おはようございます。国際チューリップシンポジウムに、パネラーとして招待されて、イスタンブール空港で着いた。4月23日(日本時間では24日の朝方)。空港のコンコースを2Kほど走った。別に汗をかきたかったわけではない。乗り継ぎに往生したからだ。
到着予定が19時35分。実際は、20時15分にタッチダウン。さっそくだが、中東風(しばしば経験する”西アジアの習慣”)の時間感覚にやれた。下船した時点で、乗り継ぎのために、わずか45分しか残されていない。国際線と国内線は、離れたところにあるらしい。
21時ちょうどのアンカラ行きTK2145便は、トルコ大使館からいただいた指示書によれば、「45分前にチェックインしてください」とある。すでに遅れている。たぶん、国内線へのトランスファーは、寄ってきて、詳細に個人ツアーのわたしに説明してくれる人などいないだろう。空港の様子はわからないが、自分でなんとかするしかない。国際空港だが、全体の規模は小さそうだ。
パリマラソンのときの悪夢を思い出していた。2年前の4月、北京経由パリ行の中華航空便の乗り継ぎに失敗した。北京の新しい空港の待合室で、半日待たされた。オリンピックが迫っていた。乗りつきの説明がまったく準備されていなかったからだ。帰りの北京花き示会のホテルで、39度の高熱で寝込む原因になった。
飛行機をおりてから、並んでいる日本人ふたりを拝み倒した。その日は、彼らがイスタンブールに泊まるらしいことを抜け目なくたずねた後である。先に入国審査を通過させてもらい。2分は貴重だ。さて、ゲートがわからない。焦るな!こんなときほど冷静に。1キロほど、国内線のターミナルをさがして、汗をかきかき、動く歩道の上をさらに走る。
この時点で、すでに8時30分。なんとか、その5分後に国内線ターミナルを発見。スマートな髭のオフィサーから助けを得て、アンカラ行きは404番ゲート発から発だとわかる。階段を急いで駆け降りる。その先には、バスが待っていた。どうにか、間に合った。こんなときは、21時の定刻発である。
こんな微妙な乗継ぎではあったが、よいこともあった。国内線がアンカラ空港に着いたら、「国際線からの乗り継ぎ客の荷物は、受け取り場所が別のところにある」と知らされた。特別な移動用バスで、国際線のバゲッジエリアに移動する。
ふつうの旅行者は、わかっている手続きなのだろう。そうなのだが、きょろきょろしている日本人を見かねて、トルコ人のビシネスマンが声をかけてくれたのだ、わたしに、アンカラ空港での荷物のピッキング・システムを親切に説明してくれた。
そのおかげで、外で待っていたシンジャン郡政府(アンカラ郊外20KMのシンポジウムの主催者たち)にうまい具合に無事に出会うことができた。とはいえ、危険を察知してか、責任者のOnal(オナル氏)たちは、国際線と国内線の出口に、2人ずつに別れてわたしを待ってくれていた。丁寧にプラカードを掲げてである。通訳のひとりを除いて、3人は英語を話さない。
本日の式次第を、はじめてそこで知らされた。中東風である。ものごとの進め方において、あきらかに、トルコはアラブ文化圏に属している。それでも、友好的で親日的だ。そして、なによりも、武士道を尊敬している。
さて、10時の待ち合わせの時間に、ホテルのロビーにはしっかり来てくれるだろうか(笑)。絶対に10分から20分は遅れてくるはずである。でもOK。セミナーは、13時半からはじまるのだから。