学部・大学院の8年間を通して、しばしば神宮球場に足を運んだ。東大のスタンドに座っての応援である。仲間の数人は、東大の応援歌「唯ひとつ」が歌える数少ない卒業生である。わたしは神宮で通算3勝をしている。12~13回ほどの観戦だったから、東大野球部の実力を考えれば、勝率2割5分というのは信じられない数字だろう。
いまもむかしも事情はたいして変わっていない。東大の野球部はいつ勝てるかがわからない。だから、運よくたまたま勝ててしまったときの快感がたまらなかった。
東大野球部の応援はおもしろいのである。毎年大会に申し込んでいるシリアスなランナーが、東京マラソンに当選する確率に近いのである。
わたしが大学院に進学したころ、甲子園に出場した経験がある進学校の選手(国立高校や新潟高校出身の投手たち)がたまたま東大の野球部に在籍していたときがあった。
東京六大学野球の観戦でわたしが3勝も経験できたのは、東大野球部に30年に一度の勝利のチャンスが巡ってきていたからだろう。
いまでも忘れることができないシーンがある。その後、讀賣巨人軍に入団することになる法政大学のエース・江川卓投手から、万年最下位の東大野球部が最初の一勝を挙げた試合である。
江川が大学野球で最初に敗戦投手となった相手チームは、ライバルの早稲田大学や明治大学ではない。20+連敗中の東大からだったのである。わたしが神宮球場に通うようになったきっかけが、実は、その試合に、秋田の友人たちと大勢で出かけていたことである。
最初に観戦した試合で、ありえない快感に出会ってしまったのだ。そのとき、球場に居合わせた能代高校出身の法大生は、小熊裕一くん(経営学部~羽後銀行)と青山顕(法学部~ミキモト)である。ふたりともに浪人をして法政に入っていたが、小熊のほうが秋田県人会の学生寮(下北沢)に入っていた。
青山くんは、船乗りだった家族と一緒に、総武線の西船橋のアパートに住んでいた。西船橋にも、よく遊びに行っていた。こちらのほうは、のちにわたしが妹や弟と一緒に、総武線の下総中山駅に住むことになる土地勘を与えてくれた。
秋田県人会の寮には、東京六大学に在学している秋田出身の学生がたくさん寄宿していた。能代高校のほかに、秋田高校、横手高校、大館鳳鳴高校の出身者が多かった。秋田の県立高校からの仲間たちが大勢いたのだが、なぜか横手と能代は学生たちの相性がよかった。
その後、わたしは大学院の途中で法政大学に助手として採用されることになる。法政大学にも、横手高校出身の教員が何人かいた。法学部の堀内教授(現、中央大学法科大学院)と文学部の佐藤教授(現、法政大学野球部長)などが横手高校の出身だった。
なんとなく、学内でも横手出身の先生とは仲良くさせていただいている。
さて、奇跡が起こったその日は、小熊や青山たちとわたしは東大の応援席に座っていた。法政に比べて、東大のスタンド側のほうが、応援している生徒の数が圧倒的にすくないからである。要するに、われわれが東大の応援席に陣取ったのは、”うるさい”応援団の指示に従わずに、ゆっくり試合が見れるという単純な理由からである。
みんなで秋田寮を出るときは、東大が勝つとは夢にも思わなかった。わたしも当然、自校が勝てるなどとは思ってもみなかった。その日は土曜日で、3連戦の第一試合である。先発投手が江川であることは全員が予想していた。もちろん、法政×東大戦が3連戦になるとは、誰ひとりとして思ってもいなかった。
それが、終わってみると、大番狂わせが起こっていたのである。わたしたち(小熊・青山対小川)は、賭けをしていたらしい。試合後に、下北沢の駅前にあった中華料理店の「珉珉(みんみん)」で、じゃーじゃー麺をビール付きでおごってもらった記憶がある。
そういえば、下北沢の珉珉の近くに、元東大教授(当時、大学院生)の片平さんが住んでいた。片平さんとは、ステーキ屋の「アラスカ」によく行った。片平さんの奥さんが下北沢の出身で、アラスカでは何度も一緒に朝まで飲んだものだった。
二日酔いのまま、しばしば宮下藤太郎先生の大学院ゼミ(水曜日一時限)に直行した。大学院でのゼミの報告は、酒が強い片平さんに任せていた。兄弟子に報告を任せて、わたしは隣に座っているだけだった。
宮下教授は寛容なひとだった。生活態度がだらしない院生の弟子たちを、やさしく扱ってくれた。お昼には、常連である「鍋焼きうどん」を食べに行った。アツアツの鍋焼きで汗を出す直前まで、わたしの頭には霧がかかっていた。
なつかしい昔話である。しかし、われながら、ずいぶんと細かなことを覚えているものだ。
こんなに長く、「イントロダクション」を書くつもりはなかったのだが、いまも46連敗を続けている東京大学野球部の特別コーチに、桑田真澄(元巨人軍)が就任したという記事を昨日に読んだ(以下に、記事を添付する)。
江川投手も桑田投手もふたりして、東京六大学野球に相当に因縁のある人物である。桑田は本当は早稲田に進学することになっていた。江川は慶応大学を志望していたのだが、成績不振で入試に合格ができなかった。
個人的には、慶応は馬鹿な大学だと思ったものだ。今の時代ならば、スポーツ推薦で江川は楽々合格していたはずである。大学として、受験機会の公平性という面子の問題(教授会や理事会の圧力)があったにちがいない。
ところで、桑田コーチの指導を受けて、東大の野球部は勝てるようになるものだろうか?
記事を読んでみると、もしかしての可能性を感じないわけではない。40年前の記憶(法大・江川投手の敗戦)をたどってみると、良い選手に良いコーチがつけば、いまのレベルの六大学野球ならば、東大が他の5つのチーム全部に勝つ可能性があるように思う。
そこで、ブログの読者のみなさんと、ある賭けをしてみたい。「2013年春の六大学野球リーグ」で、東大が一勝でも上げることができるかどうか?についてである。
<Q1> 桑田特別コーチの指導の下、春のリーグ戦で東大野球部が5シーズンぶりに勝利を手にすることができるかどうか?
<Q2> 首尾よく東大が勝てたとしたら、そのときの相手チームはどこか?
(1)法政、(2)早稲田、(3)明治、(4)慶応、(5)立教
<Q3> 東大が勝てたとき、相手チームとの得点差は何点か?
以上、すべて正確に的中させた方には、<Q3>で答えた得点差(×2千円分)の
(1)花束か、(2)虎屋の羊羹か、(3)秋田料理(きりたんぽセット)を、わたしからプレゼントさせていただきます。
なお、ほぼありえないことだと思うが、東大が通算で2勝以上をあげた場合、あるいは、同じチームに2勝をして勝ち点をあげた場合は、<Q2>の相手チームとの戦績は、いずれかが当たっていればよいものとする。つまり、複数の人に賞品が当たる可能性と、ひとりが二回プレゼントをもらえる可能性を残しておくことにする。
ちなみに、春季リーグで東大が一勝もできない場合は、<Q1>で「NO」と回答した方は、秋季リーグで再投票する権利を保持できるものとする。そのとき、<Q2>以下の同じ質問に対して、賞金(賞品)は倍額(×4)となる。 (*最後の手続きは、少々懲りすぎたかな?)
なお、余計なことだが、むかし巨人ファンだったわたしは、江川も桑田も、現役時代から大好きである。
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<参考記事>
東大・桑田特別コーチ 初指導 考える野球で底上げ狙う
産経新聞 [1/28 07:55]
特別コーチの桑田氏(中央)はマウンドで約40球を投げ、選手に手本を示した=東京都文京区の東大球場(財満朝則撮影)(写真:産経新聞)
プロ野球巨人で通算173勝を挙げ、今年から東大野球部の特別コーチを務める桑田真澄氏(44)が27日、東京都文京区の東大グラウンドで選手を初指導した。「みんな思っていたより体格がよく、レベルも高い」と東京六大学リーグで46連敗中のチーム力の底上げに意欲を見せた。
ノックバットを手にした桑田氏は、打球に強弱をつけてノックの雨を降らせた。自ら遊撃の守備につき、現役時代から定評のある華麗なフィールディングも披露。マウンドでは投手陣の前で直球や鋭く曲がり落ちるカーブを計41球投げ込んだ。
「僕が一番自信があるのは守備で、次がバッティング。オールラウンドプレーヤーとしてチームをサポートしたい」と桑田氏。
浜田一志監督(48)は「見せてもらったお手本は、選手の目に焼き付いて離れないと思う」とトップレベルの実技指導を喜んだ。
桑田氏は与四球の多い東大投手陣の課題に、制球力の安定を挙げる。「ストライクを投げられないのではなく、投げ方を知らないだけ。公式が分かれば答えは出るはずで、そのきっかけを与えてあげたい」という。
自身も体格に恵まれず、他の大学に比べて選手の高校時代の実績や技術などの点で見劣りする東大野球部は似ていると感じる。「野球は体力や技術だけでなく、考えることが大事。(東大は)日本で一番考えることのできるチームだと思う」(桑田氏)との方針で、今後の指導法を頭の中に描く。
(三浦馨)