夕方6時半からOB会が開催される。いまの学生で35期になる。かれこれ30回目くらいはOB会を開いてきただろう。そのむかしは、夏合宿とかねたり、多摩川の河原で現役生とOBが野球大会を開いたり。その後に、BBQパーティーを楽しんだりしていた。
いまのように、市ヶ谷で会場を借りて、公式的にOB会を開くようになったのは、いつごろからだったのだろうか。あまりよく覚えていない。いつのまにか、物事は儀式的になっていくものだ。
卒業生の人数も増えていくし、現役生の教育という側面もある。なかなかやめられないものだ。わたし自身はセレモニーが苦手なので、OB会の開催をうっとうしいと思うこともある。あと数年だから、続けようとは思うが。
OBの卒業生は、法政に来たから30年間でほぼ300人。一次会には、毎年30人が参加する。10%程度の出席率である。二次会は、しかし、多い時で50~60人がやってくる。市ヶ谷の素材屋の奥のスペースが、小川ゼミ独占状態になる。 だから、学生にはいつも少なめに予約するように命じている。予算がオーバーしないようにである。
OB会で、最初の挨拶は、乾杯までの約20分間。わたしの近況を話すことになる。今年も、ネタがたくさんあるが、今回はなるべく短かめにしたい。
このブログを読んで参加してくれる卒業生OBも多い。わたしの近況をよく知っているOBと、たまたま来て何も知らないOBとがいる。同級生の合いに来るのだから、また、どうでもよいが、本くらいは本屋やネットでチェックしておけよ、と言いたくなることもある。わたしが年を取った証拠だろう。
最近の卒業生のほうが、どちらかといえば準備がいいように思う。それでも、本当に小川孔輔ゼミに愛着を感じてくれているのは、1期生~10期生である。いまだにきてくれているのは、そういった気持ちの卒業生たちかもしれない。
わたしの大学時代の先生のひとりが、二年前に亡くなった。それでも、OB会は続いている。残念ながら、わたしは冬場の週末がマラソンレースになる。だから、信貴先生(東大駒場のドイツ語の先生)が亡くなってからは、OB会には出ていない。
風の便りに聞けば、同級生の何人かは、しごとを引退しているらしい。59~62歳である。当然のことだ。考えてみれば。
そう言っている間にも、小川孔輔ゼミの1期生あたりで、退職・引退する卒業生が出てくる可能性もある。わたしと一期生は、わずか4~5歳しか年が違わないのだ。浪人でもしていれば、3つ程度の年齢差である。
法政大学は、あと6年で定年である。まだ作家になれていないので、昨年目指していた、58歳での引退は実現できなかた。65歳までに、それでも、現役引退を宣言している。早期退職の実現は、秒読み段階に入っていると思っている。
そんな話をしたら、アルカディア市ヶ谷に来たOBたちは、残念がるだろうな。わたしたちも、信貴先生がいなくなってからは、集まりにくくはなっている。
とはいえ、永遠に法政の教員をやっているわけにもいかない。終わりは、いずれ来るものだ。いい形で人生を終えたい。そうではない事例を、あまりにたくさん見てきた。きれいにやめて行った、模範例もある。尊敬する元理事の鬼塚先生。