呉ベタニアホームの里村佳子さんと、昨日は長電話をしてしまった。『中国新聞』が里村さんのことを取り上げるので、インタビューを受けてほしいと頼まれた。長電話になったのは、その事後報告が理由ではない。里村さんのマンションから見える夕陽のことを延々と二人で話しはじめたからだった。
里村さんは、JR呉駅から歩いてすぐのところにある、13階建てのマンションに住んでいるらしい。「らしい」と言ったのは、具体的に、その場所がどこにあるのかが、実際には確認ができていないからだ。
一昨年、卒業して故郷の中国地方に帰った元院生やアシスタントの青木たちと、里村さんが施設長をしている介護施設(呉ベタニアホーム)を見学に行った。そのとき、海沿いのホテルに泊まっている。里村さんが住んでいるマンションは、そのホテルのすぐ近くにあるらしく、12Fにある4LDKの部屋にひとりで住んでいる。
『CSは女子力で決まる!』の原稿を書いているとき、里村さんに原稿の内容を確認するために、しばしば電話を入れたものだった。いま思い返してみると、電話は休日の夕方が多かったようだ。
わたしのことを知っている人は、そのときの様子がよくわかるだろう。
思いついたらすぐに電話する。相手の都合はあまり考えない。週末の夕方など、ふつうは電話などはしないものだ。しかし、わたしはそんなことには無頓着な人間だ。
一人住まいで、週末はひっそり過ごしたいのかもしれない。家族がたくさんいて、食事の真っ最中かもしれない。あるいは、愛人さん宅にこっそり身を寄せているのかもしれない。でも、わたしの想像力はそこには及んでいかない。そんなことにはお構いなしの人間だから、その場で電話をしてしまう。
ごめんなさい。「相手も都合が悪ければ、わたしからの電話などはスルーしてくれるだろう」くらいのノリで仕事をしている。実際に、ふだんは授業などがあって忙しいから、原稿は週末にまとめて書いている。内容の確認作業は、自然と土・日の夕方ごろになる。いつものことなのだ。
千葉(わが自宅)から広島(里村家)に電話を入れる時刻は、だから、ほとんどが夕陽が沈む時間帯だった。原稿書きがピークを迎えていたのは、5月から6月にかけて。そのころは日が長くて、7時をすぎないと暗くはならなかった。
「海に夕陽が落ちていくのを見てるんですよ」と里村さん。わたしの質問に答えながら、電話の向こう側で、里村さんが落日の様子を描写してくれる。4LDKのリビングからベランダ越しに、鏡のように凪いでいる瀬戸内海が見えるのだろう。わたしの想像力は、真っ青な瀬戸内海を見下ろしながら、海の際に落ちていく夕陽を一緒に眺めていた。
わたしの千葉の家は、調整池から少し離れたところにある。ほんの1~2分を走りに出ると、毎年11月に白鳥がシベリアから飛来してくる周囲1.2KMの大きな池がある。夕方にその周りを走ると、赤い夕陽が水面に反射しながらゆるりと落ちていく。ちょっとさみしい風景なのだ。
里村さんが12Fのフロアから見る夕日は、それよりは雄大なのだろうなあ。そう考えながら、優雅に泳いでいる子白鳥のグレーの羽を横目で見て、池の周りをひたひたと3~4周ほど走って戻ってくる。
話が長くなったのは、里村さんがそのマンションを買うことになった動機について話したからだった。
かなり前から、呉港の岸壁には大きな空き地があった。その場所の前を通りながら、「ここに高層のマンションが建ったら、上層階からは海がきれいに見えるだろうな」と里村さんは思っていたらしい。
拙著『CSは女子力で決まる!』でも紹介したように、敬虔なクリスチャンである里村さんが、あることを望むと、その希望がひょっこり目の前で実現する。今回も気が付いてみると、その空き地に、希望通りに13階建てのマンションが建ってしまっていた。
「年齢が年齢だから、何かあったら借金はいやだな」と考えていた里村さんだが、目の前にあるマンションからの眺望がほしくなった。里村さんは、施設長として介護施設で働いている。だから、体が不自由になった老人たちをたくさん見ている。「人間は年老いてくると、周りの風景が大切ですよね」と里村さん。
たしかにそうだろう。わたしもそのことに同意する。だから、最後の住まいは、隅田川沿いの東京下町だと決めている。最後の風景は、人間にとってとても大切だ。
さて、里村さんは、マンションの発売日に物件を見に出かけて行った。最上階の物件はすでに売り切れていた。その下の12階で、4LDKの部屋がひとつだけ未契約のままだった。
その部屋は一人で住むにはちょっと広すぎだが、「もしも支払いの限度額を超えていたら、ここはあきらめることにしよう」と思って価格をたずねてみた。すると、販売金額はそのわずか下だった。そんなわけで、いま里村さんは、そのマンションの12Fに住んでいる。毎日、海に沈む夕陽を眺めて暮らしている。
昨日もそんな話になったのだが、それは、わたしが自分の作品についてあることを告白したからだった。
わたしは、CS本を執筆するときも、完成したばかりのマック本を書いていたときも、ある種の恐怖心に急き立てながら執筆作業を続けている。そうなのだ。もしいま自分が病気や事故が原因で、この世から消えてしまったら。この作品は、世の中に出ないだろうな。人々がこの本を読むことができなくなるだろう。それは哀しいよなあ。
だから、本が出来上がるまでは、なんとしてでも生き延びないと。見えない何かがわたしの手に働きかけて、この作品を完成させてほしい。わたしは、クリスチャンでも信心深い仏教徒でもないのだが、本を書いている最中は、不思議とそのように「神」に祈っていることが多い。
その話をしたら、里村さんは、「だから、先生のために祈っていますよ」と。ありがたいことだ。神さまがバックについている人は強いのだ。そこから支援をいただいている。クリスチャンは死の問題が解決できている。わたしはといえば、いつか訪れるかもしれないその瞬間まで、いくつの本を世に問うことができるのだろうかと考えている。
いま、著作が全部で43冊目まで来た。マック本がそれだ。47冊目までは、出版スケジュールが確定している。
この先の75歳までに書けるのは、60冊?70冊?80冊? 身長166センチまでは。いや、もうそれ以上は無理だ。神さまが、わたしをあの世に召し上げるだろう。いつか夕陽は沈んでいくものだから。
昨日は、そんな話を宗教者の里村さんと話していた。無神論者のわたしは、孤独なものだなあと。