島村恒俊オーナー、二回目のインタビュー(ずいぶん打ち解けてくださいました)

人間、最初に会うときと二回目とでは、打ち解けた感じが大いに変わってくる。昨日(8月27日)は、しまむらの恒俊オーナーに、「小川町経営風土記」連載のために、追加取材をお願いすることになった。午前中に、吉見町のご自宅を再訪した。前回は東松山から、今度は、高崎線経由で鴻巣からタクシーで行ってみた。


「小川町物語」の連載は、しまむら創業のころの原稿が、第3回目まで完成している。第4回目(昭和40年ごろ)「東松山2号店出店」前後のことをお伺いするためである。第一回のインタビューの後、イタモト洋品店(島田茂氏)、廣瀬元部長、後藤専務さんなどとの取材があったので、事実関係と内容の整合性をとるためでもあった。そのときの話は、連載第4回(10月15日号)と第8から10回目(来年春)で紹介する。ここでは省略する。
 今回のインタビューは、10時半から午後2時ごろまでに及んだ。お昼は、東松山のうなぎや「坂本や」で、島村オーナーとお食事をご一緒することになった。80歳をすぎているオーナーは、まず茶碗蒸しに、つぎにうな重を瞬く間に食して、デザートまで、わたしとほぼ同じスピードで食事を終えた。わたしもかなり早食いであるが、大正生まれで軍隊生活経験者がそうであるように(わが親父も!)、軍隊式のスピーディーな食事である。
 おどろいたことがふたつあった。まず、島村オーナーは、82歳のいまでも、ご自分でクラウンを運転していること。もみじマークもつけていない。飛ばしやで、完璧な運転である。吉見町の大沼から東松山の駅までは、帰りを送っていただいた。タクシーはもったいないので使わないそうだ。
 二番目は、40代のころからの健康管理についてである。お酒はほとんどお飲みにならない。若いころは飲んだらしいが、父親の喜一氏にお酒で叱られたことがあったらしく、ほどほどに「たしなむ」くらいの量らしい。藤原会長はたくさん飲むと伺ったので、対照的な感じではある。
 40代から毎朝起床は4時、就寝は原則9時。仕事をしていたときは、やむおうえなく10時~12時はあったが、原則は4時起きのため、就寝は9時までだそうだ。3時50分!に起きて、約一時間から、場合によっては2時間、ちかくの川の土手を駆け足するか、怪我をしてからは、散歩するようにしている。もちろん健康のためである。驚愕は、腕立て伏せを40回、腹筋を60回できるのである。82歳にして、「おなかがでていないでしょう!」とちょっとご自慢気ではあった。
 運動のことになると、こにこしになる。この辺が、二回目のインタビューで、前回とはおおいに変化した点である。あとは、ご両親、ご家族との関係も、包み隠さず話していただいた。プレイバシーに触れない程度に、連載では紹介していきたい。
 なお、帰り際に、東松山の二号店(約30坪、のちに駅前に移転)の跡地を、オーナーご本人に案内していただいた。いまは、整骨院に代わっていた。その当時、1千万円の融資をしてくれた「武蔵野銀行」が交差点の反対側にあった。
 「小川信用銀行が、メインバンクだったけど、よくまとまった金を貸してくれたよね」と感慨深げだった。