、机の中にこっそりと隠しもっていて、いつのまにか石のようにこちこちに固くなっていたコッペパンと、全部を飲み切らないと女性教師にさんざん叱られた脱脂粉乳のトラウマから来ている。
  当時の為替レートは、一ドル360円。今から見れば、ハンバーガーの値段(一個80円)は安く思えるが、当時の米国の農業事情を考えると、合理的な値付けだったはずである。牛も食べない餌(脱脂粉乳)を、貧しい日本人の子供たちがありがたがって食べていたのだから。

 ところで、第一回の東京オリンピックに話を戻すことにしよう。
 東京で1964年にオリンピックを開催することは、その数年前に決まっていたはずである。IOC(国際オリンピック委員会)の決定は、おそらくは1950年代の後半だったろう。
  オリンピックを開催するとなると、スポーツ選手だけでなく、外国からの一般のお客さんもやってくる。アジアの諸国は日本と同様にきびしい戦火を経験しており、中には内戦状態にあった国もあった。したがって、日本にやって来る来訪者は、代表として派遣された運動選手とその競技関係者、主として観光を目当てにやって来る欧州や米国の富裕層であろう。
  豊かな国の欧米人をもてなすためには、宿泊施設と食事の場所が必要になる。日本の生活習慣がわからない欧米人を、和式の旅館に泊めるわけにはいかないだろう。だから、東京や大阪にはたくさんの洋式ホテルが建設された。さらには、オリンピックのために来場者する人たちを運ぶために、首都高速道路と東海道新幹線が開業した。
  食べ物に関しては、外国人向けに洋食を提供するための施設(=洋食レストラン)が必要だった。1964年に向けては、とりあえずレストランを建設して、洋食メニューが作れる人材を育成しなければならない。そのために、洋食の料理人(シェフ)とそれを養成するための学校が作られた。

  相当な数のレストランとシェフが増えるきっかけになったのが、第一回東京オリンピックの開催だったのである。そうした下地があって、1970年代の前半に、相次いでファーストフードチェーン(マクドナルド、ロッテリア、ミスタードーナッツなど)やファミリーレストラン(すかいらーく、ロイヤルホスト、デニーズなど)が創業するのである。
  洋風の食生活の普及を後押しする店舗(レストランチェーン)と人材(シェフ、マネージャー)が輩出されるが、それは、米国流の標準化された「チェーンオペレーション」が効率を生み出せたからである。しかし、おいしさ=「味」の方はどうだったのだろうか?われわれの日本人の生活の進化について、冷静になって過去を振り返ってみよう。
  初期のころの洋食普及期には、ファーストフード(パンとポテト)やハンバーグ(牛肉)に対する一定程度の感動はあったのかもしれない。わたしも、はじめてコークを飲んだ時に感じたのは、たしかにアメリカ文化のコカ味の陶酔だった。甘ったるくて”バタ臭い”ビーフハンバーガーのジューシーな味。

  しかしながら、その後の製品インベーションとオペレーションの進化は画一的だったような気がする。マクドナルドやその傍系の系列チェーン店(ピザハット、KFCなど)が生み出してきた製品も画一的にすぎるように感じる。
  だからではないが、洋食のフードチェーン店よりも、いまは和食チェーンが優勢である。大戸屋やスシロー、木曽路の方が、マクドナルドやKFCよりも顧客満足が高い。わたしたちの調査結果(JCSI)では、この数年は「和食ファーストフードチェーン」のほうに軍配が上がっている。しかも、支持率の差は圧倒的である。
  そして、2010年代に入ってからは世界的な和食ブームである。「富士山」と「和食」(WASHOKU:Japanese Cousine)が世界遺産に登録された。もちろん、先人たちの努力(キッコーマンの茂木友三郎名誉会長などの貢献)のおかげではあるのだが、基本的に、世界中の舌が和食に向いているのである。

   2020年の東京オリンピックは、だから、日本の食文化(和食)が大きく世界に羽ばたく契機になるだろう。50年前に日本に訪れた外国人は、東京で洋食が食べられる場所を望んだろう。しかし、5年後に日本を訪問する外国人客は、日本旅館(温泉)と和食(和菓子)を求めるはずである。
  さらに、1964年当時は来訪客のほとんどが欧米人だったろうが、今度の東京オリンピックでは、半数以上がアジアからの観光客である。インド人やアラブ諸国からも、あるいはアフリカや南アメリカからも賓客はやってきそうだ。彼らは、断じてヘルシーでおいしい日本食を望むことになる。本物の日本食体験と味に対する感動は、和食を世界に広げる要因になるはずだ。
  2020年は、和食と和菓子が世界に羽ばたく年なのである。そのための準備は、どのようなものなのだろうか?1964年の第一回東京オリンピックがそのヒントになるだろう。和食を作れる外国人の人材育成と、和食レストランの新しいメニューとサービスである。それらをリーズナブルな値段で提供できるビジネスモデルの創造である。
  日本の食は、そんな時代に突入している。その意味でも、米国発ファーストフードチェーンの象徴である「マクドナルドの時代」は終わっているのである。