大学院セミナーのレジュメをアップします。当日は、パワポで両社の年表や口絵、文中に登場してくるセピアカラーの写真や図表を配布します。実物は20日あがりです。サイン会は実施できません(笑)。聴講の申し込みは、まだ間に合います。大学院事務(藤井さん)へ。
「しまむらとヤオコー:小さな町が生んだ二大小売チェーン」
法政大学大学院セミナー(IM研究科 学生募集セミナー)
2011年1月15日(土) 午後13時半~
講演者:小川孔輔 + コメント:園田健也氏(小学館編集部)
1 なぜ、「しまむら」と「ヤオコー」なのか?
(1)会社概要
・ 業態、売上高、店舗数
「しまむら」 ・・・ 衣料品スーパー専業
売上高 約3700億円(2010年6月期、単体)
日本と台湾に、約1600店舗
標準店(350坪)、都心店舗(150坪)
(ファッションセンターしまむら 約1200店舗、他4業態)
「ヤオコー」 ・・・ 食品スーパー専業
首都圏でのみ展開、約110店舗
売上高 約1800億円(2010年6月期、単体)
標準店(650坪)、都心型(450坪)
(調剤薬局の「日本アポック」、惣菜子会社「三味」)
(2)日本の戦後流通史の典型としての両社
・ 両社の成り立ち
戦前ほぼ同じ時期に、埼玉県比企郡小川町で、
地元の繁盛店(呉服屋と八百屋)から、セルフサービス店をはじめる
総合化を目指すが、挫折して「専門業態」に特化する
・ 共通点: 地方の小さな町の出身であること
女性パート従業員の働き方に特徴がある
成長のスピードが緩やかであること
チャレンジ精神が旺盛であること
・ 相違点: 事業継承の仕方が対照的(理念継承 対 ファミリー)
人材の採用方針が異なる(自社育成 対 スカウト人事)
店舗の統制方法の違い(集権的 対 分権的)
パート従業員の役割(標準化作業 対 自主的判断)
(3)地方出身企業の強み
・ 企業規模がすべてを説明するわけではない
・ 地方企業は、専門店集団で、しかも、例外なく後発である
・ ROA(総資産利益率)が高い企業は、ほとんどが地方出身企業(図表参照)
・ なぜ、そうした都市と郊外(田舎)の格差が生まれたのか?
要因1: 店舗運営のための費用構造の違い(低家賃、低賃金、郊外立地)
要因2: 生活者ニーズの中心(日常消費は、地方や郊外にあった)
要因3: 経済成長が90年代を減速した(地方企業が相対的に有利だった)
2 本書の構成:3部構成
“もくじ”と“口絵年表”を配布のこと
(1)導入部
・ 序章 ・・ 両社の概要、成り立ち、特徴
・ 第1章 ・・ 女子従業員の働き振りを通した現場(店舗)の紹介
(2)創業物語(1948年~1980年)
・第2章 ・・ セルフサービス店への転換まで
・ 第3章 ・・ 人材の確保とチェーン組織化
(3)経営システムの確立(1985年~現在)
・第4章 ・・ 独自の経営システムが完成するまで
・第5章 ・・ 経営トップの交替、事業モデルの更なる革新
・終章 ・・ 両社の未来、既存小売業との対比
3 読者に伝えたかったこと
(1)本書執筆のきっかけ
・3度の偶然に導かれる
① 1976年夏のある日 ヤオコー、しまむら7号(児玉店)の学生調査
児玉ショッピングセンターと出会う
② 2001年11月17日 ヤオコー川越本社にて
川野幸夫社長(現会長)の言葉(小川町生まれの2つの企業)
③ 2007年12月31日 ファッションセンターしまむら小川町店
伊藤孝子さんと出会う(島村恒俊オーナーを紹介してもらう)
・ 良き編集者との出会い
① ダイヤモンドフリードマン社 千田編集長+明知さん(編集アシスタント)
2008年9月~ 連載「小川町経営風土記」(22回)
② 小学館 園田さん(姪の近藤恵実子が、少女マンガ雑誌の編集担当)
追加取材(販売担当者、しまむら野中社長とヤオコー小澤部長)
③ 両社の秘書室と経営企画室
わたしのために、取材先などのスケジュールをとってくれた
(2)戦後、地方に生まれた人たちの経験と想いを残す
・ 商人だった両親の人生と、創業者たちの生き様を重ね合わせる
・ 自分と川野兄弟(犬竹さん)、藤原相談役(後藤元専務)の生き方を追体験する
・ 世の中に、事業継承が上手にできる事例を示す
(3)戦後の日本流通史の典型例
・ 後発の地方企業が、「偶然」を引き起こせたのは何だったのか?
① 決断(見切る力)と忍耐力
② 良き仲間(協力関係)と信頼関係
③ 後発だからこそ、懸命に学ぼうとする力
④ 良き成果に対しても、謙虚で驕ることがなかった
・ 企業経営上のポイント
① 女性の力をうまく活用できたこと(苦しいときの女子頼み)
② 独自のシステムを自前で作ろうとしたこと(人任せにしなかった)
③ 長期的なヴィジョンに導かれていた
④ 取引先と対等な関係を構築してきた(ある逸話:サントリー)
4 おわりに
・ 子供のころ(16歳の高校生)、教授になりたかったわけではない
・ 研究者は、あくまでも作家になるための手段だった
・ ただし、教授を辞めて作家に転身するには、3年以内にあと二冊!