本日のコラムでは、恐ろしい予言を書いてしまう。日本マクドナルドの売却先についてである。業績が悪化しはじめているマクドナルドは、ふつうの人では立て直しができない。しかし、解決方法がひとつだけある。それは、7&iグループがマクドナルド(米国本社も!)を傘下に収めることだ。
ここからは、しばらくは、わたしの仕事の話になる。表題について結論を早く知りたい方は、最後のパラグラフ(*)に飛んでほしい。その根拠は、このあとに長々と書いてある。
さて、旅行中の行動についてである。行きと帰りの飛行機の中で、マクドナルドに関連する書籍を読み直していた。『マクドナルド 失敗の本質(仮)』(東洋経済)を書くために、過去にすべて一度は目を通している本と資料である。
これだけ時間をあけて(2~3年)、冷静に読みなおしてみると、これまで読み落としていた事実や、新しい真実が見えてくる。だれか有名な歴史家が言っていたが、歴史とは再評価されるべき対象なのだ。上書きされるのが歴史の宿命である。
読んだ本は、順不同に、マクドナルド創業者、レイ・クロックの自伝『成功はごみ箱の中に』ダイヤモンド社(2007)、『日本マクドナルド 20年史』(1991)、『日本マクドナルド 30年史』(2001)、原田泳幸『ハンバーガーの教訓』角川書店(2008)。シドニーマラソンを走りに行ったし、観光旅行(ブルーマウンテン国立公園、世界遺産)もしているのに、ずいぶんと大量に読んだものだ。オーストラリアには、いったい何をしに行ったのだろうか(笑)。
最初は、レイクロックの自伝(2007)である。
この分厚い本には、ソフトバンクの孫さんとユニクロの柳井さんの解説文がついている。孫さんは適当に「あとがき」を書いているが、柳井さんの「まえがき」と「解説」はかなり本格的なものだ。「対談」(孫・柳井)についても、文体から見て、ご本人が書いてチェックを入れているのがわかる。
原著は、1977年に出版されている(日本版は2007年、350頁1400円はマクドナルド価格!)。クロックがなくなる7年前で、フレッド・ターナーにマクドナルドの経営を引き継いだ直後だった。店舗数が8千店、全店売上高(システムワイドセールスの訳)がまだ1兆円に届いていない。
本書は回顧録である。個人的な離婚のことなども、”あけすけ”に書かれている。この部分だけは、やや気持ちが悪かった。アメリカ人らしいといえばアメリカ人らしいが、クロックの個性なのだろう。自伝を代筆したライター(ロバート・アンダーソン)の消息が不明というのが不思議な感じではある。
この本に関して、従来はブログ(書評)で紹介していなかった。今回、完読してみて感じた印象を簡単に述べてみたい。
タイトルの「成功はごみ箱の中に」は、二重の意味を含んでいる。原著を読めば、それが、他社のやっていることは「ごみ箱の中のごみ(段ボールや廃棄物など)」を漁ればわかる、の意味だとわかるだろう。自分(クロック)は、何度も他店のごみ箱を漁ってきた。分析的であれ、成功には慎重であれ、というメッセージである。こちらの解釈が正解である。
ただし、日本語で読むと、これはつぎのようなメッセージとして解釈もできる。ビジネスでの成功はほんの一瞬だ。成功したことなどすぐに忘れて(ごみ箱に捨てて)、つぎの課題にチャレンジせよ。そのようにも読める。
この解釈はクロックの意図とはちがうのだが、ビジネスの本質を語ってもいる。なぜならば、このあとに続く、3つの資料は、そのこと(覇者のおごりと、時間的なプレシャーへの対応)への教訓になっているからだ。
20年史に進む前に、クロックの自伝に関して、一言だけ追記しておきたい。経営におけるパートナーの問題である。
この話題は、この春に自伝を著した平石郁生さん(法政大学大学院客員教授)の著書『挫折のすすめ』の中にも出てくる。平石さんの場合は、パートナーは山川さんである(現在は、八戸大学の学長?)。クロックにとって重要なビジネスパートナーは、ハリー・ソナボーンである。ソナボーンは、財務経理畑の人。クロックの神髄は、営業と店舗開発。
クロックの言葉を引用すると、「もしふたりの役員が同じ考えをもっているなら、もうひとりは余計だ」(308頁)。この言葉は、ダートマス経営大学院で講演をしていた時に、ビジネススクールの生徒からの受けた質問に対するクロックの答えだった。
見解が異なる優れた個性のぶつかり合いが、健全な経営のためには必要だ。しかし、経営者の間で意見が対立することも多い。そして、成功に至る道程では、経営上の意見の対立によって、しばしば友情は失われてしまうものだ。
孫さんも柳井さんも、パートナーを失うことの悲しみを、痛いほど経験しているのはないだろうか?立派な経営者とは言えないが、わたしにも、クロックの痛みがよくわかる。これまで、自己実現のために、会社や業績の達成のために、多くの友人を失ってきている。
『日本マクドナルド20年史』(1991)と『日本マクドナルド30年史』(2001)は、10年を隔てて刊行された社史である。よくできた貴重な資料で、国会図書館でコピーしてきたものである。この資料がなければ、藤田時代のマクドナルドについて、これほど詳しく知ることはできなかっただろう。マクドナルドに関しては、当時の日経やMJ、経済雑誌の記事などは残っているが、日本マクドナルドについて書かれた藤田氏本人の自伝は存在していない。
二つの社史は、絶好調のときのもの(20年史)と、悲壮感が漂ってるもの(30年史)という大きな違いがある。ライティングスタイルからも、宮崎社長風に「ほわっとしている」のが20年史、分析的で攻撃的なのが、30年史である。その意味でいえば、両方が対になって「日本マクドナルドの自伝」を構成しているとも言える。
とくに、20年史に刻まれた事実(歴史の痕跡)は、マクドナルドが食の文化移転だったことの証明書である。30年史(とくに後半)には、日本マクドナルドが、米国から離れて、独自の道を歩もうとして「太平洋戦争」に突入していく様が描かれている。結果は書かれていないのだが、わたしには「敗北の歴史」として読める。
日本マクドナルドは「7年戦争」(1995~2002年)に敗れて、GHQの傘下(米国マクドナルドの直轄経営)に入る。そのときの敗軍将は、創業者の藤田田氏であるが、彼は連合艦隊司令長官の山本五十六に見える。退任の翌年2004年に亡くなるからだ。そして、戦後復興の明るい時代(高度成長期)を描いた作品が、原田泳幸『ハンバーガーの教訓』角川書店(2008)である。
焼け跡を復興させることは、強いリーダーシップさえあれば、わりに簡単だったのではないのだろうか。米国(マクドナルド)というお手本(標準)があったのだから、その成功モデルをコピーすればよかった。ディスカウント路線の失敗による廃墟に、新しい建物(新しいデザインの店舗)を順次に建設していけばよい。
2001年に上場しているのだから、日本マクドナルドに、立て直しのための資金がなかったわけではない。ただし、事業を後継できるターンアラウンドマネジャーがいなかっただけだった。
原田氏の経営課題は、大きく成功した後の環境変化に対する処置にあったように思う。アナロジーとして表現するならば、敗戦後の日本経済は高度経済成長という軌道には乗ったが、1970年に、公害問題(BSE問題)と2度のオイルショック(東日本大震災と緩やかな円安)を経験する。
この時点で、適切なイノベーションに努力(投資)していれば、この危機を乗り越えることができたかもしれない。しかし、原田氏の施策は、すべて短期的な志向のものだった。本来は、省エネ投資(エコカーの開発:健康メニューの開発)や公害対策(調達やロジスティックス)への研究開発投資を日本独自に取り組むべきだった。
さらに、運が悪いことには、アジア戦線(中国上海)で新たな戦争が勃発した。日本の救済に回ろうとしたとき(カサノバ氏の派遣)、本国(米国マクドナルドとアジア太平洋本部)がベトナム戦争に巻き込まれてしまった。不運である。
創業者の藤田氏も、そして2004年から日本マクドナルドを預かった原田氏も、経営者として、自分に残されいる時間のプレッシャーと戦っていたはずである。
つまり、1995年時点(ディスカウント戦争に手を染めた)で、藤田氏は74歳。日本の外食企業として1兆円、日本マクドナルドとして1万店を夢見てはいても、そのために十分な時間はとれない。藤田氏に残された時間は、せいぜい5年。チンギスハンの不老不死伝説を思い起こさせる。
一方の原田氏は、2008年の時点(FC化と大量閉店・店舗売却のはじまり)で60歳。当時の好調さを推量するに、原田氏が米国本社の副社長(前職では本社副社長)、あるいはアジア太平洋地区の最高責任者に昇り詰める可能性も、あの時点ではあったかもしれない。しかし、米国本社に雇われている経営者としては、残りの時間がそれほどあるわけではない。
覇者のおごりと時間的なプレッシャー。そして、決定的なのは、イノベーションの不足。7年間ですべての「打ち手」を使い切ってしまう。太平洋戦線に大きく展開していた日本軍は、兵糧が尽きて敗走をはじめた。日本マクドナルドも、いまはその時期なのだろう。
つぎなる敗戦処理は、誰が担うのだろうか?もはや、米国の威光に頼ることはできない。
*危機に瀕している「日本マクドナルド」を買収(救済)するとしたら、三人の候補者がいる。とわたしは考えている。まず考えられるのは、ファーストリテイリングの柳井さんか、ソフトバンクの孫さんだろう。
ふたりはともに、マクドナルド(レイクロックと藤田田氏)に縁がある。そして、ふたりの創業経営者から多くのものを学んでいる。だが思うに、いまや、そのような小さなビジネスには、おふたりは興味を示さないだろう。
ここに、三番目のプレイヤーが登場する。マクドナルドを救済できるとしたら、セブンーイレブンの鈴木敏文氏しかいないだろう。彼ならば、中食(コンビニのFF部門)とコーヒービジネス(セブンカフェ)での成功体験がある。これだけFCが増えてしまった日本マクドナルドだが、逆にFCビジネスのノウハウを豊富に持っているのは、日本ではコンビニエンスストアである。そのトップ企業がセブンーイレブンである。
1990年代の後半、危機に瀕していた米国のサウスランド社の経営を立て直した実績が鈴木氏にはある。イノベーションを興すことには長けている。その配下には、ヨーカ堂出身のコンサルタント(現㈱セブン&アイ・フードシステムズ代表取締役社長)の大久保恒夫氏が控えているではないか。実行部隊長として、これほどの適任者はいない。これは、まったくの大穴とも思えない。
その後は、米国本社やアジア部門を買収することもありうる。グルーバルにも、マクドナルドの業績は低迷をはじめている。海外のビジネス報道を注意深く読み取ってほしい。