マラソン参加後の読書三昧@ホーム

 能登半島のハーフマラソンは、1時間53分だった。3回のレースは、連続で1時間50分の壁が破れなかった。そんなわけで、静かに自宅で本を読んでいる。連休中は、元同僚だった松島先生(現、東京理科大学大学院)からいただいた中内潤+御厨貴編『生涯を流通革命に献げた男 中内功』千倉書房、を読んでいた。


中内さんとは直接の面識はないが、インタビューに登場する経営者たち(例えば、IY創業者の伊藤雅俊氏)には、IM研究科が創設になった6年前に、直接お会いしたことがある。80歳近くになった伊藤さんが、矢作先生(当時、大学院IM研究科教授)やわたしとお話をしながら、気がついたことをメモをとっていうる姿はいまでも忘れられない。
 中内潤さんは、わたしのことを覚えていないかもしれないが、これも直にお話をうかがったことがある。本書に書かれている、慶応大学の村田先生(商学部名誉教授)と潤さんとの出会いのエピソードは、おどろきであった。村田先生の奥様のご実家が、神戸でKFCのFCを経営していたこともびっくりだった。
 当時は70年代である。ずいぶんと先進的な家庭だったのだろう。村田先生が、KFCを口にほうばっている姿は、とても想像できない。かなりコミカルである。村田先生が、慶応大学に伊藤さんのご子息など、大手流通業の後継者を集めていたことをよく知っていたが、こんな偶然が作用していたとは。
 その後、流通業界の激動の中で、戦後業界の躍進を担ってきた巨人たちの後継者は、表舞台に出てくることはなかった。ダイエーをはじめとして、戦後の流通企業は、「家業」にはなれなかった。それは、小川町物語(ファッションセンターしまむら)の連載をしていく過程で、島村恒俊オーナーが、なんども繰り返して話してくれたことである。「わたしたちの子供のように、苦労知らずにぬくぬく育った連中が、大きな会社を切り回していくことなど、できるはずがない」。だから、しまむらの後継者は、藤原さん(現、相談役)であった。
 中内潤さんのインタビューから感じとることができるのは、そんな事情にも関わらず、親父(中内功)からしごとを付託されてしまった「不幸」である。戦後の流通業で、事実上の後継者は、まったく別のところから出てきた。例えば、ヤオコーの川野幸夫氏、ユニクロの柳井正氏など。後継者は、別の業態や専門店チェーンから登場してきたのである。
 昨晩、元同僚の松島茂氏(同書の共著者)と、「さっそくご本を読ませていただきました」と話した。松島さんが繰り返し述べていたのは、「中内功の孤独」についてであった。同時期に日本の流通業の革新を担った、本来は同士であるべき同業者たち(伊藤、岡田、西川)や兄弟(3人の男たち)や子供たちから、中内功は、精神的に孤立していたのである。
 わたしの感想(松島さんとの電話)は、「中内さんは、数学ができなかったんですよ。基本的に経営の科学がわからないひとだったのですね」である。数字にきびしい渥美先生(JRC)は、そこのところをどのように感じていらしたのか。率直にうかがいたいところではある。
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 本書以外に、この休みには読んだ本は、水尾順一(2009)『逆境の経営 7つの法則』朝日新書、木村秋則(2009)『リンゴが教えてくれたこと』日経プレミアム。である。後者については、明日、HPに感想をアップしたい。
 これから、東西線の南砂駅まで、カインズホームの視察取材に出かける。来週30日に、土屋裕雅社長とのインタビューの準備である。PBワインのRICORICOを買って、帰宅する予定である。