他人の文章を連続して紹介することはふつうはやらないことだが、平石さんの連載2回目はとくに興味深い。そのままコピー&ペーストすることにする。この時期(平石さんがドリームビジョンを創業した直後)に、わたしは平石さんとよく話し込むことがあった。
第2回「M&A、そして失敗」
March 07 , 2013
M&Aというエグジットの是非
僕がインタースコープを退任した翌年(2007年)の2月、M&Aのディールがまとまり、インタースコープが Yahoo! JAPANの子会社となった。そして、その年の7月1日、インタースコープよりも1年半ほど前に Yahoo! JAPANの子会社となっていた、同じく御三家の一角だったインフォプラントと合併し、ヤフー・バリューインサイトが誕生した。
Yahoo! JAPAN とのディールが決まり、リリースが発信されると、おもしろいほど異なる反応(メッセージ)があった。ひとつは「心中、お察しします」。もうひとつは「おめでとう!」。誤解を恐れず、ざっくりと言うと、大企業の知り合いは前者で、要するに「平石さん、残念でしたね」というものである。それに対して、ベンチャー仲間(創業経営者)は、後者だった。
最近では、Zynga によるウノウの買収(数十億円)や、facebook の Instargam 買収(約800億円)などにより、だいぶ論調が変わってきたが、当時は「買収される=相手の軍門に下る」的な風潮がまだまだ強かった。ベンチャーキャピタルから「億単位」の資金を調達し、自分自身も全財産を注ぎ込んで事業を立ち上げ、昼夜なく懸命に働いた。その結果として、IPOなりM&Aで経済的なリターンを得ることはとても幸せなことだ。僕達の場合、前述のとおり、利益も出て尚且つ成長もしていたし、主幹事証券や監査法人と契約し、IPO準備をしており、前向きなM&Aだった。
会社によっては買収後、みんな辞めてしまい、蛻(もぬけ)の殻になってしまうなど、必ずしも良い結果とならないケースもある。インタースコープの場合、インフォプラントという異なるカルチャーとの摩擦があり、大きな苦労があったと聞いているが、殆どの社員は辞めずに残った。ベストではないにしても、取り得る選択肢の中では良い結果だったと思う。
尚、2010年8月、マクロミルとヤフー・バリューインサイトが経営統合し、結果として、インターネットリサーチ御三家は、マクロミルの元に一緒になった。
ドリームビジョンでの失敗
2006年3月にインタースコープを退任した僕は、以前から温めていた構想の実現に着手した。何がきっかけだったかは憶えていないが、僕は日本の大学教育の在り方に問題意識を持つようになっていた。
例えば、日本の場合、経営学部の教授で実際に「経営」をしたことのある人は殆どいない。学生の立場で考えれば、実際に株を発行したり、銀行からお金を借りたり、人を採用したり、あるいは解雇したり、上場経験やM&Aでの売却、場合によっては倒産の経験を有している人の講義を受けた方がリアリティがあるし、実業界からもっと多くの教員を招聘した方が「大学の経営」的にもメリットが多いように思う。
海外の「ビジネススクール」に留学経験を持つ起業家仲間によると、多くの教授が実業界での経験を有しており、また、実業界のゲストを招いての授業が多いという。そんな問題意識をもとに僕が考えていたことは、今で言う facebook や Linkedin のようなプラットフォームを構築し、その上で様々なコミュニティを運営する、そして、リアルな場所でワークショップをおこなう、というものだった。
当時は今ほどITのコストが下がっておらず、システム構築やトラフィックを集めるためには億単位の資金を集める必要があった。さすがにインタースコープ2連発は精神的にも体力的にも無理だと思い、先行投資が少なくて済み、既に需要があるビジネスをした方が良いと判断した僕は、ベンチャー企業に特化した人材紹介業を始めることにした。でも、それが間違いの元だった。
結果として、ちょうど3年後の2008年末、僕は人材紹介業から撤退。事実上、ドリームビジョンの事業を整理した。累損は抱えていたものの、当時のスタッフの頑張りのお陰で単月黒字は出るようになっていたが、そのまま続けて行ったとして「ドリームビジョンは何の会社になるのか?」と考えた。その答えは、IT系コンサルティング会社に特化した人材紹介会社であり、それは自ら創業し、業界の御三家とまで言われるようになったインタースコープを辞してまでやりたいことではなかった。
株主は理解があり、方向転換をするなら早い方が良いと助言してくれていたが、当時の僕には人材紹介業を閉めたとして、その後、何をしたらいいか?分からなかった。それが決断を遅くし、多くの人に迷惑をかけることになった。