【お知らせ】 『日経MJ』で「食のイノベーション」(小川)の6回連載がはじまります

 本日(11月1日)から、毎週金曜日、『日経MJ』で「食のイノベーション」という連載がはじまります。11月は4回、来年2月に2回の連載です。わたし以外にも、神戸大学の小川進教授や本学の西川英彦教授が執筆を担当します。この連載企画は、11月8日からはじまる「日経MJヒット塾」に連動したものです。電子版でも見ることができます。



 今回は、ちょっとおもしろい”いたずら”をしたみたいと思います。この原稿は、約1週間前に編集部に提出したものです。途中紙面の関係や読みやすさを考えて、文章や段落を入れ替えています。編集者が手を入れて発表された最終原稿は、のちほどコピーして転載します。
 ここでは、わたしがオリジナルで書き下ろしたドラフト(10月28日時点)をコピーペーストしておきます。編集者とやりとりをしながら、わずか二日間のうちに、どのように文章が変わったのかをご覧ください。
 文章を書くことが好きなひとには、とても参考になると思います。

日経MJヒット塾(連動企画) 2013年10月28日
「食のビジネスモデル:イノベーションの本質」
 小川孔輔(法政大学大学院)

#1「“食”のヒットが示すこと」(オリジナル原稿@10月28日午後)

 2012年から2013年にかけて「日経MJ」で発表されたヒット商品番付をみると、意外にも食関連のヒットが多いことがわかる。たとえば、「オランジーナ」「マルちゃん正麺」「メッツコーラ」「コンビニチルド和菓子」(2012年)、「コンビニコーヒー」「ノンフライヤー」「俺のフレンチ、イタリアン」(2013年)などである。2年前といまの番付を比較してみると興味深いことわかる。2011年の東西の横綱は「アップル」と「節電商品」、大関が「アンドロイド端末」と「なでしこジャパン」で、新しい機能や優れた技術を訴求したヒット商品が主役だった。ところが、その二年後、東日本大震災をきっかけに社会的な風景はがらりと変わってしまう。人々の視線と関心が「技術」や「機能」だけではなく、むしろ情緒的な「食文化」や「団らん」に回帰することになる。もっとも、食のヒットを支えているのは、おいしさを実現するための技術へのあくなき追求の姿勢である。以下では、企業経営の“食”への関心と傾斜、およびその社会的な背景を見てみることにする。

 戦後の日本で起こったフードビジネスの革新には、ふたつの源泉があることが知られている。ひとつは、欧米の食文化の技術移転にルーツを持つものである。現在、日本で成功を収めている第一世代のフードチェーンは、ほとんどが1971年~1973年にかけての創業である。たとえば、1971年には「日本マクドナルド」(ファーストフード)と「ロック・フィールド」(惣菜)が、1972年に「すかいらーく」(ファミリーレストラン)が、1973年には「サイゼリヤ」(イタリア料理)が創業を開始している。基本的に、これらのフードビジネスは、欧米の料理文化と多店舗展開の経営ノウハウを同時に移転しようとする試みであった。成功をもたらした決定的な要因は、新しい料理カテゴリーを日本に紹介することで独自の強いブランドを確立できたことである。また、その後に続く企業の成長期において競合との激しい競争に打ち勝つことができたのは、PCにおける食材加工の生産効率を高めながら、多店舗展開においてコスト削減を徹底できたからである。

 食ビジネスの2番目のルーツは、さらに歴史をさかのぼることになる。こちらの主役は、現在グローバルに事業を展開している日本の食品メーカー群である。味の素(池田菊苗博士)がグルタミン酸ナトリウムの製法を発明したのが1908年(明治41年)、日清食品(創業者・安藤百福)が「チキンラーメン」を開発して製造特許を取得したのが1958年である。2社以外にも、「ハウス食品」「カゴメ」「キューピー」といった企業が、食材加工の要素技術の革新に大きく貢献しているプレイヤーである。また、日本の食文化を海外に紹介し、日本食ブームの先導役を担っている企業として、「キッコーマン」(=醤油)の名前を挙げることができる。いずれにしても、日本の食品メーカーの製造技術は、いまや世界の食文化とフードビジネスの形態を変えようとしている。