生まれてはじめての経験だった。酔っていたのでよく覚えていないが、自宅の階段を、上から5~6段そのまま転げ落ちたらしい。「夢の中で階段から落ちた」と思っていた。それが、朝起きてみたら、ほんとうに怪我をしていた。左の眉間が切れて、ほお骨を軽く打撲していた。
午前中は、幕張テクノガーデン(D棟)で、アポイントがあった。眉と一部分、顔を擦ってはいるが、マキロンで早めに手当てをしておいたのがよかったらしい。それほど傷が痛まないので、海浜幕張駅まで、東松戸から乗り換えて、武蔵野線の電車に乗った。
1月ほど前から、「デンタルサポート(株)」の寒竹郁夫社長(歯科医師)に、インタビューを予定していた。元カフェドクリエの大津さんの紹介である。インタビューの内容は、別途に、詳しく書くことにする。
簡単に言えば、デンタルサポートの事業とは、歯科医師を介護施設や在宅介護家庭に派遣する往診サービスである。支援業務(サポート事業)としては、営業活動、受付業務、総務・財務、ルート設計、保険請求事業などを含む。
現在、全国約50か所の医療法人をネットワークしており、売上高が約100億円。デンタルケア医療(含む、医科)のトップグループ(オンリーーワン企業)で、「擬似的な」フランチャイズビジネスである。擬似的と書いたのは、制度的には、必ずしも、FCではないからである。
人の縁とは、異なものである。寒竹さんは、船橋高校の卒業生だった。なんと、息子(長男の由)と同じ、船高の野球部出身である。同期生に、慶応大学商学部の高橋郁夫くん、いや高橋教授がいる。高橋君は、ピッチャーだった。寒竹社長のポジションは、そうか聞き忘れた。
あとで、広報部の中山さんに聞くことにしよう。
12時半にインタビューは終わったのだが、だんだんと顔の腫れがひどくなってきた。午後からは、JFMAの理事会がある。さらに、夕方からはイブニングセミナーである。アルコールが入るのは、体によくない。
アシスタントの青木と食事のために中華料理店に入った。隣りが調剤薬局だったので、化のう止めの塗り薬をいただいた。
冷やしめんを食べたがいまいち食欲がない。当然のことだろう。体が傷と戦っているところだ。松島専務に電話をして、理事会を欠席することにした。そのまま、白井聖仁会病院に行くことにした。
外来の外科である。診察券はもっていないが、偶然に運がよく、保険証がかばんの中に入っていた。駅前の駐車場に車を停めてある。そのまま病院まで行ける。
長峰先生が担当だった。まずはひとこと、「傷は浅いですね」。消毒をして軟膏を塗ってくれる。化のう止めである。同じ薬だが、値段は圧倒的に安い。ゲンタシン軟膏0.1%(260円)。だって、保険が効いているからだ。幕張の薬局では、「類似商品」が650円だった。
「傷はすぐに治りますよ。気持ちが悪かったら、レントゲンでも撮りますか?」と長峰先生。頬の腫れに触りながら、「いや、ときどき骨が折れていることがあるのよね」。「いえ、けっこうです」とわたし。
骨が折れているはずがない。痛くはないのだもの。レントゲンで被爆は、いやだ!
昨夜の転落の原因は、
(1)くそ暑い中を10KMも走ってきたこと(大汗をかいて、足が疲労気味だった)、
(2)シャワーを浴びてすぐに、ビール(350CC)とワイン(300CC)を一気に飲んだ。
(3)よせばいいのに、さらに、神谷バーのデンキブランを、ハイボール風に3杯。
わずか1時間ほどで、完食完杯。最後のデンキブランが余計だった。
夕食の会話の内容が、1月に亡くなった義父(奥村正太郎さん)のことになった。これも、階段からこける原因になった。なぜって、お盆の夏だから、その年に亡くなった人のことを思い出すと、気持ちが重たくなるものだよね。
でも、大けがにならなかったのは、日頃からの運動のたまものだろう。受け身がうまかったらしい。覚えていないので。かすかに、右の親指の爪に、白い擦過傷がはいっていた。よくよく体をチェックしたら、きっとかすり傷がいろんなところについてそうだ。
一番危ないのは、頭かも、、インタビュー中に言葉(単語)が出ないことがあった。
外科の診察室から出るとき、カバンを持つのを忘れてしまった。長峰先生に、「まだ、二日酔いのようですね」と笑われた。「そう、きっと足がもつれたんですよね」。
これって、年齢ということかな。でも、アルコールは控えめに。何かのシグナルなのだろう。このごろ、やたら飲みすぎで乗り越しが増えている。
追記:
右の掌が打撲しているらしい。4本指のジョイント部分が曲がりにくい。右手で突っ張ったような、かすかな記憶がある。右肩が痛い。打撲をしてるかもしれない。右の足首の痛みは、マラソンだけでもなさそうだ。