トルコへの旅:国際チューリップシンポジウム(4月24日@アンカラ郊外)

昼すぎの便で、成田からイスタンブールへ。トルコ共和国へ出かける。友好国のトルコでは、今年が日本年にあたる。アンカラ郊外にある小さな村で「国際チューリップシンポジウム」が開かれることになった。日本人代表としてトルコ大使館から招待を受けた。


不思議な縁である。昨年度、日本チューリップ協会の会長に就任することでもなければ、トルコ共和国から招待を受けることはなかっただろう。花の仕事に関わってきたおかげである。
 2002年には、サッカーのワールドカップで、日本がトルコと戦った。日本は試合に敗れたのだが、そのとき、法政MBAの卒業生から、大島沖で沈没したトルコの難破船を日本人が助けた話を書くことになった。感動の物語がきっかけで、日本とトルコは後々まで友好国になった。この話は、イラン・イラク戦争のとき、トルコ航空機が日本人を救出する話につながっていく。その飛行機に、これから乗ることになる。
 出発前に、日本とトルコを友好的な関係に導いたふたつの話を再掲する。この話は、シンポジウムの挨拶で紹介したいと思っている。つたない英語で、トルコ人の皆さんにうまく伝えられるか心配であるが。
 

<2002.06.16 Sunday> 記事の再掲

「トルコと日本の歴史的関係: エルトゥールル号事件とイ・イ戦争」

社会人大学院の卒業生から、昨日一通のメールをいただいた。トルコと日本の友好史について書かれたモノで、久しぶりに感動的な話だった。

できるだけ多くの、とくに、子供たちの世代に伝えて欲しいと思い、このHPにアップすることにする。
 「誰かに生かされている」ことを忘れかけた不遜な日本人へのメッセージである、と感想をもらしたひともいた。中学の先生からは、明日の朝、サッカー好きのこどもたちに話して聞かせたい、との返信をいただいた。本多さん、いい話を教えてくれて、ありがとう。

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こんにちは。本多良美です。
普段、サッカーにはあまり関心がないのですが、今回ばかりは、どうも、気になり横目でTVなんぞを眺めております。

いよいよ、日本対トルコですね。
この組み合わせを聞いたとき、思わず、トルコのエルトゥールル号事件のことを思い起こしました。
既にご存知のかたもいらっしゃると思いますが、初めて聞く方は是非以下の文を読んでみてください。
日本とトルコを結ぶ過去の事実です。
これを読めば、サッカーでは、日本が勝っても、トルコが勝っても、素直に喜んでいただけることと思います。

なお、読んでみてご関心ある方は、インターネットで「エルトゥールル号」で検索すると、沢山のサイトをみることが出来ます。

本多良美

 【小さな歴史の物語】
エルトゥールル号の遭難 ~生命の光から~
和歌山県の南端に大島がある。
その東には灯台がある。
明治3年(1870年)にできた樫野崎灯台。
今も断崖の上に立っている。

びゅわーんびゅわーん、猛烈な風が灯台を打つ。
どどどーんどどどーん、波が激しく断崖を打つ。
台風が大島を襲った。
明治23年9月16日の夜であった。
午後九時ごろ、どどかーんと、風と波をつんざいて、
真っ暗な海のほうから音がした。
灯台守(通信技手)ははっきりとその爆発音を聞いた。
「何か大変なことが起こらなければいいが」

灯台守は胸騒ぎした。
しかし、風と、岩に打ちつける波の音以外は、
もう、何も聞こえなかった。
このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、
灯台のほうに押し流されてきた。
全長76メートルもある船。しかし、まるで板切れ
のように、風と波の力でどんどん近づいてくる。
あぶない!灯台のある断崖の下は「魔の船甲羅」と
呼ばれていて、海面には岩がにょきにょき出ている。
ぐうぐうわーん、ばりばり、ばりばりばり。
船は真っ二つに裂けた。その瞬間、エンジンに海水が
入り、大爆発が起きた。
この爆発音を灯台守が聞いたのだった。
乗組員全員が海に放り出され、波にさらわれた。
またある者は自ら脱出した。真っ暗な荒れ狂う海。
どうすることもできない。波に運ばれるままだった。
そして、岩にたたきつけられた。一人の水兵が、海に
放り出された。大波にさらわれて、岩にぶつかった。
意識を失い、岩場に打ち上げられた。
「息子よ、起きなさい」
懐かしい母が耳元で囁いているようだった。
「お母さん」
という自分の声で意識がもどった。
真っ暗な中で、灯台の光が見えた。
「あそこに行けば、人がいるに違いない」
そう思うと、急に力が湧いてきた。
40メートルほどの崖をよじ登り、
ようやく灯台にたどり着いたのだった。
灯台守はこの人を見て驚いた。服がもぎ取られ、
ほとんど裸同然であった。顔から血が流れ、全身は傷
だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがっていた。
灯台守は、この人が海で遭難したことはすぐわかった。
「この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだ」と感嘆した。
「あなたのお国はどこですか」
「・・・・・・」
言葉が通じなかった。
それで「万国信号音」を見せて、
初めてこの人はトルコ人であること、船はトルコ軍艦であることを知った。
また、振りで、多くの乗組員が
海に投げ出されたことがわかった。
「この乗組員たちを救うには人手が要る」
傷ついた水兵に応急手当てをしながら、
灯台守はそう考えた。
「樫野の人たちに知らせよう」
灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって
駆けだした。電灯もない真っ暗な夜道。
人が一人やっと通れる道。
灯台守は樫野の人たちに急を告げた。
灯台にもどると、十人ほどのトルコ人がいた。
全員傷だらけであった。助けを求めて、
みんな崖をよじ登ってきたのだった。
この当時、樫野には五十軒ばかりの家があった。
船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、
総出で岩場の海岸に下りた。
だんだん空が白んでくると、
海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。
目をそむけたくなる光景であった。
村の男たちは泣いた。
遠い外国から来て、日本で死んでいく。
男たちは胸が張り裂けそうになった。
「一人でも多く救ってあげたい」
しかし、大多数は動かなかった。
一人の男が叫ぶ。
「息があるぞ!」
だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。
村の男たちは、自分たちも裸になって、乗組員を抱き
起こした。自分の体温で彼らを温めはじめた。
「死ぬな!」
「元気を出せ!」
「生きるんだ!」
村の男たちは、我を忘れて温めていた。
次々に乗組員の意識がもどった。
船に乗っていた人は600人余り。
そして、助かった人は69名。
この船の名はエルトゥールル号である。
助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。
当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。
井戸もなく、水は雨水を利用した。
サツマイモやみかんがとれた。
漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に
換える貧しい生活だ。ただ各家庭では、
にわとりを飼っていて、非常食として備えていた。
このような村落に、69名もの外国人が収容されたのだ。
島の人たちは、生まれて初めて見る外国人を、
どんなことをしても、助けてあげたかった。
だが、どんどん蓄えが無くなっていく。ついに食料が尽きた。
台風で漁ができなかったからである。
「もう食べさせてあげるものがない」
「どうしよう!」
一人の婦人が言う。
「にわとりが残っている」
「でも、これを食べてしまったら・・・・・」
「お天とうさまが、守ってくださるよ」
女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを
料理して、トルコの人に食べさせた。
こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。
また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁重に葬った。
このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に
伝えられ、そして明治天皇に言上された。
明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。
さらに礼を尽くし、
生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、
トルコに送還なされた。
このことは、日本中に大きな衝撃を与えた。
日本全国から弔慰金が寄せられ、
トルコの遭難者家族に届けられた。
次のような後日物語がある。
イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。
イラクのサダム・フセインが、
「今から四十八時間後に、イランの上空を飛ぶすべて の飛行機を撃ち落とす」と、
無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。
日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。
その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。
しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。
世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。
日本政府は素早い決定ができなかった。
空港にいた日本人はパニック状態になっていた。
そこに、二機の飛行機が到着した。
トルコ航空の飛行機であった。日本人215名全員を乗せて、
成田に向けて飛び立った。
タイムリミットの一時間十五分前であった。
なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、
日本政府もマスコミも知らなかった。
前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は
次のように語られた。
「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや
日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、
今もトルコの人たちは忘れていません。
私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。
トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。
今の日本人が知らないだけです。
それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、
トルコ航空機が飛んだのです。」

文・のぶひろ としもり
以上、エルトゥールル号の話は111年前の真実で、
16年前のイラン・イラク戦争時には、多くの日本人が
トルコの人によって救われました。
決して、多くに知られてはいない真実
あなたはどう思いましたか?
辛いニュースが多い世の中にほんの少しやさしさを取り戻せる、
この『小さな歴史の物語』が、
また、あなたに何かを思い出させてくれることを・・