芭蕉ライン、川下り(東根さくらんぼマラソン余禄)

 五月雨を集めて涼し、最上川。約300年前、江戸深川を立った松尾芭蕉が、最上川上流の大石田付近で詠んだ句である。”涼し”を”速し”に詠み替えたのは、船下りを経験した芭蕉が、川の流れの速さに気づいたあとのことである。知らなかった。


当年とって68歳、自称「アルバイト船頭」の西田さんの解説で、古口(ふるくち)の船番所から、12キロ下流の草薙温泉港まで、芭蕉ラインの川下りを楽しんできた。曇り空、微風。21度は、船遊びには最適な気温だが、ひどく日焼けをしてしまいそうだ。帽子を持参していない。
 朝早くに山形から新庄経由で、古口駅まで移動。新庄駅からは、2両編成のヂィーゼル車に乗り換える。ローカル線によくあるワンマンカーだ。運転席の横のシートに座って、進行方向に広がる庄内平野と山の景色を楽しむ。

 田植えが終わって梅雨に入るまでの間に、外国人を地方の温泉宿に案内することがある。JFMAの国際セミナーが、毎年6月にあるからだ。「オー、ジャパニーズ、(ライス)ガーデン!」。水を張った田んぼを見て、しばしば欧米人が発する感嘆の言葉だ。日本の水田の風景は、実に美しい。
 陸羽西線を新庄から古口までは4駅、22分。船番所行きのマイクロバスが、駅員のいない改札口の外で待っている。運転手さんに時間と距離を尋ねる。
 「歩くと15分かかるかな?」。船が出る時刻までは、あと20分。乗船切符をネットで予約しているので、一瞬考えてから100円を支払う。

 10時50分発の第13芭蕉丸に、靴を脱いで乗り込む。同じ時刻発の第18芭蕉丸は、団体さん専用のようだ。船床には、真新しい清潔な茣蓙が敷いてある。定員60名のところ、こちらの乗船客は半分の約30人。梅雨前の最上川を、1時間をかけてゆったりと下っていく。
 山の緑が川面に映って、水面は深くて青い。一見、鏡のように滑らかだが、身を乗り出して川面をよく見ると、流れが急なことがわかる。船頭さんによると、梅雨時になると、水面がさらに4メートルあがって、川の流れはこの10倍も速くなるらしい。
 船縁に背中をあずけて、右岸の急峻な自然林を仰ぎ見る。大滝、白糸の滝、轡(くつわ)滝。所々から、涼しげな滝の水糸が、新緑の壁を縫って流れ落ちてくる。雄大で爽快な気持ちになる。

 船尾で舵を握る若いキャプテンの五十嵐さんは、ちょっとメタボ。スゲ笠を被って、船が進む先の下流の瀬に気を配る。水量の少ないときは、船低が川床に突っ込んで危険なこともあるらしい。
「人数分のライフジャケットは積んでありますよ」と船頭の西田さんが説明する。飛行機に乗るときと同じ要領だ。
 「お相撲さん用には、体を浮かせるために2枚必要になりますね」と乗客を笑わせる。西田さんは、サービス精神が旺盛な水先案内人だ。山形弁は、わたしの生まれ故郷、秋田の言葉とちょっとアクセントや言い回しがちがう。だから、東北人なのに、ときどき話のツボを聞き逃してしまう。
 20分ほど川を下ると、中間点に休憩所がある。トイレ付きの船着場である。エンジンを切らないまま、切っ先を川上に向けて、キャプテン五十嵐は船を桟橋に横付けにする。日差しが強い。
 真昼間だが、アサヒスーパードライの350㍉缶を頼んでしまった。鮎の塩焼もほしかったが、煙が立っていないのでやめた。ボートを風上に着けたせいか、焼き鮎のおいしい匂いが漂って来ないからだ。

 芭蕉丸は、再び岸を離れた。そういえば、どこまで川を下っていっても、最上川には橋がかかっていない。これでは、川向こうの岸辺には船で渡るしかない。右岸は自然がそのままに残されている。切り立った険しい山と、ところどころ耕作放棄で自然にもどった野原ばかり。
 自家用の船を漕いで、川向こうの田んぼや畑を耕しに行くのを、地元の農家がやめてしまったからなのだろう。むかしあった10の分校もいまは閉鎖されている。
 「むかし、小佐野賢ニというひとがおりまして、最上川の向こうまでケーブルカーを渡そうとしたことがあったみたいですが」西田さんのトークは続く。国際興行が観光開発を進めていれば、いまのように芭蕉丸が優雅に川下りできといたかどうかわからない。
 歴史の不思議である。ロッキード事件が、最上川右岸から鳥海山麓まで広がる未開の原野を守ってくれたことになる。

 ♪ヨーイサノマカショ エーンヤコラマーカセー

 最上川舟歌の掛け声が、西田さんのお別れの民謡の節になる。
 年老いてややつぶれた謡声を謝りながら、本歌に入る。むかしの船頭さんならば、切っ先の盧をゆらりとくりながら、そのまま唄をつないだのだろう。

 ♪酒田さ行くさげ 達者でろチャ ヨイトコラサノエー 流行風邪など引がねよに

 乗客から喝采の拍手を浴びで、船は草薙港の船着場にたどり着いた。
 ♪エーエンエーエンヤエーエ