海外から、日本の地震を心配して、メールがどんどんやってくる。世界地図のスケールでは、三陸海岸と東京は、すぐの距離に見えるのだろう。ありがたいことだ。家族も身近の知り合いも、全員が無事である。しかし、仙台の友人のうち数人が連絡がつかない状態にある。
ようやく落ち着いたので、友人たちにPCメールを送っている。携帯では、思いついたところから送っていた。大学院生たちは無事のようだ。学部ゼミ生たちとは、全部とは連絡がついていない。
以下は、大学院の学生に送ったメールのコピーである。今回のような大災害を経験すると、いろいろなことを考えてしまう。不注意や準備不足。緊急時の対応のあり方など。
文中の竹本君は、大学院小川・平石ゼミのゼミ長である。ゼミの皆さんからは、安全確認のメールをいただいていた。わたしの返信が最後だったようだ。
3月12日、朝6時ごろ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
竹本 君 (CC:小川ゼミの皆さん)
おはようございます。
わたしが連絡の最後になりました。
ブログを見たかたは、ご存知と思いますが、
わたしは、当日、静岡セミナー(講師)のため、
東京駅まで歩きました。最初に動き始めた新幹線で
新横浜まで。のろのろ運転で、もはや開場の6時半には
間に合わないのがわかった時点で、今度は、上りの電車で
東京駅に。そこから歩いて麹町の事務所(JFMA)に
歩いて戻りました。女性職員たちが残っていたので、
保護もあって、そこで一晩泊り込みました。昨夜、
ようやく自宅に帰りました。いま起床したところです。
大学の研究室は、書棚が倒れて、全館入室禁止です。
月曜日には、片付けに出るつもりでいます。
本日は、さすがに自宅に待機しています。
翻訳の校正作業には、ちょうどよいかもしれません。
いずれにしても、地震災害があって、物流網が
寸断されています。いまも、余震がありましたね。
福島の原子力発電所のことも心配です。
今回は、緊急時に携帯がまったく使えないことに
いらだちました。ソフトバンクは、最悪でした。
比較的通信状態がよかった「au」(かみさんの携帯)に
乗り換えることを考えています。というか、
ツイッターが使えたことを考えると、地震国の日本は、特に、
非常時の通信環境を、根本から設計しなおすべきでしょうね。
皆さんも無事だったようで。
小川