デフレの正体は、人口の波動だった!そして、デフレ脱却のために、わたしたちが今からやろうとしていること。

 藻谷浩介氏という経済アナリストがいる。日本政策投資銀行の参事役で、『デフレの正体』というベストセラーを書いている。通説とは異なる、戦後日本経済史観がおもしろい。


角川書店から昨年6月に発売された書籍は、一年後のいま20刷りを記録している。累計では30万部は売れたのではないだろうか。もしかしたら50万部を超えて売れているのかもしれない。
 内容は、タイトルの通りである。バブル崩壊に始まる経済不況の原因は、単純に団塊世代の生産年齢人口の減少にある。それは、政府の経済政策、成長戦略の失敗によるものではない。わたしも、この点は誤解していた。
 読めば読むほど正しい結論、正論である。論旨には、全面的に賛成である。さらには、日本経済再生の処方箋について、わたしが10年前から主張してきたことと、かなり一致した見解である!

 1、高齢富裕層から若者への所得移転
   (だれが考えても、団塊以上の世代は金を持ちすぎている、後述)

 2、生産年齢にある女性の労働力化
   (「しまむらとヤオコー」で書いたテーマ、
   地方に住むパート労働者の戦力化が地方経済活性化のカギである)、

 3、外国人労働者への定期就労許可
   (農業分野では、アジアの新興国が実際に行っている実践である。
   たとえば、マレーシアのキャメロンハイランドに行けば、バングラディシュや
   インドネシアから、3か月間だけ就労ビザで働きに来ている。その住まいも準備されている)、

 すべて、同意できる。藻谷氏の主張で、わたしが実践してきたことを紹介したい。
 とくに、「1 若者への所得移転」についてである。

 2012年度から、わたしが校長を努めている経営大学院のIM研究科では、教授全員に65歳で退職していただくことになる。H大学の一般学部とは異なり、IM研究科では自動的に定年は延長しない。形式的な採決もとらない。
 そのかわりに、審査の上で、任期つきの教授になっていただくことになる。わたしについても、あと5年後には同じ扱いにする。お気づきだと思うが、わたしがいろいろな場所で、「65歳で大学を辞める!」と言っているのはそのことである。自分も例外ではない。

 退職後は、給与水準が3~4割減になる(年金の支出がはじまるので、実際の手取りでは、当面は1~2割程度の減収になる)。世の中ではふつうのことだが、大手私大のかなりでは、いまだに70歳まで賃金カーブがフラットのままである。
 要するに、65歳の定年延長以降でも、ほとんど給料が変わらない教員が多い。これは、どう考えてもおかしい。大学財政にとっても不幸なことである。みな気がついてはいるのだが、既得権益なので、だれも放棄しようとはしない。

 65歳で定年とする狙いは、第一には、若い教員を採用するためである。結果としては、自分達の身分放棄と賃金の自主的な引き下げにつながる。しかし、それは仕方のないことだ。御身の安泰よりは、社会最適を考えようではないか。
 だから、制度の切り替えにあたっては、学科長として慎重を期したつもりである。一年間をかけて、教授会メンバー全員に面接して、わたしの考え方を説明した。
 待遇面で不利になりそうな人には、特別な措置をとりたいとも述べた。そのための議論と理事会との折衝も怠ってはいない。来週も、某理事と面談することになっている。
 結局、昨年度の教授会で、全員に基本路線に賛成していただいた。問題はいくつかあったが、実現すればだが、大学院の教員スタッフの若返りと、コスト削減の両方に貢献することができる。
 大学の理事会に説明をして、いまは最終の確認をお願いしているところである。この案件は、まだプロセスの途上にあるのだが、わたしたちの決議は大学にとってまったくマイマスにはならないだろう。

 思うに、わたしたちの世代は、率先して若い世代に雇用機会を提供すべきである。大学もその例外ではない。年齢を経ても、高い知的生産性を維持できるのは、それは遠い昔のことである。
 情報社会のなかで、わたしたち大学教員は、いまや知的な特権階級であるだけでは済まされない。実質は、教室で汗を流して大学生や大学院生の指導に当たる「肉体労働者」でもある。だから、年齢の割に元気なわたしであっても、65歳でいったんは定年を迎えるべきである。
 そのあとは、パートタイム教員として、細く長く時間を過ごせばよいではないか。

 どんなものだろうか。わたしたちの決定は。戦後の経済成長のおかげで、比較的恵まれて過ごてき世代が、自らが血を流し、己の肉を削ぐ覚悟をするという宣言である。そうでもしなければ、日本経済とこれから社会に出て働く若者たちは浮かばれないのではないか。
 世代交代を早めることで、そのことを制度的に実現することで、日本社会を活性化することに資する努力をしたい。そう思って、決断を下したわけである。わが教員スタッフたちは、常識人であることを誇りに思う。

 なお、2と3については、別の機会に、詳しく議論と実践を紹介したい。