ふとした気まぐれで、今日の夕方は、マラソンのコースを逆向きに走ってみた。10KMの標準コースを、ふだんは左回りに走る(府中競馬場)。今日に限っては、「100メートル道路」から走り始めて、国道16号線を超えて白鳥池に戻ってきた。右回りの「中山競馬場」のトラックである。
テレビで箱根駅伝を観戦したから(と思う)。箱根駅伝のコースは、往路の1月2日は、大手町から出て箱根の山、芦ノ湖畔まで登る。5人で約100キロを走る。ひとりが20キロ強を担当する。
最後は、きつい上り坂になる。2年連続で、新・山の神、東洋大学の柏原君がすごかったな。そして、本日の復路は、最初の走者が箱根の下り坂を飛ぶように降りていく。復路も、5人で約100キロ、箱根から戸塚、茅ヶ崎経由で大手町まで戻ってくる。
「そうだ、自分でひとり駅伝、箱根往復をしてみよう!」と思いついたのだ。もちろん、走り始めた瞬間は無意識だった。往路は10K(昨日、走ったぞ!)。だから、復路も同じコースを逆向きに10キロ。「これで、約20キロ分。担当区間を、しかも往復したことになる」。ばかげた発想だったが、その後におもしろい感覚に遭遇した。
逆向は何度か経験がある。予想はしていたのだが、その通りになった。風景がまったくちがうのである。別の道を走っているみたいだった。
右回りコースでは上り坂だったはずの道が、左回りでは急な下り坂になる。つぎの坂道では、昨日はとんとん跳ねて降りたはずが、逆にしんどい登りになった。一日後だが、風が微妙に逆になっているのである。
たぶん、風景も鏡のイメージである。わたしたちは、自分では正しい顔を見ることができない。自分が見る鏡の顔と、他人が見ているわが顔は、「ミラー・イメージ」である。実は、対称ではあるが、逆像を見ている。
そう、同じ道でも、右回りと左回りでは、鏡像になる。だから、国道16号線も、打って変わって、ちがう道に見えた。今日のほうが(右側車線と並行に走るほうが)楽に感じられるのが不思議だった。傾斜もゆるやかな下りである。道の右側を走るのと、左側を走るのとでは、首を曲げる位置からしてちがうのだ。
そういえば、先日、皇居を右回りに走ってみた。このときは、いつもの上りと下りの坂道がまったく逆になった。桜田門からが上りで、いつもはしんどいはずの三宅坂が楽な下りになる。そのギャップに大いに戸惑ったものだ。それでも、なぜか走ることが新鮮に感じられた。
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子供の頃に母親がよく言っていたものだ。「人生は、山あり、谷あり。終わってみれば、プラスとマイナスでゼロなのよ」。「人が歩く道は、楽あれば苦もあり」と、苦しいときの母は自分に向って言い聞かせていたのだろう。
母が50歳のとき、父は60歳。糖尿病から心不全であの世に逝った。3男坊(末っ子の晋佐)と一緒に、商売が下り坂になってきた呉服屋を切り盛りしていかなければならなかった。切なかったのだろう。だから、このフレーズをわたしはよく聞いた。
ふと思ってみた。人生を逆向きに生きることができるとしたら。上り坂が下りになって、苦しいときがいちばんの楽しい時になって。勝者が敗者にとって代わり。チャンピオンがどんけつを走り。男性が女性に化けて。大人が子供に叱られ。成長が収縮に向う。そうか、いまは逆のときなのかも。
「谷に深ければ、山もまた高し」。だれかが言っていたような。誰だったろうか。