ずいぶん久しぶりで、『チェーンストアエイジ』誌から原稿の依頼を受けた。2011年6月1日号で「大震災特集」の号を企画したらしい。わたしへの寄稿依頼は、「パラダイムシフト下のマーケティング活動」というテーマだった。ドラフトをアップする。
『チェーンストアエイジ』(ダイヤモンドフリードマン社)2011年6月1日号
「パラダイムシフト下のマーケティング活動」(改訂2版)
法政大学大学院イノベーションマネジメント研究科教授 小川孔輔
東日本大震災は、マーケティング活動の枠組みを根本から変えてしまったのだろうか?本稿では、震災後に変容するとみられるパラダイムの変化を、(1)天然資源の制約、(2)取引関係と調達のネットワーク、(3)消費者心理の変化、(4)マーケティングの計画と実行、の4つの側面から議論することにしたい。
(1)新しい現実=天然資源の制約
わたしたちが生活者として最初に見た現実は、「電力やガソリンなどのエネルギーや、安全な水や空気などの天然資源が、いつでもどこでも無制限に入手可能である」という前提条件が失われたことである。
震災後すぐに、福島原発からの電力供給が止まった。その翌々日から、首都圏では計画停電がはじまった。電気が来ない中で、ひとびとは懐中電灯やローソクで明かりをとらざるを得なかった。そして、通勤の足を奪われた人たちの帰宅時間が早まったことで、首都圏の小売サービス施設は、夕方からの商売を完璧に失ってしまった。新しい現実の意味するところは、「お金さえ支払えば、エネルギーや安全な食料品をいつでもどこでも、素早く手に入る時代は終わったかもしれない」ということである。
近代マーケティングは、150年前に米国の東海岸で生まれた経営のパラダイムである。誕生の背景にあった社会的な条件は、産業革命の後の生産性向上によって、大量に作られるようになった工業製品のために、新たな販路を開拓しなければならないというプレッシャーだった。同じ時期に勃興してきた近代チェーン小売業が、大手メーカーの経営課題を販売面から解決していった。
供給者の論理を消費者志向に代置し、最終顧客のニーズに寄り添う形で製品を開発する。より安価で良質な製品を生産することにメーカーは腐心してきた。その場合、原材料とエネルギーは無限であることがマーケティング活動にとっての前提だった。資源や商品の需給バランスは、市場原理で解決できた。ところが、わたしたちがいま見ている現実は、「自然条件の変化が、マーケティング活動の制約になりうる」というパラダイムシフトである。近代マーケティングの成立要件が、リスク管理と資源確保のために、大きく制約を受けるかもしれないのである。
(2)取引関係と調達のネットワーク
大震災後に、自動車メーカーや家電メーカーでは、部品不足に見舞われた。自動車の組み立てラインは、工場そのものが無傷ではあっても、被災した協力工場から数点の部品が入手できないために、生産ラインが動かせない状態に陥った。また、被災地の小売・飲食店では、ライフラインが寸断されたことで、生活必需品の供給がままならなくなった。
被災の程度や補給・調達の条件に関しては、どのメーカーもどの小売チェーンも、震災直後は同じようなものだったはずである。ところが、子細に観察していると、いち早く部品や仕入れ商品の調達に成功した企業と、いつまで経っても陳列棚が空っぽのままのチェーンがあった。ミネラルウォーターや乾電池が買い占められていた時でさえ、店頭には何らかの商品が並んでいたチェーンもあった。その違いは、どこにあったのだろうか。
考えられる理由は、ふたつである。一つには、その企業が商品の代替的な調達ソースを持っていたかどうかである。これについては、メーカーも流通業も同じである。調達や物流そのものに関してリスク分散ができている企業は、商品や部品の供給面で立ち直りが早かったと考えられる。
二つ目は、ふだんの取引の中で、誠実で正直な商売をしていたかどうかである。買占めの対象となった商品について、現場にヒアリングしてみたところ、この点について明確な答えが返ってきた。PB商品の開発や調達ルートの開拓で、企業同士が協力的に取り組んでいた企業ほど、水や乾電池やインスタント食品の調達に苦労していない。ディスカウント体質の企業で、ベンダーに厳しい取引条件を求めてきた企業は必要な商品を揃えることができなかった。
(3)消費者心理の変化
大震災は、消費者の心理に暗い影を落としている。被災地の消費者でなくとも、日常生活の過ごし方が変わってしまった。しかし、モノ不足に見舞われたオイルショックの1970年代とは違う点がひとつだけある。それは、いまの状況が10年から20年は続くだろうということを、日本人が自覚していることである。復興はこの先も長期にわたり、この国で暮らす限りは、原発の影響から逃がれることができない。
昨年4月に、仕事でトルコの古代遺跡カッパドキアを訪れた。12世紀のトルコ人キリスト教徒は、隣国であるペルシャのイスラム教徒からの脅威につねに晒されていた。ガイドさんの説明によると、トルコ人は洞窟にトンネルを掘って、イスラム教徒からの襲撃に備えた。収穫した穀物を洞穴に蓄えて暮らす生活が、その後も百年以上に渡って続いた。
現在の日本は、高水準の科学技術を誇り、生産性の高い企業システムに支えられている。ところが、心理面だけを見れば、異教徒の迫害に苦しんでいたカッパドキアのトルコ人とよく似ている。地震と津波の再来と放射能漏れに恐怖を感じながら生きているわたしたちの現実は、当時のトルコ人と大差がない。
厳しい生活環境の変化を経験しながら、商品の安全性と環境破壊を防ぐための努力には、継続的に貢献していかなければならない。そのために、国家として多大なコストを負担することになるだろう。その意識と覚悟を、日本人のほとんどが認識している。われわれはなんとも律儀な国民である。とくに、地域社会に基盤を持つチェーンストアは、生活環境が激変してしまったコミュニティに住む生活者たちを支援していく役割がある。雇用の確保と商品供給について、責任をもって誠実に対応することが求められている。
(4)マーケティングの計画と実行
マーケティングのやり方は、この先に大きく変わることになるのだろうか? 今回の大震災では、物流ネットワークと在庫の持ち方に注目が集まった。日本の企業が得意とするジャストインタイムの生産・物流方式が、震災によって裏目に出たように見えたからである。個人的な見解を述べさせてもらうならば、JITシステムそのものを変える必要はないように思う。
日本のシステムが危機的な状態に陥ったのは、別のところに課題があったからである。すなわち、①特殊な部品の点数が多すぎたこと、②それが業界共通の部品であったこと、③調達先のトレーサビリティが確保できていなかったこと。しかし、そのいずれもが、部品点数を減らし、緊急時に特殊なモデルの生産を縮小する計画のプロセスに組み込めばよい。部品の発注に関しては、取引データベースを確立することで回避できるだろう。
ただし、メーカーも小売業も、大震災からは大きな教訓を得ている。従来は効率的だと考えられてきた全国一律のマーケティング活動の再考である。日本全体を、効率一辺倒の標準化されたオペレーションではなく、ある程度独立した複数のエリアに分割(デカプリング)することを考慮したほうがよい。そうのように考える企業が現れてもおかしくない。そうしておけば、緊急時には、被害がより軽微な地域からの支援で、被災地域の復興が迅速かつ円滑に達成できるだろう。全国市場のデカプリングを正当化することは、近代マーケティングの基本パラダイムを部分的に否定することである。
最後は、実行面についての留意点である。1000年に一度の稀有な大震災に備えて、ハード面で対応することは資源の無駄のように思う。それよりはソフト的に対応したほうがよいだろう。緊急時の商品在庫の不足は、短期的に仕方がないと考えるべきである。むしろ大切なのは、寸断された物流ネットワークを早急に復旧させるためのコンティンジェンシー・プランを立案しておくことである。
マニュアルだけでは不十分である。実行可能な計画を事前にシミュレーションしておくべきである。その実例は、本誌2011年5月1日号(渥美六雄氏の論考「「店舗を営業し続けるため」のチェーンストア災害マニュアル」)で詳しく紹介されている。