わずか二つの「長」を除いて、トップの役職に就くことを固辞している。日本フローラルマーケティング協会(JFMA)の会長(現職)と、経営大学院の校長(昨年度)のふたつである。ある組織の代表職を引き受けることを数年前に約束している。それを最後に、トップの役職は引き受けないことにした。
そのことに例外はつくらない。わたしは頑ななところがある。本質的に原理・原則主義者だ。
とはいえ、この年になると、(協)会長、委員長、理事(長)など、世間的に見れば偉そうな役職への就任依頼が頻繁に来る。先日も、ある団体組織から、理事長を引き受けてほしいとの依頼があった。実は、本日も、理事への就任依頼が一件あった(これも、まだ完全には断り切れていない)。
先日の理事長の件は、「お願いに来ても無駄足になりますよ」と事前に何度も断っておいた。そうなのだが、依頼者側には特別な事情があるらしく、結局は研究室まで直接出向いて来ることになった。
折よく、弟子筋にあたる大学教員を紹介してあげることができた。さきほど、彼女からは丁寧なメールが来て、理事問題は解決したらしい。それはそれでよいのだが、わたしはといえば、弟子の彼に負債を負うことになってしまった。
依頼する側は、わたしの困った立場などはわからないだろう。原則をかたくなに守るのは、本当にむずかしいことだ。とくに、「女性の依頼者に、先生はめっぽう弱い」(秘書の福尾)らしいのだ。
そのうえで、断り方が悪いと相手は不愉快な気持ちになる。場合によっては、かなしい思いをさせることもある。「いい人」でいることは、割りに楽なのである。しかし、その分、余計なことに自分の大切な時間を失ってしまうのだが、それを差し引いても心理的には楽である。
今回の件も、アポイントを取るところからの一部始終を、わたしの傍で見ていた福尾は、「先生は、最後はきっとお断りになれなくなるだろうな」と思っていたらしい。非情なわたしを見て、意外だと思ったようだ。
意外に思われるかもしれないが、わたしはこの顔と性格に似合わず(笑)、原則に忠実である。実際に、いくつかの事柄に関しては、例外を作らずに行動してきた。これまでの実績を紹介してみたい。
(1)結婚式へは出席しない
卒業生や仕事関係者から、立場上、スピーチなどを頼まれることがある。単に出席してほしいと案内状が届くことがある。30年前から、結婚式はひとつの例外もなく出席をしていない。そう宣言しているので、いまや学生は誰も頼んでこなくなった。
(*手間が省けてよいが、冷たいと感じている学生はいるだろう。だから、数年前からはVTR出演はすることにした。)
結婚式に出ない最大の理由は、「公平性」である。とくに地方にいる学生の結婚式には、ほとんど出席ができない。大学や業界関係者などでは、わたしの時間的な都合で出席できるときと、それが不可能なときが出てくる。それでは不公平になる。
(*余計な時間を使わない分、もちろんマイナス面があることもわかっているが。)
(2)他大学の講師は引き受けない
法政大学の教授になってから、わたしは一度も他大学で教えたことがない。これは、大学教員としてはかなりの例外であろう。最近は、そのことを自慢している。
若いころは何度か、先輩や先生から他大学の講師を依頼されたことがあった。しかし、すべて断ってきた。理由は結婚式と同じである。ある大学(先生)からの依頼は断って、別の大学(先生)からの依頼は引き受けるのでは、相手に対して差別的である。ならば、すべて断った方が気が楽である。
昔のことになるが、ある偉い先生からの依頼を断った。世話になった他大学の教授だったので、気分的にはたいへんだった。生意気だと思われただろう。若いのに義理も人情もない人(やつ)だと思われたかもしれない。
しかし、今になって振り返ってみると、原則に忠実だったことはよかったと思う。おかげで、本務校である法政大学の授業に、本来あるべき時間と努力と熱意を投入できたから。お給料は法政からいただいているのだから、法政の学生指導に全力投球すべきである。その残りの時間は、自分のための研究に充当すべきと考えてきた。
このやり方は正しかった。それもこれも、心理的な誘惑に負けず、どんなときでも例外を作らなかったからだと思う。いい子になる必要はない。生意気に思われても気にしない。そんな性格だから、原理・原則が貫けたのだと思う。本当は、つらいこともあったのだが。
そのほかにも、わたし流の「禁止原則」はもっとありそうな気がする。思いついたら、この記事に追加してみることにしよう。皆さんにも、ひとつくらいはあるのではないだろうか?