しばらくぶりで劇団四季の公演に出かけることにした。演目は、「ノートルダムの鐘」。場所は、神奈川芸術劇場@横浜。この間、何度が劇団四季から新作上演のご招待状をいただいていたが、忙しくて劇場に足を運ぶことができなかった。昨年度、京都女子大の補講授業で、ライオンキングを観劇して以来になる。
わたしは、飛行機の機内で映画をたくさんみるほうだ。狭い機内で映画を見るときは、「鑑賞ガイド」(短いあらすじ)があると迷わなくて済む。わたしは、逆に、まったくガイドがないと心理的に不安になる。始末が悪い。
てなわけで、自分のメモのために、「ノートルダムの鐘」のストーリーを略記しておく。鑑賞後の感想は、来週の日曜日(4月15日)に舞台を見てから。
この作品はもともとは、世界的文豪ヴィクトル・ユゴーの代表作「Notre-Dame de Paris(ノートルダム・ド・パリ)」が下敷きになっている。ユゴーの原作をもとに、ディズニー音楽の巨匠アラン・メンケンが「愛の物語」として改作したものである(らしい)。
文豪ヴィクトル・ユゴー(むかし、「ユーゴ」と発音していた記憶がある)の作品は、高校生のころに読み終えているはずだが。どうも、あらすじだけ読んでも、世界文学全集を読んだときの記憶が蘇らない。
*大西正也さんからさきほど、「その作品の原作は、ノートルダムのせむし男ですよ」とメールをいただいた。そうだった。「せむし男」が思い出せなかったのだ。
劇団四季のHPでの説明によれば、
「これまでにも映画化、舞台化が繰り返されていますが、 劇団四季が上演するのはディズニー・シアトリカル・プロダクションズが製作し、2014年に米国カリフォルニア州サンディエゴのラ・ホイヤ劇場で初演」となっている。
なかなか思い出せなかった「あらすじ」のはじまりは、つぎのようになっていた。15日が楽しみではある。
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カジモドの切なく悲しい愛の物語。
そのなかに見出す、ひとすじの光とは――。
15世紀末のパリ。
街の中心に存在するノートルダム大聖堂の鐘突き塔には、
カジモドという名の鐘突きが住んでいた。
幼き時に聖堂の聖職者フロローに引き取られた彼は、その容貌から、
この塔に閉じ込められ、外の世界と隔離されていた。
塔上から街を眺めて暮らす日々。友と言えば、
何故か彼を前にした時に生命を宿す石像(ガーゴイル)と、鐘だけ。
いつも自由になることを夢見ていた。
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