「事例:池内タオル」『季刊マーケティング・ジャーナル』2009年9月号掲載予定(フルバージョン)

去年の暮れから、大学院生の頼勝一君に「池内タオル」の事例を書いてもらっている。「風で織るタオル(オーガニックコットン素材)」で有名な四国にあるタオルメーカーである。長さが16000字以内なので、すでに分量オーバー。オリジナル原稿を削除する作業をしなければならない。その前に、もったいないので、全文をHPに掲載してみることにした。  


『季刊マーケティング・ジャーナル』(投稿原稿)
 マーケティングエクセレンスを求めて、「池内タオル株式会社」
 頼勝一、小川孔輔 <全文掲載>

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はじめに
 1980年代後半から始まった安価な海外産タオルの急激な流入は、国内のタオル産業構造を大きく変化させた。ライセンス・ブランドのOEM 製造が中心的事業だったタオル・メーカーは、生産拠点を海外移転させるか、OEM製造を止めてオリジナル・ブランドで勝負するかの選択を迫られた。それができないメーカーは、廃業するしかなかった。やがて海外移転やオリジナル・ブランド確立に成功するタオル・メーカーも現れたが、多くは廃業の道を選ぶことになった。
国内のタオル産業は複数の工程ごとの専業者による分業体制が特徴であった。そのため、一社の廃業の影響は他の専業者にも広がり、地場産業の沈下をますます加速させた。その間、日本を代表するタオル産地である愛媛県の今治地区では、企業数はピーク時の約1/4、生産量は約1/5になった。
 ところが、そんな衰退産業の代名詞でもあったタオル産業の成功が、近年は脚光を浴びている。日本有数のタオル産地である今治は、生き残りをかけた長年の取り組みが実を結び、先進的なコンセプトによって、新たな可能性に満ちあふれた産業へと生まれ変わりつつある。その代表的な企業が「池内タオル株式会社」である。いまや今治に止まらず、日本のタオル産業を牽引するまでに成長したタオル・メーカーである。衰退した地場産業の中小企業が、“環境配慮”を商品コンセプトのブランド開発で注目を浴びている。
 池内タオルの環境へのこだわりは徹底している。ISO14001やISO9001の取得に始まり、認定農場で栽培されたオーガニック・コットン原料の使用、風力発電によるグリーン電力の活用、世界最高の排水処理設備を持つ染色工場タオルラボ・インターワークスでの染色処理など、環境価値を高める取り組みが積み重ねられている。そして、最終製品の安全性では、エコテックスから最高レベルの認定を取得している。これらの取り組みによって生まれたのが、オリジナル・ブランドIKTの“風で織るタオル”である。
 2002年には、ニューヨークで行われた展示会でグランプリ受賞した。その後は、テレビや新聞・雑誌などのメディアに数多く取り上げられ、“池内タオル”や“IKT”、“風で織るタオル”が多くの消費者に知られるようになった。ハイエンド・タオルに属する高価格で高品質のタオルは、環境問題に敏感な層や乳幼児のいる家庭だけでなく、その柔らかさや吸水性を支持する顧客にも支持されている。「家中のタオルを全部入れ替えたい」と、ギフト需要から自家用需要へタオル需要構造にも変化をもたらしている。満足した顧客はインターネットやリアルの口コミで発信を続け、国内外での支持が拡大している。
 主力取引先の破綻によって思いがけず経験した民事再生法による再生手続きも、2007年には完了した。地場産業の将来を背負う池内タオルには、さらなる成長への期待が高まっている。

今治タオルと池内タオルの歴史
<今治とタオル産業の歴史>
 愛媛県今治市は、日本三大急潮のひとつに数えられる瀬戸内海(しまなみ海道)の来島海峡に面している。今治タオルの歴史は、年間を通じて降水量が少なく、日照時間の長い温暖な土地で育まれてきた。
 1972年、浴用タオルが輸入されたことで、日本のタオルの歴史は始まる。1880年頃には、大阪の井上コマが竹織でタオルを織り始め、1886年には矢野七三郎が伊予綿ネルを開発し、綿ネル製織を開始した。
 今治タオルの歴史は、1894年に始まる。阿部平助が今治で綿ネル機械を改造し、手動タオル織機での製造を始めた。1887年には、和泉佐野村(現泉佐野市)の里井圓治郎や摂津内代村(現大阪市都島区内代町)の中井茂右衛門らが、「テリーモーション」による機械織を完成させた。里井と中井の発明により、それまでの技術である竹織には無かった、より低コストで耐久力のあるタオルが生まれた。こうして日本のタオル産業は、今治と泉州の2つの地で競うように発展していくことになった。
1910年には、今治の綿布業者である麓常三郎がタオルを同時に2列製織できる二挺バッタン(麓式タオル織機)を発明、1912年には中村忠左衛門が先晒しの糸を部分的に染めた縞模様のタオルを開発した。1924年頃には、「愛媛県工業講習所(現愛媛県染色試験場)」の技師・菅原利鑅(としはる)がタオル専門のジャカード機を開発し、複雑な模様や多様な色彩のタオルを織ることができるようになった。タオルの品質が安定し、製造コストも削減された。この間、1922年には泉州を中心とする大阪に続き、今治のタオル生産高が全国第二位に成長している。

図 1 二挺筬バッタン(麓式タオル織機) 出所:今治繊維リソースセンター

競争環境の変化
<今治タオル、衰退の始まり>
 1970年以降国際競争環境は大きく変化した。中国やベトナムなどで製造された安価なタオルが日本に輸入され始めたのである。1990年代に入ると輸入量は急速に増加した。
 1972年に2,382トンだった年間輸入量(四国の生産量は31,428トン)は、1980年代中頃から急激に伸び始め、国内生産量と年間輸入量は1999年から2000年にかけて逆転する。年間輸入量は2001年には63,632トン(日本全国の生産量は41,918トン、四国の生産量は23,398トン)に達し、国内流通量の約60%を輸入品が占めるまでになっている。この間、今治のタオル製造業者の廃業が相次ぎ、四国地区のタオル製造企業数はピークだった1976年の504社から激減し、2008年8月現在は142社となっている。こうした状況を鑑み、日本のタオル工業組合連合は2001年に繊維セーフガードの発動を要請したが、現在もその発動は見送られたままである。2008年現在、中国からの輸入は国内流通量の8割に達している。

図 2 タオル生産量の推移 出所:四国タオル工業組合を元に作成

図 3 四国のタオル製造企業数の推移 出所:四国タオル工業組合を元に作成

<日本人の暮らしとタオル>
 日本でもタオルが作られ始めると、主に水を拭うときに使われる(ドライ・ユース)の欧米とは異なり、浴用だけでなく、手拭き・汗拭きや布巾など、水に濡らして使う(ウェット・ユース)ものとして独自に進化していった。ドライ・ユース・タオルはインドアでしか利用されてこなかったが、ウェット・ユース・タオルは、タオルハンカチやタオルマフラーの登場により、アウトドアでも活躍の場を得ていった。いまでは、インドア型・アウトドア型を問わず、様々なサイズ、厚さ、素材のタオルが、日本人の暮らしの中に溶け込んでいる。
 そんなタオル需要は、いまでもギフトが中心である。企業は、販売促進や広告宣伝、挨拶のために名入れタオルをギフトとして扱ってきた。実際に、家庭にあるタオルを見渡してみると、それぞれが別々に贈られたものであることが多い。
浴用タオルが中心のギフト需要に支えられたタオル産業も、近年は状況が大きく変化している。社会慣習の変化による贈答機会自体の減少、そして長引く不況の影響による法人ギフト需要の低下のため、9割以上あったギフト需要の割合は、いまでは8割以下に減少している。カタログ・ギフトの普及も、ギフト需要におけるタオル需要の減少に拍車をかけている。「贈りものとして無難な商品」だったタオルも、「もらってもうれしくない商品」の代表格になった。いまでは、定番商品としてカタログに残るものの、好んで選ばれる商品ではなくなっている。
 タオル需要のうち、残りの2割前後が自家用である。ギフトとしてもらうことが中心の家庭では、企業からの挨拶やお祝いなどで贈られたタオルが、未使用のまま押し入れやタンスに眠っていることが多い。そのため、タオルを自家用として購入する機会自体が少ない。一方で、欧米ではタオルは自分用に買い揃えるものである。自分自身がバスルームで使うためにバスタオルを購入し、洗面で使うためにフェイスタオルを買い求める。さらに、それぞれのタオルは、色彩や柄が全体としてうまくコーディネートできるように、シンプルなデザインのものが選ばれる。ただ最近では、日本でも、自家用需要の絶対量が増加し始めている。タオルのデザインや肌触り、吸水性などの機能性を重視して、自らのライフスタイルに合ったタオルが選択されている。このとき、購買対象となる商品としては、国産品なのか輸入品なのかの区別は無い。リーズナブルな価格の商品が選ばれている。

<変化する国内タオル・メーカー>
 事業環境の激しい変化をきっかけに、多くのタオル・メーカーが廃業を選ぶなか、生き残りをかけた取り組みが実を結びつつあるメーカーも多くある。こうした企業ではは、例えば、「国産」にこだわってブランド化したり、中国やタイ、ベトナムなどへの海外進出によって価格優位性を確保したりしている。

① 国内メーカーの動き(1):「七福タオル」
国産ブランドで有名なタオル・メーカーに、池内タオル株式会社の他に、愛媛県今治市の「七福タオル株式会社」(以下、七福タオル)がある。今治に拠点を構えるこれらの国産タオル・メーカーは、「今治タオル・プロジェクトブランド」にも参加している。
 七福タオルは、今治に本社工場を持つタオル・メーカーである。社長自身が、「四国・今治で愛されるタオルづくりにこだわり続ける」と言っているように、今治産を重視しながら 「上質さ」や「高い質感」、「豊かな感性」を持つタオルを作っている。
 かつては、七福タオルも今治の他のタオル・メーカーと同様に、OEM製造に依存した事業展開をしていたが、今では「オリジナル・ブランドの直接販売」という新しいビジネス・モデルへの移行の道を選んでいる。
 当初、七福タオルは、1980年代後半から設備投資や国内外の展示会への出展を繰り返し、事業基盤の確立を急いだ。その後は、品質の高さだけでなく、デザイン性の重要性を意識して、東京のデザイン事務所、「株式会社イッソ・エッコ」と企画提携による “イッソ・エッコ”を立ち上げた。今では、タオル生地を活用したインテリア製品にも商品を展開している。現在も、国内では「ジャパンクリエイション」や「インテリアライフスタイル展」、海外では、アメリカの「NewYork Home Textiles Show」やパリの「Maison & Object」に出展することで、オリジナル・ブランドの認知の拡大と企業イメージの浸透を実現している。年間売上は5億9千万円(2005年7月期)と決して大きくはないが、海外市場の開拓も視野に入れて、タオルを作り続けている。

② 国内メーカーの動き(2):「一広」
 また、海外に進出した企業には「一広株式会社」(以下、一広)がある。海外進出の背景には、OEM製造事業における技術のコモディティー化や、1985年のプラザ合意を景気にした円高傾向によって、日本国内での製造が困難になったことがある。
 一広は、糸の染色から製品流通までを一貫して手がける、今治では有数のタオル・メーカーである。会社ホームページによると、年間の売上は約90億円に上る。一広は、国内は今治に、海外は中国・大連やベトナムに自社工場を持っている。
大連工場は、同社初の海外拠点である。大連には、日本での研修でノウハウを吸収した社員と、今治の水質に近い水源があり、ここでの生産能力は一日あたり10万枚に達している。アイテム数は2,000種類にも上り、複雑な縫製が必要な製品が大半を占めている。ここから熟練した能力が、必要な工程を担当する社員の能力の高さが伺える。現在は、中国からベトナムへの技術移転を推進している。また、中国市場での販売も強化し、国内外でのブランド確立を目指している。
その他の事業としては、今治市朝倉にあるタオル美術館ICHIHIROを運営している。ここでは、タオルの製造工程や製造設備やそこから作られる製品を紹介している。館内にあるタオル・ショップでは、国内でもトップクラスの品揃えでタオル商品を販売している。一広は、今治を本拠地として、グローバルにタオル文化を発信している。
 一方で、今治に並ぶ日本有数のタオル産地である泉州地域でも、今治タオルプロジェクトと同様の取り組みが行われている。大阪タオル工業組合がリードするこの「“泉州こだわりタオル”プロジェクト」である。国産にこだわったタオルの製造によって、国産の安心・安全・高品質な地域ブランド・タオルへの移行を目指している。

③グローバル・タオル・メーカー:「内野株式会社」
 池内タオルが国内で製造するオリジナル・ブランドで勝負しているのに対し、中国やタイなどの海外に進出し、OEM製造とオリジナル・ブランド開発との両立を実現しているのが内野株式会社(以下、内野)である。
 もともと内野はタオル問屋であった。愛媛県今治市や大阪府泉州地区のような地場産業のタール・メーカーではなく、また中国からの輸入品を専門に扱う輸入業者でもない。企画した商品は今治や中京地区で生産され、それを仕入れて販売する典型的な問屋であった。そんな内野が、1988年にタイに合弁会社を設立、また1996年には自社で初めての工場設備を中国・上海で稼働させた。
 海外に進出したのには理由があった。1985年のプラザ合意で円高への方向性が固まったとき、国内の生産コストが原因でタオル産業が国際競争力を失うことは十分に予測できた。また1990年頃になると、日本のタオル産業の特徴でもあったOEM製造は、生産設備さえあれば誰にでもできるようになっていた。もはや、日本で製造しなければならない理由は無かったのである。
国内のタオル・メーカーは、その後の事業展開を早期に選択する必要があった。国内か海外か。このとき内野は海外で生産することを選んだのである。円高を背景に海外で生産すれば、為替メリットを受けることができる。また、労働コストが安い国で生産することは、生産コストの圧縮にも繋がる。労働者の技術も十分な水準にあった。1980年代後半に、内野の商品のイミテーションがタイで見つかっていたため、海外でもそれだけの技術力があると見ていた。躊躇する理由は何も無かった。しかし、アジアへの工場進出を志向した内野に対して、「問屋には工場運営のノウハウや生産技術などもないのにうまくいくはずがない」と周囲は冷たい目で見ていた。
 いまでは中国・上海やタイ・バンコクで、紡績から縫製までの一貫生産体制を築いている。上海は量産タイプの商品供給基地であり、タイは少量生産タイプの商品供給基地として役割を分担している。
「上海内野」では、世界有数の綿産国である中国からの安定的な原料供給の確保、ISO9001やISO14001に裏付けられた生産工程、年間約350日、24時間体制の稼働を実現する中核生産設備などの高度に管理された体制のもと、高品質タオルを量産している。この工場では、約1n800名の中国人労働者を雇用(2007年現在)し、量産体制に必要な労働力を確保している。また、タオルを作るのに不可欠な大量の水は、工場は揚子江の支流、劉河のほとりに立地により、十分に確保できている。生産量は、年間2600トンにも上る。一部は日本にも輸出されており、年間国内販売額のうち、上海工場からのものは約30%にも上る(2008年現在)。
 内野のタオルは、実は日本国内でも生産されている。それらはオーガニックコットンや紀州備長炭繊維Rなどの素材や製造工程などに加え、スイスの安全性テスト機関「エコテックス」で「Ecotex Standard 100 CLASS1」での認定によって品質と安全性を追求したタオルとなっている。「備長炭ガーゼタオル」や「アンゴラ混マフラーN(」なども、日本で生産されている。ライセンスによってOEM製造するブランドは、全部で29ブランドに上る。「Aquascutum」、「Yves saint Laurent」、「shu uemura」などのファッション・ブランド加え、「ディズニーキャラクター」や「バーバパパ」、「ハーローキティー」、などのキャラクター・ブランドも手がけている。その一方で、オリジナル・ブランドも12ブランドある。「Lifestyle Designing」を看板に、日本だけでなく、様々な産地、ブランドの商品は、ほとんどの百貨店や専門店で取り扱われている。

池内タオル株式会社
<創業から“池内タオルハンカチ工場”に至るまで>
 池内タオル株式会社は、1953年に初代・池内忠雄が創業した。当時の池内タオルは、ヨーロッパやアメリカ地域への輸出用商品が中心だった。創業から20年間は海外向けが100%で、その後、国内向け商品も扱うようになったという。今治では特異な経歴を持つタオル・メーカーだった。
 1990年に入ると、輸出はほぼゼロになっていた。しかし、その分だけ国内での事業が拡大したというわけではなかった。入ってくる注文は、ライセンス・ブランドの見本品の作成ばかりで、見本をもとにした製造の受注は中国やベトナムなどの海外工場に流れてしまっていた。
 1992年ごろに「電子ジャカード技術」が日本に入ってくると、他社に先駆けて、池内タオルはこの技術を導入した。コンピュータ・ジャカード織りやCAD技術に強みを持つようになった池内タオルには、織れないものは無いと言われるほど、どのな複雑なデザインの織りでも実現できるようになっていた。やがて、FENDIやCELINE、など、当時流通していた著名ブランドのほとんどを扱うようになり、年間約500万枚を製造するまでに拡大し、「池内タオルハンカチ工場」と呼ばれるほどになっていた。百貨店で売られているタオルハンカチの5割近くを、池内タオルで製造するような状態だった。
 OEM製造は十分な利益をもたらしていた。しかし、こうしたライセンス・ブランド商品の製造では、池内タオルが持つ最先端技術も、ライセンサーの名のもとでしか世に出すことはできなかった。折角の高い品質や技術も、池内タオルのものとして消費者に認識されることはなかった。消費者から見れば、池内タオルは、ライセンス・ブランドの一部でしかなかった。
流通過程以降でも悩ましい状況にあった。ライセンス・ブランド商品は、池内タオルが製造していても、あくまでもそのブランド商品である。池内タオルの商品ではなかった。そのため、製造した商品を自分たちで買い戻して、地元の物産館や自社店舗で販売しようとしたが、ライセンサーが認めることはなかった。そのため、販路を卸会社や問屋に依存する状況が続いていた。

<池内タオルの略年史>
1949年 池内計司、愛媛県今治市に生まれる
1953年 初代池内忠雄が池内タオル株式会社を創業
1971年 池内計司が一橋大学商学部卒業し、松下電器産業株式会社に入社
1983年 池内計司が松下電器産業を退社し、二代目代表取締役に就任
1989年 オリジナル・エコ・ブランドGREEN、エコマークを申請
1992年 染色工場、Yグループ協同組合タオルラボ・インターワークスが完成
1999年 ノボテックス社からローインパクトダイ手法を伝授される
環境マネジメントシステムISO14001を取得
2000年 品質マネジメントシステムISO9001を取得
2001年 オーガニック・カラーソリッド1がECOTEX Standard 100 Class1認証を取得
2002年 風力発電100%の工場が稼働開始
New York Home Textiles Show 2002 Spring Best New Products Awardを受賞
New York Home Textiles Show 2002 Autumn Finalist Awardを受賞
2003年 New York ABC Carpet & Homeで取り扱い開始
伊勢丹でIKTの取り扱い開始
“風で織るタオル”商標登録を出願
愛媛地裁今治支部に民事再生法適用を申請
2004年 ORGANIC-BAMBOOアナハイム・ナチュラルプロダクト・ショーで発表
New York Home Textiles Show 2004 Autumn Finalist Awardを受賞
2005年 SUZANNE DE VALLとのコラボNANDINA発売を開始
designed by RIMA を発表
2006年 OECO社とLONDON DECOREX INTERNATIONALに 出展
2007年 PARIS MASON & OBJET 2007 に出展
元気のいいモノ作り中小企業300社2007に選定
OECO社LONDON DECOREX INTERNATIONALでBest New Award受賞
民事再生法手続き終了
2008年 新エネルギー大賞を受賞
ファンドから出資を獲得
出所:池内タオルHP「会社案内」に加筆・修正

<『風で織るタオル』の社長、池内計司>

図 4 池内計司社長 出所:池内タオルHP

 池内計司(以下、池内)は、1949年、「池内タオル」を創業した父・池内忠雄の次男に生まれた。「風で織るタオル」で一躍有名人になった、「池内タオル株式会社」の二代目社長である。タオル屋の次男として生まれた池内も、タオルに当然のように囲まれて育ったとはいえ、幼少期からずっとタオルが大好きだったわけではない。
 一橋大学商学部に入学した池内は、ここでオーディオと音楽に目覚める。この時期にビートルズに出会い、ビートルズ・マニアを自負するほどになる。当時は「レコードが擦り切れるまで聴いた」と言い、“MEET THE BEATLES”を始めとして、今では100枚以上のレコードを持つ。
 楽しい音楽漬けの日々は、1971年には大学卒業とともに終わり、松下電器産業(現・パナソニック。以下、松下)株式会社に入社した。松下では、どうしても大好きなオーディオがやりたいとステレオ事業部を希望し、社内高級オーディオ・ブランドであるテクニクスの営業企画を担当することになった。
 当時の松下には家電製品の「ナショナル」(1925年からブランド展開)とAV製品の「パナソニック」(1955年からブランド展開)という2つのブランドがあったが、テクニクスはこれらを否定するブランドだった。テクニクスは、まさに「開発者の揺るぎない思いと過剰な品質を追求するストイックな手業の結晶」であった。高い技術に裏付けられた高品質・高級なオーディオ・ブランドを目指していた。しかし、そんなテクニクスのステレオ部門は、松下全51事業部中で50番目に業績の悪い部門でしかなかった。趣味性・嗜好性が極めて高いテクニクスのステレオ商品は、1980年頃平均単価が20万円を超えており、幅広い消費者に受け入れられるものではなかった。
 テクニクス部門には高非常に優秀な開発者が集まっており、高い技術力は、高音質・高耐久性・高感度の実現などに繋がってはいたが、それは開発者のエゴでしかなかった。いくらハイエンドの製品でも、音楽の再生はローエンドの製品にでもできること。高い技術力があれば売れるわけではなかった。ハイエンド・ブランドは、高い技術力に加えて新しい付加価値がないと売れなかった。やがて日本やアメリカ、ヨーロッパの市場で差別化すればいいのかを考えながら仕事をするうちに、企画マンとして経験したことを池内タオルで活かしてみたいと思うようになっていた。そこで約12年間勤めた松下の退社を決意した。
 ところが池内タオルへの入社を目前に先代が急逝した。そのため、池内計司が2代目代表取締役として急遽入社することになった。いきなり「私が会社を引き継ぎます」と宣言して社長になったものの、経営に関するノウハウやもなかった。厳しかった父が遺したものは、5年分ほどのバラの育成日記だけだった。技術に関することはすべて工場長の頭にあり、文書化されたものはなかった。シロウト社長と、これまで先代とともに会社を支えてきた“ものづくり”のできる従業員、そして古くからある織機があるだけだった。
 池内が生まれた直後の1950年代から、大学を卒業して松下で社会人として生活するようになった1970年代にかけては、公害が社会問題としてクローズアップされた頃である。1956年の水俣病、1965年の第二水俣病(新潟水俣病)、1960年頃の四日市ぜんそく、1955年のイタイイタイ病など、企業が発生させた有害物質によって体が蝕まれ、苦しんで死んでいった住民たちを目の当たりにしてきた。今治は暖かい太陽に照らされ、激しく流れる海に囲まれた自然豊かな土地である。この今治も放っておくと同じことが起きるのかもしれない。当たり前だった自然環境も、もはや守らなければならないものになってしまっていると感じていた。
 社長に就任した池内は、1989年のエコマーク制定をきっかけに、商品コンセプトに“環境”を取り込むことを決める。このときの“環境”への挑戦は失敗に終わるが、Yグループ協同組合で建設したインターワークスをきっかけに、ISO14001、ISO9001の取得する。続けて環境に配慮した経営方針も策定し“環境配慮”をメイン・コンセプトにすることを決意した。
 環境への取り組みと、斬新な色使い、そして現代的な感覚が評価されて2002年の海外の展示会でのグランプリ受賞すると、“環境配慮”によるオリジナル・ブランドの可能性を感じ、国際機関に認定されたオーガニック・コットンの使用、エコテックスによる安全性認証取得など、さらなる環境と安全性を追求していった。そして環境に配慮したオリジナル・ブランドの確立に成功する。
 こうした環境に配慮した取り組みは、企業活動に止まらない。2008年の年初に掲げた「僕の環境個人目標2008」には、ペットボトルの年間使用数の低減や家庭でのゴミの分別、地産地消の実行など、やる気さえあれば実施できるものが並ぶ。また、初代プリウスには修理を繰り返しながら乗り続けている。従業員にも同様の自主的な目標設定を促し、まさに池内タオル全体で公私ともに環境に配慮した活動が実践されている。

今治バーチャル・ファクトリー・システム
<仮想一貫体制を作る>
 タオルの製造工程は13〜14のプロセスに細分化されている。最初の工程は、原糸の染めである。染色後の原糸はタオル工場で織られ、染色工場で再び後処理される。その後は各工程の専業者による染色整理、縫製、刺繍と続く。
 こうした分業体制が原因で、専業者間で注文情報や生産計画が共有できず、また工場間の輸送や各工程での待ち時間を管理できずにいた。従来のシステムでは、1オーダーあたりの生産リードタイムが約45日だった。しかし、実際の生産活動にかかる時間を計算してみると、わずか約15日間である。当時の池内タオルの一日の運転資金は、約300万円だったため、1オーダー当たり30日分(約9,000万円)の無駄を出していた計算になる。
 輸入品の流入や社会環境や消費者の需要動向の変化もあり、経費削減による収益力改善や顧客ニーズへの迅速な対応による競争力強化は必要不可欠な課題となっていた。そこで1997年に、生産リードタイムを半分にしようとして、「クイック・レスポンス・システム」(以下、QRシステム)と取り入れた。これにより、分業体制を構成する各専業者を、単なる独立した分担者ではなく、池内タオルを含む各専業者によるひとつの仮想事業体と見立て、一貫体制であるかのような生産活動を実現できるようにした。
 まず、組合メンバーから集めた仲間で、今治バーチャル・ファクトリー・システムを構築した。すると、分散していた情報を共有し、情報フォーマットを統一し、そして適切に情報を把握・管理できるようになった。その後は、システムの範囲を流通行程にも拡大し、問屋や小売店でのPOSデータも加わったことで、売れ行きや売れ筋なども把握できるようになっている。
 QR導入によって圧縮された日数は24日にもなる。現在の生産リードタイムは21日と、かつての半分以下になっている。運転資金の圧縮額は約7200万円にも上る。生まれた資金は、新商品開発やブランド構築、技術革新のための投資に活用されている。

図 5 池内タオルのタオル製造工程 出所:池内タオルHP

<「タオルラボ・インターワークス」>
 今治には「瀬戸内海環境保全特別措置法」(1973年施行)がある。排水を伴う施設の建設は厳しく規制されている。1992年、そんな今治に「染色工場Yグループ協同組合タオルラボ・インターワークス」が完成した。この染色工場は、吉井タオルの吉井久氏が「お金は用意するから、最高の染色工場を今治に作ってくれ」という声がきっかけで構想されたプロジェクトである。池内のパートナーらで組織する協同組合が建設し、管理している。
 中国産タオルの流入によって地場産業の疲弊していたものの、高い「技術力」と、(中国には無い)今治の良い水による「品質」には自信があった。だから「今治で作るタオルは、中国産タオルには全然負けていない。これまで通り今治で良いタオルを作りたかった」と池内は言う。洗ってもごわごわせず、そして縮まないタオルを作るには、時間をかけて丁寧に染色することが重要だった。そのため、この手間と大量の水が必要な工程を、複数の企業からの仕事を請け負う外部の工場に任せるわけにはいかなかったのである。この工場が無ければ高品質を維持できなかったかもしれない。「世界一の排水設備を持つ工場」は、「世界一の品質のタオルを作る工場」の証でなのである。排水水準は12ppm。世界一の排水設備を持つ工場は瀬戸内海の海水よりもきれいな水を返しながら、タオルを鮮やかな色に染め上げている。

コア・コンセプトは“環境配慮”
<環境への挑戦と失敗>
 1989年、「財団法人日本環境協会」によって、「エコマーク」が制定された。このエコマークの活用をきっかけに、池内は、環境を意識した自社ブランドを展開しようとした。当時は、無蛍光のタオルを作りさえ作りさえすればエコマークの申請ができたのである。そのため、自社ブランド“GREEN”は、技術的にも容易に認定を受けることができた。しかし、この頃のタオルはほとんどに蛍光増白剤が使用されていたため、無蛍光の“GREEN”は輸送時や陳列時に簡単に他の蛍光タオルに汚染されてしまった。「オーガニック」を採用したときも、縫製や刺繍の糸も含めてオーガニックであることを徹底することは難しく、「ピュアなオーガニック・コットン」という保証を実現できなかった。
結果的には、エコマークもオーガニックも撤退することになった。「自社ブランドを作るなら、企業の考え方、商品の品質や思想はしっかりしたものでなければならない」と池内は言う。嘘をつかないという姿勢、自己満足であってはいけないという姿勢。そして、環境をやるならそこに確かな価値を作り出すという姿勢があった。

<ノルガードとの出会い>
 池内タオルのブランド・コンセプトとして再び“環境”が取り込まれるきっかけになったのは、ライフ・ノルカード(Leif Norgaard 以下、ノルガード)との出会いだった。彼は、世界でいち早く100%オーガニックの繊維工場を作ったデンマークの繊維会社「ノボテックス社」の社長だった。
 1996年、ノルカードは講演のために来日し、ノボテックスが持つ高度な排出基準をクリアした染色工場の排水処理施設についても触れ回っていた。このときノルガードは、「四国の今治に、ノボテックスを超える基準をクリアした施設があること」を偶然耳にした。タオルラボ・インターワークスのことである。すぐさまノルガードは、今治の施設見学と責任者との面会を熱望した。間もなく、ノルガードは工場見学と池内との面会を果たし、世界一の排水処理設備を持つ染色工場を見学した。
見学を終えたノルガードは、池内に向って言った。「これだけの設備を作ったことは驚きだが、それを作った経営者たちにこれほど環境に関する知識が無いことはさらに驚きだ」。これには、池内も衝撃を受けた。環境への関心が無かったわけではないが、確かに知識は十分ではなかった。池内は環境について一から勉強するとともに、ノルガードに勧められたISO14001の取得を目指すことになった。1999年、しまなみ海道の開通に併せて、オーガニック・コットン・タオル」の会社として、自社ブランドを出したいという念願が叶い、タオル業界で初めてISO14001を取得した。これをノルガードに報告すると、その努力が認められ「ローインパクトダイ手法」も教えてもらうことができた。タオルは毎日洗って直射日光に当てて乾かすので、何かしらの手法で色止めをしなければならない。天然成分でそれをすると、すぐに色あせてしまう。それならば安全な化学染料を使ってきれいで色あせないタオルを作り、しっかり排水処理をして環境負荷も減らそうと生まれたのがこの手法である。
 同年、自社ブランド“IKT”を設立した。この“IKT”は、“IKEUCHI TOWEL”から取ったものである。その後は、「ISO14001だけ取得して、ISO9001を取得しないのは宣伝のためではないか」という批判もあり、翌年2000年には同じくタオル業界初のISO9001認定を受けている。

<嘘をつかない“オーガニック”>
 一般的に、綿は健康だとか安全だというイメージが広く浸透している。しかし、実際には、必ずしもそうではない。世界市場に流通する綿のうち99%以上は、綿の栽培工程で、農薬や消毒薬が使われている。全世界の農薬使用量のうち、約70%は綿が占めているとも言われるほどである。また、枯葉剤によって、綿花の成長を促進して収穫周期を短縮している。消費者が目にする真っ白な綿は、こうした薬剤の使用に支えられていると言っても過言ではない。こうしたの綿栽培の現状を見て、池内は心を痛めていた。
そこで、「オーガニック・コットンを採用したい」と考えるようになった。ところが、世界市場でのオーガニック・コットンの流通量は、実際には1%にも満たない。そのため、一般的な綿の5倍もの仕入れ値でオーガニック・コットンを仕入れている。もちろん、価格以外にもこだわりの選定基準がある。タオルは、コットン(綿)から作られるのではなく、ヤーン(糸)から作られる。だから、使用する糸は綿畑だけでなく、紡績工場までも認定するEU規格の有機栽培綿のみを採用している。2008年春現在では、オランダのオーガニック認証団体「SKAL」、スウェーデンのオーガニック認定機関「KRAV」、スイスのオーガニック認証機関「BIO-INSPECTA」が認定したアメリカ綿・ペルー綿・インド綿を採用している。
 さらに池内タオルでは、塩素系漂白剤も重金属使用の染料も使わない。けれども品質の耐久性や堅牢性を実現するには、必要最低限の化学薬品を使う必要が出てくる。とはいえ、全く薬剤を使わないわけではないからと、「化学染料を使う=安全でない」と思われては元も子もない。そこで、スイスの安全性テスト機関エコテックスで「Ecotex Standard 100 CLASS1」の認定を受けている。これは、乳児が口に入れても問題ないというレベルである。
 オーガニック・コットンにしても天然にしても、その安全性はラベルを見ただけではわからない。消費者に信じてもらうしか無いのが実情である。数字やデータで裏付けされて初めて、その価値が正確に消費者に伝わるのである。

図 4 秋田県能代市の風力発電所 出所:池内計司『風で織るタオル』社長の部屋

<「風で織るタオル」の誕生>
 池内タオルは環境にこだわってタオルを製造している。しかし、その中身は、他人が環境に配慮して作ったオーガニック・コットンを仕入れ、それを使って製造・販売しているだけであった。オーガニック・コットンを使用したタオルを作れば確かに環境に優しいが、それだけで十分に環境に配慮できているとは言えなかった。
 「池内タオル」自身も環境に優しい企業にならなければ、“環境”という価値の追求は十分であるとは言い切れない。池内タオル自身は環境に対してどれほど貢献できているのかと池内は頭を悩ませた。
 これまで、世界一の排水設備を持つ染色工場やオーガニック・コットン製品への移行、エコテックス認証の取得など、環境に優しい安全な製品の製造に尽力してきたが、何か物足りなさを感じていた。やがて、池内は、環境対策は生半可な気持ちではいけない。環境基準に関して高いハードルを設定し、それをクリアすることで、環境問題に関心の高い消費者の高い要求に応えることができるかもしれない。こうした会社の生き様をみせることで、会社のブランド価値も高まる可能性を感じていた。
 一方で、一部のエコマニアからは、「四国の電気は汚い」と言われるままだった。四国はその電力の多くを原子力と石炭に依存している。四国電力が公表する2007年度の発受電電力量の内訳を見ると、全体の約37.9%が原子力で約55.5%が石炭である。原子力発電は二酸化炭素を排出しないことから環境に優しいと思われているが、核廃棄物の処理に関して世界中で問題となっている。石炭についてはSOX、NOX、CO2対策など、地球環境を汚染する排出物の多さが問題となっている。
 そこで、池内タオルでも環境方針を修正し、自社の工場と事務所で使用する電力を自家発電に切り替えるようかと悩んでいた。しかし、そのコストは莫大で躊躇するところがあった。そんななか、1999年の取得以来初めてのISO14001の認定更新の日が迫っていた。
 ちょうどこの頃、グリーン電力証明システムは始まった。大阪心斎橋にあった元ソニータワー。ここは日本初の100%グリーン電力利用施設である。これまでも全社で省エネ活動を実践してきたソニーであるが、2000年中期的な環境ビジョンではさらなる環境効率の向上と温室効果ガスの削減目標を設定していた。この温室効果ガス削減の新しい手法として目をつけたのが日本自然エネルギー株式会社によって開発された「グリーン電力証書システム」である。このシステムによって、秋田県能代市にある風力発電所で発電されたグリーン電力を、日本各地で利用できるようになっていた。しかし、敷地内に風力発電機が設置されるわけではない。実際に使う電力は、地元の電力会社から供給されるが、グリーン電力証書により、それが能代風力発電所の電力とみなされる。2001年、ソニーは年間450万KWhの契約を結び、温室効果ガス削減に取り組んでいる。
 ソニーの取り組みを取り上げた新聞記事を目にした池内は、早速「日本自然エネルギー株式会社」に連絡を取った。グリーン電力化の可能性と負担可能なコスト。運命的な出会いだった。2002年1月、池内タオルは年間40万KWhの契約を結んだ。間もなく風力発電100%の工場は稼働を開始し、「風で織るタオル」が誕生した。これにより、タオル1枚あたり370g(2005年見込み)のCO2の効果が見込まれる。
 2007年からは、加工委託先の「大和染工株式会社」のオゾン漂白技術により、さらに40%のCO2削減効果が期待できる新技術の実用化をスタートさせた。オゾン漂白されたバスタオルは、一枚約525gのCO2削減効果がある。また、使用原材料においてはオーガニック綿比率(バンブー糸含む)が80%強を実現した。世界的にも類をみないオーガニック比率の高いテキスタイル企業になっている。
 2015年にはカーボンニュートラル企業になることを宣言している。オーガニックだというだけで売れるほど消費者は甘くない。風力発電を使ったというだけで売れるほど消費者は甘くないのが。それがビジネスの現実である。環境配慮への徹底は止まることを知らない。

図 7 グリーン電力証明書システム 出所:日本自然エネルギー株式会社HP

マーケティング戦略
<ハイエンド・タオル>
 国産製品と中国産製品では、大きく販売価格が異なっている。その理由は、主に生産コストの違いになる。日本国内におけるタオルの生産コストを1とすると、中国の国営企業はその約1/4だという。なお、上海内野(内野株式会社の上海工場)では、タオルの製造コストがその約1/2である。国産製品と一般的な中国産製品の生産コスト差は、したがって、約4倍にもなる。一方で、上海内野と中国国営企業の生産コスト差は、使用している原綿の品質、細かな品質チェックや検品作業、染色の方式(国営企業は後染め方式)などの違いによって生まれている。また、上海内野から日本に輸入される製品の場合は、これに輸送コストが上乗せされる。
 現在、国内で流通するタオルのなかで、最も高価格帯の商品として分類されるのが池内タオルのオーガニック・コットン素材のラインナップである。例えば、「オーガニック・カラーソリッドⅤシリーズ」のバスタオルは、一枚5,000円と一般的なものと比べて遥かに高い。フェイスタオルは、一枚2,000円にもなる。この価格は、内野タオルがOEM製造する「shu uemuraブランド」(ただし、素材は異なる)のバスタオル3,675円やフェイスタオル1,260円と比べても高くなっている。
「ストレイツ・カラーソリッド・シリーズ」では、「SHU UEMURAブランド」の50〜60%の価格となっている。その他、「オーガニック・カラーソリッドⅠシリーズ」のバスタオルは、一枚3,600円、フェイスタオルは1,350円、「ストレイツ・オーガニック・シリーズ」のバスタオルは、一枚4,200円、フェイスタオルは1,575円となっていて、これはSHU UEMURAブランドと同等〜約10%高の価格である。
一方で、タオルは100円均一のお店でも購入することができる。ここでは、様々な種類のフェイスタオル(産地は中国、素材は綿100%)が105円で売られている。また、ホームセンターでは、ジャカード織のフェイスタオル(産地は中国、素材は綿100%)が5枚600円程度で売られている。

図 8 タオルの価格比較表

<トータル・オーガニック・テキスタイル・カンパニーへ>
 2002年、海外の展示会でグランプリを受賞した「ストレイツ・カラーソリッド」は、リユース綿糸をベースに作られている。素材構成は、綿86%・レーヨン8%・ポリエステル6%となっている。2008年現在、ストレイツ・カラーソリッド・シリーズのオーガニック・コットン版であるストレイツ・オーガニックや、オーガニック・カラーソリッド(共にオーガニック・コットン100%)も展開している。また、森林に比べて短期間で再生する天然の竹素材から作られたバンブー・カラーソリッドも加わっている。バンブー・ヤーンは東レ株式会社が開発した竹繊維“爽竹”が使われている。このバンブータオルは、薄手でありながらも綿の約2倍の吸水力という機能性も兼ね備えている。
 タオル以外には、バスローブ、バスシーツ、バスマット、スリッパ、ヘアバンド、スポーツタオル、そしてタオルで作るぬいぐるみであるタオルオリガミなど、タオル素材を活用した商品展開は日に日に拡大している。そのなかでもベビーギフト・シリーズは、出産のお祝いに人気で、IKTショッピングでは在庫切れ続くほど人気商品となっている(2008年1月15日現在)。
 将来的には、「家庭で使用されるテキスタイルはすべて池内タオルで提供したい、そしてそれはオーガニック商品でありたい」と言うように、さらに商品構成を拡大し、総合的なホーム・テキスタイル・メーカーを目指している。

<草の根のクチコミ>
 2002年の海外の展示会でのグランプリ受賞を契機に、多くのテレビ番組や雑誌に取り上げられ、問い合わせが殺到した。また中国からの輸入によって産業の存続が危ぶまれている企業が世界的に評価されるようになるまでの経緯が、研究者の研究対象として取り上げられるようにもなった。“IKT”というロゴや“風で織るタオル”というコピーなど、どこかで池内タオルに関する情報を見聞きし、企業ブランド/商品ブランドとして広く認知されるようにもなってきた。それが、店頭や展示会で商品を目にしたり手に取ったり、ギフト用や自分用のタオルを探してインターネット通販サイトを辿ったりすることで、購買にも繋がっている。
 実際に使ったことのある顧客は、タオルへの想い、池内タオルへの想いをブログや掲示板にコメントを投稿している。その数は決して多いとは言えないが、彼らの支持は根強い。池内タオルのオンラインショッピングサイトでも顧客からの声が紹介されている。「すごくやわらかで、そのやわらかさがとても優しいんです」、「上品で大人のストライプって感じがいいですね」、「軽くて使いやすいし、いろんな色があって選びやすいのが気に入りました」、「タオルのボリュームがとてもふわふわしていて、いい感じです」、「ここのタオルを増やしていきたい」と、満足感溢れる声が続く。インターネットで検索してみても、「今治の注目企業」「電力を風力発電で賄って作られたオーガニック・コットンのタオル」「KRAVやSKALなどの厳しい規定で作られた有機栽培綿を使い、エコテックスのクラス1で安全性を保証している製品」「社長の環境方針への共感」「民事再生法適用を経験した企業の応援」など、商品性や企業を支持する記事が数多く出てくる。
その他にも、「池内タオルのウェブページに社長のメールアドレスが載ってる!この距離感が良い」という声もある。こうしたクチコミを見て、「なんだかとっても良さそうなタオル。私も使ってみたい。さっそくオーダーしてみます!」という反響が見られる。口コミを通じて使うことになった顧客は、また「赤ちゃんが生まれた友人家族に贈りました」、「お肌が弱い友人に勧めてみました」と新しい口コミにも繋がっている。

<拡大する販売チャネル>
 OEM製造が中心だった1990年頃は、高い技術力を背景に多くのブランドを扱い、年間500万枚も製造していた。これらは問屋や小売店に買い取られ、多くの百貨店や小売店に並んでいた。一方で、2002年の海外の展示会でのグランプリ受賞以来、新たに取り扱いをしてくれる店舗が見つかっていた。しかし2003年、主力取引先が破綻したことで売掛金の回収が困難となり、煽りを受けた池内タオルも民事再生法適用を申請することになった。OEM製造が中心の安定的な売上による保守的な再生か、またはオリジナル・ブランドによる挑戦的な再生を選択する機会があった。後者を選ぶことは、問屋との付き合いは解消されることを意味した。
 このとき会社に残っているものと言えば、新しいコンセプトの“風で織るタオル”だけだったが、再生はこのタオルによって実施することが決まる。池内タオルは自分の商品は、自分で売る道を選んだのである。その後は、民事再生法適用後も大手百貨店や専門店に支持され、幸いにも予定通り商品が置かれることが決まり、販路確保にも見通しが立った。
 2003年には、ニューヨーク高級インテリアショップABCカーペット&ホームでの販売が始まる。ここでは160年前にタオルを発明したことで知られるイギリスのクリスティーというタオルメーカーやフランスのイヴードロームという老舗メーカーなどを差し置いて、一番高い値段で売られている。
 いまでは海外では有名専門店を中心に、そして国内では池内タオルのショッピングサイト、そして百貨店や専門店などの小売店、そして多くのインターネット通販で取り扱われている。

<増えるタイアップ>
 「こちらから行かなくても、向こうからいろんな話がやってくる」と池内は言う。それぐらい池内タオルのブランド価値目当てにタイアップの引き合いは多い。
 タイアップの相手には、東京生まれのデイリープロダクトのブランド「Marks&Web」、地球環境を考えるフリーマガジンの「everblue」と130年の歴史を誇る世界最長のセイリングギアブランドの「HELLY HANSEN」とのトリプルネーム、ドローイングアーティスト「Junichi」などがある。これらは、かつてのライセンス・ブランド主導のOEM製造とは異なる展開をしている。池内タオルの技術やコンセプトなどによるブランド性が、他のブランドと対等に扱われている。
 また、2005年のSUZANNE DE VALLとのコラボNANDINAブランドや、ニューヨーク在住のアーティストRIMA FUJITAとのコラボであるdesigned by RIMA 、環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞したケニア人女性ワンガリ・マータイが提唱する日本語の「もったいない」に由来するmottainai、今治タオルブランドで佐藤可士和とのコラボによるimabari towel projectでの商品など、池内タオル自身がそのブランドをリードする商品も増えている。これらは池内タオルのショッピングサイトでも取り扱われている。

<展示会への出展と受賞の数々>
 日本での展示会は最新の技術やデザインの見本市としての趣向が強いが、アメリカの展示会はトレード・ショーであり、商談の場として利用される。国内では今治タオルフェア・エコプロダクツ展・ジャパンクリエーションなど、海外では2000年以降、カリフォルニア・ギフトショーやラスベガス・ギフトショーなどに出展している。

図 5 New York home textiles show 2002 springの様子 出所:池内タオルHP

 2002年、初めての東海岸の展示会New York home textiles show 2002 Spring。「ストレイツ・カラーソリッド」が思いがけずグランプリのBest New Products Award受賞した。この賞は、世界32カ国、1000社の企業の中からたった5社しか選ばれないものである。もちろんこれは日本企業としては初めてのことだった。ミラクルソフトネスと絶賛された池内タオルの技術、来島海峡の荒れ狂う急潮をタオルの織り上げと柔らかさによって表現したデザイン、そして環境への試みが評価されてのことだった。同年秋にはNew York Home Textiles Show 2002 Autumnに出展し、FINALLIST-AWARDに選ばれた。
 2003年以降も継続的に展示会への出展を繰り返し、数多く受賞している。2004年にはJAPANクリエーション、今治タオルフェア・イン・青山ベルコモンズ、エコプロダクツ2004などに出展、またアナハイム・ナチュラルプロダクトショーではThe Purest Organic Towel & Wild Banbooをテーマに発表し、ソフトな風合いに大絶賛された。同年秋には、SUZANNE DE VALLとのコラボレーションのバンブータオルがNew York Home Textiles Show 2004 autummで再びFINALLIST AWARDに選ばれ、それがきっかけでアトランタ・ギフト・ショーにも正式招待された。2006年にはOECO社とLONDON DECOREX INTERNATIONAL、2007年にはPARIS MASON & OBJET 2007に出展している。
 国内市場は限られているため、アメリカだけでなくヨーロッパ市場でも自社ブランドを展開することで、ニーズを掘り起こし、それに合った商品を提供していくことができる。海外での展示活動は、そうした販路拡大のチャンスでもある。ヨーロッパは特に環境問題には関心が高く、販路拡大への期待も大きい。いまや、海外での売上は全体の約3割を超える。

破綻と再生、そして再成長へ
 2002年の海外展示会でのグランプリ受賞を契機に認知度が高まり、ビジネス拡大に胸を躍らせていた。その矢先の2003年8月27日、池内タオルの売上の7割のを占めるタオルハンカチの卸会社の清和が経営破綻した。その煽りを受けて、2003年9月9日、池内タオルは愛媛地裁今治支部に民事再生法の適用を申請することになった。
民事再生法適用の結果、百貨店や専門店での取り扱いの話が破談になる可能性もあった。それは杞憂に終わり、予定通り展開を拡大することができた。そのなかで、再建計画の中では従業員数の削減にも着手した。売上の7割の取引先がなくなることから、会社の規模もそれに合わせて縮小する必要に迫られていた。このとき、在職年数が長い従業員から順に候補を選択した。在職年数が長いほうが支払う退職金も多くなった。せめてもの償いだった。
しかし何が幸いするかわからない。民事再生法の適用が話題になり、一部の消費者が熱烈なファンとして登場したのである。彼らは「何枚買えば、池内タオルを救えますか?」と池内に問い合わせたり、「がんばれ池内タオル」なるサイトを作って応援した。熱狂的なファンが、金融機関などにメールを送り、支援を嘆願したりした。熱烈なファン、熱烈な顧客に支えられ、2007年3月20日、再生手続きを無事終了した。
 2008年2月、池内タオルは新たな一歩を踏み出している。池内タオルが持つコンセプトの将来性への期待から、ファンドによる出資を得ることができたのである。事業規模はここ4年間で40倍にも拡大している。今後6年間は拡大幅を抑えて10倍を目指し、また株式上場も近い将来に見据えている。
 事業拡大や上場など、池内タオルが目指す場所すぐ手の届きそうなところにあるようにも感じる。しかしハードルは高いようだ。百貨店や専門店のタオル売り場や、インターネット通販での購入者口コミを見ると、自家用購入だけでなくギフト用購入の顧客が少なからず居る。池内タオルの事業規模が拡大したとは言え、消費者の購買傾向が大きく変わったとまでは言えない。消費者の環境配慮への関心度の問題なのか、それとも高価格なハイエンド商品によるものなのかはまだわからない。いずれにせよ池内タオルが目指す「自家用タオルを買ったら、環境にも配慮していた」という時期を迎えるには、挑戦はまだまだ続きそうである。

【参考資料】

図 6 企業数・織機台数・生産・輸出入の推移 出所:四国タオル工業組合

図 7 ISO9001/ISO14001登録証 出所:池内タオルHP

図 8 SKAL認証 出所:池内タオルHP

図 9 KRAV認証 出所:池内タオルHP

図 10 BIO-INSPECTA認証 出所:池内タオルHP

<脚注>はすべて省略してあります。