9月19日の田沢湖マラソンは、わたしの47都道府県制覇、最後のレースである。カインズの土屋社長のご家族が全員、旅行がてら応援に来ることは、HPで紹介をさせていただいた。ところが、さきほど新しい事実が判明した。20Kにエントリーする予定だった次男が、42Kにエントリーしていたのだ。
次男の真継は、これまでハーフを二回走っただけである。08年と10年の美瑛ヘルシーマラソンだけである。まだ若いのでわたしには勝ったが、19キロ地点で足を吊って、二回ともへろへろののゴールである。
ランナーが当然のごとく通るはずの青梅マラソン(30K)は走ったことがない。子供の頃、わたしに連れられて、98年と00年の青梅マラソンに同行しているだけである。河辺駅の「バーミヤン」の朝がゆを食べて、わたしがゴールするのを体育館近くで待っていた。
中学生になるちょっと前、12~13歳のころ。そうか、あれを見ていたのだ。いつか自分でも走ってみたいと思うようになったのかもしれない。
それが、本日、久しぶりで実家に帰ってきたと思ったら、開口一番、「田沢湖は、フルでエントリーを済ませたよ」と伝えてきた。う~ん。しかも、小田原の河原でBBQをしていて、飲みすぎて足をけがしている。だから、たいして練習もできていないはずである。
身長はわたしより「1センチ」も小さい。体重は「5K」も重たい。それなのに、ここでフルにチャレンジしてくるか、、、 例によって、「おやじ、最後だから勝たせてあげるから、さ、」と、生意気にも、かましてくれる。生意気な息子だ。
来月から、車掌長になるらしい。「25歳は最短なのよね」と、気持ち、ふんぞり返っている。
しかし、もう息子には負けられんぞ。これで敗れたら、3連敗になる。いまは、左の股関節が回らず、ふとものの筋肉もかなり凝っていて、まともに動けない。腰の筋肉のはりもかなりひどい。
田沢湖まで、わずかに6週間。中間の8月28日には、五島列島の「夕焼けマラソン」のハーフを走る。それしか、もうこの先の練習レースは無い。
原稿の締め切りに追われて、去年のようには、まとまった夏合宿はできそうにない。昨年度は、連載が終わって、テキスト本も書き上げて、ずいぶんと余裕があった。よき時代をつらつらと回顧している。新潟県、妙高高原温泉の「岡山館」。法政大学の陸上部合宿所。あのときは、空気が薄かったな。でも、一生懸命に走った。今年もあの訓練を、8月15日を過ぎに、山梨の小淵沢でやるかどうかだ。
気持ちの上では、田沢湖マラソンに向けて調整中である。体重はいま、61KG。目標の理想体重まで、減量を3KG。ここまではなんとか落としてきたが、この先はきびしい。60KGまでは行くのだが、59KG台には、この二ヶ月間、落とせそうで、結局なかなかいけていない。もう、あとがない。
田沢湖は、47都道府県、最後のレースなのだ。息子に負けるかどうかではなく、ここからは自分との戦いになる。理想体重の58KGで、田沢湖のスタートラインに立ちたいな。