先月のJFMAニュースから「巻頭言」をブログに転載する。この記事を読んだ何人の方からはメールをいただいている。還暦からさらに一年が過ぎての回顧と展望である。業界人として教育者として、やるべきことをきちんとやり終えることがいまのわたしの課題であり、社会的な使命だと思っている。
「わたしたちは未来に投資をすることができるか?」
JFMAニュース 2013年7月20日号 JFMA会長 小川孔輔
2010年10月22日に、九州大田会で「生き残りの為のマーケティング戦略」というテーマで講演をさせていただいた。大分の温泉地で行われた講演のレジュメを、いま目の前で見ている。ときどきこうして自分が過去に行った言説(スピーチや講演)を振り返ることがあるのだが、それは自らの思考の軌跡を反芻(反省)して咀嚼(再構築)するためである。仕事の見直し(回顧)がないところに進化(革新)は起こらない。
3年前の講演では、戦後50年間で生き残りに成功しただけではなく、その後に大きく成長したふたつの地方中小企業の話を取り上げている。この時期にちょうど、拙著『しまむらとヤオコー』(小学館)の執筆が最終段階に入っていた。埼玉県比企郡小川町(人口約3万人)から生まれたふたつ東京証券取引所一部上場企業「小さな町の小さな呉服屋の話」(昭和28年:島村呉服店~「ファッションセンターしまむら」)と「老舗の八百屋が食品スーパーになるまで」(昭和32年:八百幸商店~「ヤオコー」の二社の戦後と現在の物語についてである。
この二社がなぜ戦後の厳しい小売競争の中を生き延びることができたのかという話から講演はスタートしていた。そして、二社の話に続いて、花の業界で生き残りに成功してきた生産者を個別に紹介している。
彼らの経営スタイルには特徴的な行動が見られる。それを4つに類型化してみた。すなわち、長い時間をかけて生き残っている生産者は、①自分の住処を変えた生産者(千葉県白子町からタイ・チェンマイに移り住んだ斉藤正二さん)、②作る品目を変えた生産者(米国カリフォルニアのアンディ松井、菊からバラへ、そしてユーカリを経てミニのランを栽培する)、 ③世界の動きに学ぶ生産者(オランダ研修生の伊藤君(@富山)、米国研修生の宮川君(@熊本)、④自然との対話を推進する生産者(大手小売りとの提携、テキサス州のアーノスキー夫妻)の4つのパターンで説明できる。
つまりは、「場所」を変えるか、「作るもの」を変えるか、生き残りの根拠(「知識・知恵」)を別の場所に求めるか、「作り方」を変えてしまうかの違いである。最後に、その人たちの心の中にあったはずのものを、それぞれの「仕事のスタイル」としてまとめて講演は終わっている。
ご自分の周囲を見渡して、仕事面で目立った業績を残している経営者たちを探してみるとよいだろう。花の業界で仕事をしている人たちの、未来に向かって仕事を組織するときの姿勢(=スタイル)は、以下の3つに分類できる。これらは、「未来に向かって」などとむずかしく表現しなくとも、「今ある」日常の仕事のやり方を反映したものである。その3つの仕事のスタイルとは、①過去の栄光と先達の遺産を食い潰す仕事のやり方、②現在の生活を支えるだけのための仕事への努力、③未来の夢にかける仕事への取組み、の3つである。
どんなひとでも、理想的には、3番目の選択肢にかけてみたいと思うものだ。しかし、それがなかなかできていないのが現実である。それでもどうにか、わたしたちの次に続いてくる「子供たちの世代」に、「種子」と「技術」と「事業」を残すことに取り組んでみたいと願ってはいる。
そのためには、あるときまでに、「人々の記憶に残る仕事」を終えておく必要がある。近い将来において、いまのヤオコー(食品スーパー)やしまむら(カジュアル衣料品チェーン)のように、次の世代が大きく稼ぐことができるように、そして従業員が幸せな状態で仕事に打ち込むことができるように、未来に投資しておかねばならない。わたしたちに課題は山積みだ