【金沢大地、取材記録】 (#2)持続可能な千年産業をめざして

 本日、法政大学の経営大学院で井村さんの講演会(ナチュラル&オーガニック・ビジネスセミナー)を準備している。わたしが司会役をするための取材メモ(#2)になっている。農業を持続可能な産業(千年産業)にするため、井村さん自身が北陸の金沢で挑戦してきた事業拡大の軌跡を整理してものである。

 

 *(#1)から続く

 

 4 JONAの門をたたく

 1997年に実家の農業を継承するため、金沢の広告代理店を退社する。農業をはじめるにあたっては、迷いなく「持続可能な農業」(=有機農業)を志向する道を選ぶ。有機JAS認証会社のJONA(代表理事、高橋勉さん)の門をたたく。「どうせなら世界に出ていきたいから、有機JASの認証を取得することにした」(1998年)。盟友の高橋さんは現在、NOAFの副代表幹事。

 周囲からは「それで食っていけるのか?」と問われたが、「自分には何の迷いもなかった」(井村さん)。代理店をやめられて、気持ちはすっきり。真っ青な空の下で農業ができる。水田10ヘクタール、畑3ヘクタールでスタート。有機大豆で豆腐を作って地元生協(コープ金沢)に納める。朝2時に起床。

 そこで学んだこと。300万円を投じて豆乳プラントを導入。しかし、自社で作っても品質はなかなか安定しない。3年前にアウトソーシング。「金沢大地」の有機醤油(滉、あきら)なども、小豆島醸造に加工を委託。一般的に6次化には、技術、資金、人手、販路が必要なので、アウトソーシングを積極的に取り入れる(たとえば、倉庫スペース)。

 

 5 なぜ加工部門をはじめたのか?

 2002年、金沢大地(農産加工部門)を設立(従業員約20名)。井村さん曰く、はじめた当初は、「一人農商工連携」。毎年10ヘクタールを増やしていき、生産規模が大きくなってきた。取引先も大きくなる。自分が作った農産品を、「誰がどのような目的で買っているのか?」を知りたい。消費者との絆を築きたい。そのためには、加工品を作って販売する。

 井村さんから頂いた資料に、「1997年 就農時に思い描いた設計図」があった。そこには、「金沢農業」(畑、水田)で、米、大豆、大麦、小麦雑穀、野菜、ジャガイモ、玉ねぎ、果樹を、有機農業で作ると書いてある。そして、矢印のすぐ隣には、「金沢大地」がある。丸麦、醤油、味噌、麦茶、日本酒、納豆、小麦粉、うどん、ビール、日本酒、パン、ラーメンを作る会社となっている。明確に、すでに加工部門の絵が描かれていた。

 さらには、そこから出る廃棄副産物(酒粕、米ぬか、おから、牧草、ふすま、醤油搾りかす、くず大豆、麦わら、稲わら、野菜くず)が、有機肥料生産につながっている。鶏やヤギ羊を飼って(有機畜産物生産)、そこから出る糞尿が「生ごみコンポスト」に投入される。驚くべきことには、その先には、風力発電や太陽光発電と小水力発電が配置されていた。エネルギーの自給(自家発電)が前提になっている。実は、太陽光発電(山是清地区)では売電してかなりの収益を上げている。

 

 6 有機農場の農地拡大と生産性

 農業部門(「金沢農業」と「アジア農業」)は、正社員が約10人。それに研修生(5名くらい)を受け入れているが、離職率は低い。農場のあちこちに、海外産のトラクターや大型のコンバインが置いてある。井村さんの有機農業生産は、設備投資型農業ともいえる。

 15年前(2003年)に行った最大の設備投資は、一億円の「たい肥レーン」(120メートル)。自動でたい肥の切換えしができる設備(たぶん日本最大で唯一)。知り合いから鶏糞を供給してもらっている。化学肥料は一切使っていないから、肥料はこのたい肥と緑肥のみ。肥料は自前で作っている。農薬やホルモン剤も使わないから、きわめて低投入の農業。

 その分、農産物の圃場での生産性は高くはない。反当り収穫量は低い。たとえば、同規模の慣行農家に比べる、米・麦・大豆は半分の反収。ところが、考えてみればわかることだが、慣行農法では肥料や農薬を購入しているが、これらはほぼ海外から輸入している高額な資材。その意味で、有機農業は、資材自給率が100%である。

 それとは反対に、人件費比率と設備償却費率が大きい。しかし、それらへの経費支払いは日本国に還流する。いずれは消費に回る循環型経済の一翼を担っている。コアになる農産物は、米麦大豆などとその加工品で、土地利用型の農業生産である。

 

 2009年に、少量多品目の野菜生産に乗り出す。そうした理由は、のちのレストラン事業への進出とも関係している。なるべくならば、レストランで提供する農産物とその加工品(アルコール含む)は、地元金沢の産品にしたい。

 つまり、味噌醤油だけでなく、日本酒もワインも金沢の原料で作る。さらに、野菜やハーブも自前で作りたいと考えた。そのため、雇用した女性の発案で、多品種少量生産ながら、野菜の農場も自前で運営することになる。ちなみに、レストランで提供するマガモなども、農場の中で飼っている。

 なお、井村さんのつぎなる目標は、農場の生産性を上げていくこと。これまでは、二カ所(河北潟干拓地と能登半島の耕作放棄地の復元)で、農地の規模拡大に注力してきた。しかし、差別化された有機農産品なので、小売価格が通常の倍になる。十分な収益は得られているが、反収は通常の半分しかない。もし生産性が上がれば、収益性はそれと比例して高くなる。「反収の伸びしろが大きいから、生産性向上には大いに取り組む価値があると思っている」(井村さん)。

 ところで、金沢大地の販売先は、大手小売業や商社、農産品宅配専業会社、全国の生協などである。オーガニック農産物や有機食品を扱っている大手は、ほとんどをカバーしている。麦茶、醤油やみそなどの加工品は、一般のスーパーでも入手可能である。

 

 7 「金沢ワイナリー」とレストラン事業

 ご自身の「夢の棚卸し」(能登の耕作放棄地)から始った事業。河北潟干拓地の開拓が終わって、能登の門前町(山是清)や珠洲地区(珠洲市)の耕作放棄地の復元で、大豆や麦、コメを作っていた。すでに地元産の原料を使って日本酒(滉)を作った実績がああった。つぎなるステージとしては、「地域を活性化させることを考えるなら、観光との連携を考える必要がある」(井村さん)。

 能登の土地は、珪藻土壌で「痩せて」いる。ブドウの栽培に向いている。第3セクターで開発した「能登ワイナリー」の事例があった。ブドウ畑の中心に醸造所を作る。集約などを計算してみると、利益を出すことが難しいという結論。「アーバンワイナリー」(大阪の藤丸醸造所、江東区の清澄白河にもレストラン併設のモデル店舗あり)が有望と判断。

 金沢の町家を改装。一階が醸造所、二階がフレンチレストラン。能登ワイナリーの3分の一の規模でスタート。クラフトワイナリー+レストラン。国の六次化認定委員のネットワークを活用。政策金融公庫から借り入れを起こす(無担保融資)。醸造免許が下りる(10月22日)。ワインの醸造実習は、富山県氷見の「Say’s Farm」で二年間。能登でブドウ畑を構える。

 

 8 CI(ブランディング)

 将来のこと。会社名を変えていきたい。今回のワイン醸造所に併設したレストランは、A la ferme de Shinjiro(辰二郎農場?)。名前に、創業者の名前が入っている。長く続く会社(老舗)は、店舗名や会社名に、土地や商品カテゴリーではなく、「家」の名前が入っているケースが多い。

 現在の社名は、農産加工品の製造メーカーである「金沢大地」。願わくば、「井村農園」や「辰次郎ファーム」のほうが響きが素敵。とくに、小売りサービス業の場合は、家や名前のほうが、親しみやすく、消費者とのつながりが持てる。というわけで、レストランの名前には、「辰二郎」を加えた。

 井村辰二郎、小泉進次郎(金沢大地を訪問してくれたことがある)、鳥井信治郎(サントリーの創業者)、、、「しんじろう」の時代が到来している。

 

 夕方7時からの井村さんの講演(@法政大学大学院)を楽しみに。