有権者は、「社会民主主義」を望んではいなかった

 参院選挙は、わたしの予想がほぼ完璧に当たった。日本人がまともな意識をもった国民であることが証明されて、胸をなでおろしている。「坂野潤治が喝破:「第3の道」を目指す菅内閣は日本初の社会民主主義政権だ」(『週刊朝日』)は大外れだった。当たり前だろう。国民が望んでいるのは、第三の道?社会民主主義ではない。


朝日新聞も、”おばかな記事”を掲載したものだ。嘆かわしいと思っていたら、選挙結果はその通りになった。民主党が政権を奪取したところで、口先だけの「心情左翼」の時代は、終わったのだと思う。
  前回の選挙で国民が民主党に託したのは、「この国の政治を左側に振ってほしい」ではなかったはずだ。民主党執行部の完全な読み違えである。大勝利による慢心もあった。
 国内外のきびしい政治経済状況を踏まえて、まじめに地道に国の政治を動かしていかなければならなかった。それなのに、宇宙人の鳩山首相と、選挙上手がとりえの小沢幹事長で、民主党を動かしてしまった。これが第一幕である。
 
 菅首相が登場した第二幕は、「選挙公約違反」からはじまった。消費税の問題がどうのこうのではない。マニュフェストも、金科玉条ではない。そうではなくて、政策と発言の一貫性を国民は求めたのである。
 メディアの報道を見ていて、マスコミは「物事の本質が見えていない」と強く感じる。結果論を論じているだけである。以下のような重要な論点は、今朝の報道にはほとんど出てこない。

  民主党の最大の問題は、誰を支持基盤として政策を運営していくのかについて、世の中への説明があいまいだったことである。それが証拠に、「外国人参政権」「夫婦別姓問題」など、重要なことはマニュフェストには書いていないことが多い。そちらのほうが、大事な人もいるのだ。
 政権を奪取したばかりで、民主党が政治に関して経験が不足していてから、無知だからではない。こうした不義理について、民主党は確信犯なのだと思う。これは、けっこう罪が重たい。
  国民はふつうの感覚から民主党を支持したのである。政党のバックに、教育系と郵政系の労働組合がついていることを知らなかった。あるいは、知っていても、とりあえずは目をつぶってたのである。

 現実に起こったことは、自民党時代につづく、政治のダッチロール状態を見ることだった。政権交代のあと、政策運営の過程で、国民はあやうさに気がついてしまった。ご託宣を与えたのに、「これは、なんだか変だぞ」。平和・外交問題や公務員制度改革は、これではまっとうに進みようがない。
 選挙目当てのばら撒き(票集め)は、もはや有効に機能しないことがわかった。よいことである。財政規律の問題を乗り越えていくには、やはり古典的な方法(成長戦略)に頼るしかないらしい。
  そして、もうひとつ明らかになったことは、この国の選挙民は、小さなコップの中で演じられている「喧嘩」を見たくはないということだ。

 実は、わたし自身、大学の組織運営で「煮え湯」を飲まされた経験がある。そこから得た教訓は、どんなに素晴らしい理想を掲げても、仲間内で信頼関係が失われた執行チームは、いずれ舞台から退場を迫られるということである。
  菅首相が辛くも現政権を維持できるとしたら、小沢元幹事長を含めて、仲間内をまとめることができるときである。そのときだけである。
 結党時の政治理念をいまだに共有できているならば、そして、互いに共感を持つ関係にあるのならば、危機的な状況にあっては組織の結束力が高まるものである。もしそうでないとすれば、まちがいなく組織は解体に向うだろう。
 
 わたしの予言は、「早い時期に民主党は解体する」である。
 というのは、上のふたつの条件を同党の組織メンバーが共有しているとは思えないからである。かなしいかな、野合と計算から合同結束した組織は、あんがいともろいものである。
 自分もそうした負の体験をしてきたから、直感的にもそのことがよくわかる。

 しまむらの藤原相談役が言っていたものだ。「庶民の感覚は正しい」。