農業FCのあるべき姿: 分散型の農業生産と個性的な飲酒店(非チェーン型レストラン)をつなぐ

 南茨城の有機農業生産者、久松達央さん(『キレイごと抜きの農業論』の著者)に来週(2月26日)講演を依頼している。その打ち合わせで、市ヶ谷の研究室までご本人に来ていただいた。コーディネーターの徳江倫明さんも一緒だった。



 講演内容についての打ち合わせのつもりだったのだが、3人の会話は、日本の農業(生産)のあるべき姿になった。予想の通りではあるが、徳江さんが「中山間地農業論」を展開し始めたからだった。

 先週(2月3日発売)の『週刊東洋経済』が「強い農業特集」を組んでいるように、最近は、マスメディアが農業をネタに誌面を作ることが増えた(久松さんも登場している)。
 とくに安倍政権になってからは、①輸出志向の農業生産(果樹や米)や②TPPを迎えての規模拡大(大規模農業)、③植物工場への投資などに世間の関心が向かっている。イオンや7&iなどの量販店も、グループを挙げて農業生産に取り組み始めている。また、代表的な飲食店チェーン(モスバーガー、ワタミ、サイゼリヤなど)も、同じ方向(量産型)で農業分野を経営に取り込もうとしている。
 どのプレイヤーも、スケーリング(規模拡大)による「効率」を大前提としている。それは、従来型の「マスマーケティング」を基礎にした農業生産物供給を求めている結果である。しかし、適切な農業生産の解答は一つではないだろう。

 わたしたちが久松さんに講演をお願いしたのは、代替的な農業生産の型があると考えるからだ。その正答の一つを、久松さんが示している可能性があると思う。それは、逆に言えば、日本の農業が抱えている条件(ハンディキャップ)を、「一般論」のほうが真剣に考慮していないと考えるからでもある。
 具体的に吟味してみよう。一般論は、わが国の農業に関して、①気候条件(亜熱帯モンスーン気候、高温多雨)、②地理的条件(国土の40%が中山間地)、③分散的な土地所有形態などの条件を考慮していない。また、④農業生産物を取り扱う市場の形も、ふつうの国とは大きく異なっている。いまや卸市場取引が崩壊気味だが、それでも⑤直販チャネルはいまだマイナーな存在である。

 そうした条件を考慮したうえで、日本の農業生産の「ひとつの標準形」(分散型FC)を久松さんは示している。わたしたち(徳江と小川)はそこに希望を見ている。いま世間の話題の中心にあるのは、大規模生産モデルである。形態としては、施設園芸であれ、粗放型であれ、同じことを考えている。
 久松さんの農業経営は、それとは対照的な形である。つまり、小さくても強い農業経営。特徴のない生産物ではなく、差別化された品目と生産体系を前提に組み立てられた、小規模分散型の農業FC(農業生産のフランチャイズ化)の可能性を示している。ただし、零細(1ヘクタール以下)ではない規模を想定している。

 例えてみれば、コンビニエンスストアの「農業生産版」である。1970年代にセブンイレブンが生まれたときは、GMSが全盛の時代だった。そのとき、コンビニに対して世間の評価は散々だった。
 そんな万屋みたいな店はありえない。
 昔に戻るつもりか。
 小規模商店にとって、それは詐欺的な商売だ、などなど。
そのことを、みんなは忘れている。

 
 講演の中で、小川から提案したいと思っている「分散型農業FC」のポイントは、以下の5点である。

(1)経営規模:栽培面積 3ヘクタール(~5ヘクタール) これをFCでつなぐ
       売上で2000万円~3000万円(最終粗利50%)
(2)栽培品目:個性的な独立飲食店(小規模チェーン型レストランやホテル・旅館)が必要とする食材
       和洋両方 地方に固有な種子を活用する場合と、洋食の希少種を栽培するケース
(3)従業員:オーナー+従業員2人(パート3~4人?)
       研修生が育って、それが独立していく(教育システムが必要)
(4)組織:「FC本部」と「加盟店」を、技術教育と経営でつなぐ
       のれん分けで、マーケティングや会計処理などは「ビジネスアウトソーシング」
       *模範例は、千葉の「デンタル・サポート」(@幕張)など 
(5)販売: 都市部と地方に展開する個性的な「独立飲食店」や「ホテル」「旅館」
       (ただし、非チェーン)に、食材を提供するビジネス。
       したがって、生産(物流)も消費(調理)も分散型が向いている。
       → 「運ばない園芸」 

 さて、当日は、どのような議論展開になることか、、、、

追記:

 「分散型農業FC論」を主張する背景を、補足しておきたい。
 わたしはTPP反対論者ではない。どちらかといえば、推進派かもしれない。しかし、過剰なグローバリゼーションと大量生産システムの普及には、以前から反対の立場を取っている。その理由は、基本的に以下の二つである。

 一番目は、短期的な観点からである。世界的な食糧危機に対するリスク回避のためには、大規模集約型生産のみを推進することは得策ではないと考える。たしかにコストの側面からみれば、集約型の大規模農業がよいに決まっている。
 しかし、この方法だけだと、たとえば、今年の日本ような気象異常には脆弱な生産システムになる。(同じ遺伝子を持った単一品目を)同じ場所で効率よく作ると、外部のシステム・ショックに対して弱くなる。
 わたしは、近い将来、たとえばGMO(遺伝子操作)の種子が原因で、世界の大規模農場(収益性の高い単品目生産に依存)が飢饉や病害虫に襲われることを予言している。この事件を、「逆グリーン革命」あるいは「緑色革命の逆襲」とわたしは呼んでいる。
 ショッキングな事態は、2014年1月のブログを参照のこと。この事態は、ぜひとも避けたい。わたしの子孫が、飢餓で生き残れないような食糧危機は望まない。

 二番目に、だから、生産システムや作目(品種)は、ある程度は分散すべきである。品種には、やや効率は落ちても、在来種などを混ぜるべきである。効率が悪すぎる農業も問題だが、効率とスケーリング(大規模化)だけを基準に、生産する場所や品目を選択することは危険である。
 生産方法や採用する品種に関して、単に効率だけを追求すると、天変地異や危機に対して弱い農業システムになる。品種なども適度に分散すべきである。アンスケーリング(非大規模化)は、リスク分散には必要なコストである。
 品種も栽培技術も栽培地も、同時に分散してもらいたい。東日本大震災の時に、いかに集中のマイナスが大きかったか、われわれ日本人は身を以て感じたはずだ。効率一辺倒は基本的にありえない選択なのだ。

 それと関連して、生物多様性の観点からの議論も必要である。経営のアンスケーリングと生物のダイバーシティ(多様性)を重んじることを、農業政策の長期目標にしてもらいたい。困難が起こってから、20世紀の効率一辺倒の選択を嘆かないためにもである。
 多様性がある組織が環境の激変に強いのは、植物のエコシステムにとっても同じである。同じ品種の食物ばかりを食べていると脳がバカになる。これは実証されている。そして、同じ品種であっても、気候や季節によって「味が異なること」も、前向きに許容すべきある。
 現在の制御工学では、「ゆらぎ」をよしとする。100%同じ品質を、賢い人間は求めていない。効率はある程度は犠牲にしないと、楽しい世界を享受できない。そんな金太郎飴の世界に、わたしは生きたいとは思わない。