本稿は、「インタビュー記事:日本企業のアジア進出“マーケティングに唯一の正解はない”」(『I.M.Press』2011年7月号)をもとに、日本企業のアジア進出という視点からまとめ直したものである。
「アジア市場をやさしく包み込む」『流通情報』2011年11月
<日本にとってアジアはひとつ>
アジアの市場はひとつである。メーカーも小売業も、そしてサービス業やIT産業も含めて、日本の企業は、21世紀の早い段階でアジアに拠点を構えなければ、もはやビジネスそのものが成り立たない。全農や日本医師会など、規制で守られている業種の「TPPアレルギー」を見ていると、1970年代に「大型店」に反対してきた商店主や既存流通業の対応を見ているようで残念である。地方の商店街をシャッター通りにしてしまったのは、「旧大店法」と流通規制を盾に自己革新を怠った反対勢力のプレイヤーたちである。
日本が経済主体として今後、アジアとどのように向き合うべきかを考える際に参考になるのが、この30年前の教訓である。規制で守られ生き延びることができた産業など、世界中を見渡してもどこにも存在していない。メーカーはもちろんのこと、商業分野にも農業部門にも例外はない。日本の国土(農地)や商業環境(街づくり)を保全しようと真剣に考えるのならば、自分たちのいまの生活を守る規制は不要である。未来に残すべき農地と美しくて住みやすい街をデザインする具体的な構想を提示すべきである。青写真が描けないのならば、市場にその決着をゆだねるべきである。
国内の消費市場は縮小している。何もしなければ、アジアのマーケットは、中国、韓国、台湾などの企業にさらわれてしまう。ユニクロのように、決然とニューヨークやパリに進出している企業もある。アジアで一番になれなければ、グローバルな競争を戦えはしない。明々白々な事実である。
日本とアジアの抜き差しならぬ関係について、一つの例をあげてみよう。ラーメンチェーン店の「日高屋」では、労働力の外国人依存度が約3分の1である。わたしが関係している農業分野でも(たとえば、地方の育苗センターでは)、生産現場に2割ぐらいの外国人研修生が入っている。ところが、東日本大震災の直後に、研修生の半分ぐらいが国に帰ってしまった。手が足りなくなった外食産業や農業部門は非常に困ってしまったのである。すでに日本の産業は、すみずみまで多くの外国労働者に支えられているということである。
それとは対極に位置する、流通サービス業のアジア進出の実態を見てみよう。たとえば、イタリア料理店の「サイゼリヤ」は、先月の時点で、中国の店舗が100店を超えた。数年前までは、中国の店は大苦戦をしていたのである。ファッション衣料店の「ハニーズ」は、今年中に中国の都市部で、300店舗に達しようとしている。メーカー部門だけではなく、流通サービス業のアジア進出のスピードは、この先も鈍ることはないだろう。
自動車の組み立てラインや電子部品の調達など、アジアとの緊密な結びつきについては、今回のタイの大洪水での工場の被災を見ていると、今更ながら強い依存関係にあることを自覚することになった。日本の産業にとって、アジアはひとつなのである。少なくとも、アジアと日本の間では、経済的な開放政策を拒否するという選択肢は存在しないのである。
<アジアの国に移転すべきは、きめ細やかなサービスと品質へのこだわり>
イトーヨーカドーの中国出店を描いた『巨龍に挑む』(ダイヤモンド社)という本がある。週刊ダイヤモンドの編集長だった湯谷昇羊氏が書いた著書である。湯谷氏によると、北京と成都でイトーヨーカドーが成功できたのは、単に日本の商品を中国に持って行ったのではない。お客さまへの接し方や、催事やプロモーションのやり方などを持ち込んだ点が成功の秘訣だったと記している。早くから中国に進出した伊勢丹などでも、当時の状況は同じであった。日本企業が中国に移転したのは、商品そのものよりも、古くから日本の旅館などで実践されていた「おもてなし」の精神や、質の高いサービスだったのである。
日本文化の特徴は、サービスやモノの作り方が丁寧だということである。例えば、中国からの旅行者は、日本の商品に大きな関心を示すが、同時に、日本の百貨店やサービス業などの接客や雰囲気を楽しみたいと思っている。日本人の接客技術や清潔さなどは、国際的に見てもかなりレベルが高い。たとえば、マクドナルドの店舗は、世界中どこでも、基本的に同じマニュアルで運営されている。しかし、世界中でもっとも清潔で、気持ちが良いサービスを受けられるのは、日本の店舗である。回転寿司のような低価格店でも例外はない。コンベアに乗ってくる寿司ネタは超特価品だが、一定水準のサービスはきちんと提供されている。その背景にあるのは、独特のおもてなし文化である。そして、モノへのこだわり(緻密さと完成度への要求)である。
いずれは、アジアの中進国も豊かになってくる。日本のモノ作りや、サービスのきめ細やかさ、品質の高さに注目するようになるだろう。だから、ユニクロやサイゼリヤだけでなく、ハニーズや味千ラーメンなど、日本国内では二番手・三番手企業ではあっても、アジア市場では大きな成功を収めるチャンスがある。
<アジア展開で乗り越えるべき4つの壁>
異文化間で商品やサービスを移転しようとするとき、乗り越えるべき4つの壁が存在する。言語の壁、文化の壁、規制の壁、経済の壁である。幸いなことに、アジアの国に商品やサービスを移転するとき、日本企業は、欧米企業と比べて、言語と文化の壁を乗り越えることはたやすい。漢字文化という共通文化が基底にはあるからである。
問題は、制度の壁である。10年前に、ファッション雑誌『Oggi』を中国に持ち込もうとした小学館は、『今日風采』という現地の雑誌を買い取って、日本のコンテンツを掲載するという方法を採った。商品そのものが受け入れられなかったからではない。新しいタイトルが入手不可能だったからである。トヨタ自動車は、独自のブランド戦略を推進したいと考えているが、現実的には国営企業とのジョイントベンチャーで事業を展開している。しまむらは、今秋に中国に出店するが、最初に台湾に出店したのは、中国で輸入品を販売できなかったからである。両社ともに、制度の壁に阻まれている。時間が解決するのを待つしかない。経済の壁は、いずれその国が豊かになってくれば障壁ではなくなってくる。
ところで、豊かになりつつあるアジアの国と付き合うときに、日本企業に必要なものはなんだろうか? それは、アジア諸国の文化や現地の習慣に寛容に接することである。
たとえば、中国系のアジア人は、自分のキャリアアップが第一優先で、しばしば転職を繰り返す。そのことを咎めてはいけない。また、タイ人の男性はとくに総じて熱心に働こうとしない。しかし、そのことを責めてもしかたがない。労働に対する姿勢は、現地で経営する大前提である。そのことを受け入れた上で、事業を組み立てる必要がある。
なお、消費者に喜ばれる商品やサービスは、国際通用性がある。文化の差異を受け入れながら、現地の人たちの価値観を大切に考えることである。ある程度豊かになってくると、文化が違っても人々が求めるものに大差はなくなってくる。良い服を着たい、良いテレビが欲しい、良い車に乗りたい、良い教育を受けたいは、豊かな社会にとっては共通のニーズになる。ただし、何を「良い」と考えるかは、文化によって異なる。しかし、場合によっては、説得的なコミュニケーションによって価値観が共有できることもある。日本人も、数千年前に中国の漢字文化を、60年前に米国のライフスタイルを取り入れている。アジアをやさしく包み込みことで、良き日本の商品やサービスが、アジアンの国の人々の豊かな生活に貢献できるかも知れないのである。