先々週の4月12日(日)、しまむらの藤原相談役と福島空港に行った。宮原の本社から福島まで往復6時間、昭和40年代~現在の「ファッションセンターしまむら」の経営についてお話を伺った。詳しくは、小川町物語で紹介するが、こぼれ話をひとつだけ。空から立地調査をしたときの話である。出店候補地の周囲2キロに3つ小学校があれば、GOサインを出せたそうである。「マーケティング入門」の第15章のコラムとして利用させていただくことにしました。
<コラム15-1> 「しまむらの公式」=出店のための簡易ルール
「ファッションセンターしまむら」(本社:さいたま市、年商3800億円、2008年)は、6店舗だった頃の1975年から、セスナをチャーターして、上空から立地調査を行っていた。航空写真もメッシュデータもない時代に、ほとんど人が住んでいない田んぼの真ん中に、売場面積が約150坪(当時の標準店)の衣料品スーパーを出しても採算が取れるかどうかをチェックするためである。
当時、財務と総務を担当していた藤原秀次郎部長(現、しまむら相談役)が考えた出店のための「簡易ルール」は、上空から見て、出店候補地の周囲2キロ以内に、3つの小学校があることが出店の最低基準だった。1970年代の後半までは、しまむらの主たる顧客(主婦)は、徒歩客と自転車客が中心だった。日常的な衣料品の買い物は、自転車で10分が限度である。距離にして2キロメートルである。
上空から見て、半径2キロ以内に3つの小学校があれば、候補地の周りには確実に5千世帯が住んでいることを、藤原部長は統計データから確かめていた。1975年当時、全国で小学校の数は約3万校。全国の世帯数は、約5000万世帯であった。小学校一校あたりの世帯数の比率は、1667倍である。3つの小学校があれば、5000世帯が半径2キロメートルの商圏内に住んでいる証拠である。
その当時、標準的な世帯が日用衣料品に支出する金額は、年間で約24万円。そのうちの30%をしまむらが取れるとしたら、商圏内に住んでいる一世帯からは年平均で8万円を売上げることができる。5千世帯ならば、年商4億円である。一日の売上は100万円強である。
田舎の生活道路沿いのフリースタンディング立地で、地代はきわめて安い。借地で地主に店舗を建てもらう。立地が立地なので、レイアウトが同じ店舗を建てることができた。正社員は店長ひとりだけである。各店舗にパート従業員を7~8人に雇って店を運営すれば、粗利益率が25%~26%でも充分に採算が取れる、そのことについて、藤原は早くから気がついていたのである。
出典:小川孔輔(2009)「小川町経営風土記、第16回」『チェーンストアエイジ』5月1日号に、加筆修正。