「研究室詣で」(泣き、笑い): 卒業試験に落第した学生の救済、過去と現在

 早稲田大学(商学部)が、「救済を求める行為は控えるように」という注意喚起のメールを学生たちに送ったらしい。むかしから、最終試験で単位を落とした4年生が卒業できなかった事例は、枚挙にいとまがない。無駄だとはわかっていても、学生は研究室に来たり(研究室詣で)、しつこい学生になると自宅に押し掛けてきたりする。

 わたしの場合、いまは大学院の専任になったので、学部生から「嘆願」を受けることはなくなった。かつての同僚(経営学部)の中には、単位を落として卒業できなくなった学生が、家族を付け回してこまったケースがあった。
 気の弱い若手の教員だと、学生の強引さに負けて、あるいは同情から、ついつい単位を上げたくなるものである。しかし、そこはぐっとこらえて、情状酌量は一切しないのが良心的な教員のやるべきことである。
 教育的にも、それではまずいことになる。そうした学生が単位をもらえてしまうと、世の中に出てから、厳しい状況におかれたときも、不正(データの操作)や嘆願(脅迫)で、自分の逆境を逆転できるものだと思い込んでしまう。そもそも単位を落としたのは、自己責任のはずである。
 
 思い出すのは、30年前のことである。
 早稲田大学の事例でも、ある教員の自宅に、「一升びん」が送られて来たケースが紹介されていた。わたしも、千葉の自宅に、単位を落とした学生から「文明堂のカステラ」が送られてきたことがある。もちろん、カステラの箱には、自らの非を詫びる手紙も添えてあった。
 宅配便が普及しはじめたばかりのことで、送り主の住所は自宅になっていた。親御さんがどのように考えたかはわからない。大学の教師など、情に訴えればなんとかなるものだと思ったのかもしれない。
 結局、手紙を添えて送り返したが、着払いにはしなかった。送料をわたしが負担するはめになった。後味が悪く、なんとも面倒くさく思ったことを覚えている。こんなめにあったのは、わたしだけではないだろうう。
 その後、教員の自宅住所と電話番号は、学内者であっても、原則的には知ることができなくなった。「教職員住所録」が非公開になった理由の一つは、卒業判定を覆すための「研究室詣で」にあるのではないかと思っている。もちろん、通信販売の業者に、誰かはわからないが、たちの悪い教職員がリストを複写して転売したからだろうが。

 余談である。経営学部(学部)の教員だったころ、3月の最後の教授会で、「卒業判定リスト」が回覧された。わたしが最初(最後)にするしごとは、4年のゼミ生で留年が出ないかどうかをチェックすることだった。運悪くして留年者が出た場合は、学生(ゼミ長)にメールをすることだった。
 この時点ではもう救いようがないのだが、偶然に教員の間違いで評価が「D」になってしまう場合がある。いまはどのようになっているかは知らないが、むかしは「成績調査」というものがあった。ほとんどの場合は、答案の紛失や成績の転記ミスである。
 白状すると、わたしも35年間の教員生活で、何度か「転記ミス」と「計算ミス(成績の合計作業)」を犯している。例外なく、大教室の授業でのことである。なにせ答案の枚数が、二クラスをもっていたときは800枚を超えていた。
 いまは大教室授業では、期末試験にマークシートを利用しているはずである。転記ミスは少なくなっているだろう。そういえば、学部教員をやめてからは、採点の肩こりがなくなったなあ。

 幸いなことに、わたしの場合は、1、2年生の基礎科目(経営学総論やマーケティング論)を担当していることが多かった。卒業判定に関わるような採点ミスはなかった。
 それというのも、最終年まで、マーケティング論の単位が取れていない4年生などについては、不合格「D]の場合は、二重三重に出席点と試験の答案をチェックしたからである。それをしないと、カステラや一升瓶の攻勢にあってしまう。
 わたしは、最初の授業で、わたしたちも最善の努力をしていることを、学生にアナウンスしていた。なので、その後は一度も、小川研究室詣でも、宅配便の小包が自宅に送りつけられることもなくなった。学生諸君も、こうした教員側の対応を知っていれば、救済の嘆願は無駄であることが理解できるはずである。
 それでも、世の中には、往生際の悪い人間は多いのだろう。早稲田大学商学部の教員のみなさんは、わたしたち(法政大学経営学部)のように事前対策を講じていないのだろう。実は、学生も悪いのだが、責任の多くは教員側にもあるのだ。
 学部事務が、在学生にメールを送りつけるなどの類の話ではないだろう。早稲田の先生たち、しっかりせねば(笑いと同情)。