ゆとり教育世代の子供たちへの身体的な対処法: 起立と唱和の励行

 学部ゼミでは、勉強をはじめる前に、「小川ゼミ7箇条」なるものを唱和している。7~8年前に、学生たちと相談して作った「ゼミ訓」である。ゼミが始まる前に全員が起立して、7箇条を読唱する。企業などで社訓と呼ばれている類のものである。



 今年も3年生12人が、新しくゼミに入ってくる。素直だが、鍛え方がどことなく不十分な「ゆとり教育」を受けた子供たちである。良くも悪くも、文部科学省と日教組が合同で実験をしてしまった「手抜き教育」の犠牲者たちである。
 親たちの勘違い(スパルタ教育はだめ、子供は縛らずに自由にさせておくのがよい)のために、彼らや彼女たちは今、かなりかわいそうなことになっている。高等学校まではそれでもよいが、大学を出て社会のきびしい風にさらされると、彼らは耐えることができない。

 彼らは、性格は素直である。きちんと教えてあげれば、一生懸命に努力する。米国流の民主的な教育を勘違いで移植してしまった困った親たちが、当たり前のことをしてあげなかっただけである。
 ところが、世の中に出ると、彼らの言動は社会に大いに迷惑をかけることになる。どことなく規律が緩いので、きちんと訓練を施してあげないと、まったく使い物にならない。
 わたしは、したがって、ゼミでの共同作業(集団討論やフィールドワーク)の際には、行動基準を事前にレクチャーする。恐ろしいことに、現場に行くと何をしでかすかわからないのだ。
 倫理綱領(行動基準)を準備したり、調査の際には、ドレスコード(茶髪厳禁、コシパン着用禁止)や、行動規則(ポケットに手をつっこんでの観察しないとか、人にものを尋ねるときにはガムをかんで話してはいけない)、などを丁寧に話してあげる。

 というわけで、彼らの気持ちを引き締めるために、以下の「クレド」を全員で唱和する。

 まずは、号令係(固定)が、「キリーツ」と声をかける。全員が起立すると、「(学生)チューモク」の合図で気持ちを集中させる。そして、「小川ゼミ7箇条」(クレド:わたしちの信じるところ)の読唱が始まる。
 唱和係りは、輪番制になっている。24週で一回、学生には唱和係りが回ってくる。

 「小川ゼミ7箇条」(係りにつづいて、全員で唱和、繰り返す)

 1(イチ) わたしたちは、礼節を重んじます。 (全員で唱和、以下同じ)
 2(ニ)  わたしたちは、感謝の気持ちを大切にします。
 3(サン) わたしたちは、オンとオフを切り替えます。
 4(ヨン) わたしたちは、時間を厳守します。
 5(ゴ)  わたしたちは、現場主義に徹します。
 6(ロク) わたしたちは、目的意識を持ちます。
 7(ナナ) わたしたちは、個性と強調性を大切にします。

 わたしたちは、小川孔輔ゼミナール生であることを忘れません!(繰り返し、全員で唱和)

 号令係が、「チャクセキ」と声を掛けて、全員が教室の椅子に着席する。
 ただし、ゼミが始まる前には、その日の「番号」(1~7)を順次に選んで、唱和係は、自分の感じることや体験、決意などを一言でコメントする。良いスピーチには、わたしから「良い子シール」(5枚貯まるとカレーをごちそうする)を差し上げる。
 
 体育会系のサークルのように、あえてクレドの唱和をはじめたのは、だらだらと授業をはじめないためであった。体を動かして声を出すと、オンとオフをうまく切り替えることができる。
 ゼミに入ってきた当初、学生たちは、全員起立→クレドの唱和→一言コメント、に戸惑うように見える。しかし、所詮、こんなものは慣れである。そのように、わたしは思っている。
 ゆるみがちな気持ちやあってはならない迷いを矯正するには、身体的に自分を縛ることが効果的である。学生たちにとっても、その状態は同じである。
 ゆとり教育世代への対処法としては、体を動かして声を出させることが一番である。健全な精神が、健康な体に宿っていないことが問題である。だから、教室を離れて、小売りや企業の商品開発の現場に学生を連れ出している。