洞戸村滞在日記(4): 静止画のような風景(8月12日夜半の記録)

 一ヶ月間借りてもらったアパートは、村役場裏の高台にある。2階の角部屋で東向きなので、明け方に朝日が進入してくる。はじめは5時半に目が覚めてしまった。川沿いにできた村なので、案外と家がたて込んでいる。河原を見通すことはできない。それでも、川向こうの黒い森と林は、間近に望むことができます。


駐車場をはさんで目の前がキウイ畑である。産毛が生えたような緑色の丸い実がたわわに実って、収穫までは間近とみえる。キウイは嫌いではないが、果実を見ただけで酸っぱく感じて涎が出てくる。
 夕方はひとりで11キロ走ってきた。朝方の豪雨で、わたしのほうが早朝ジョギングをサボったからである。桑原さんは大雨にも関わらず、役場前まで来た。後でそう聞いた。そんなわけで、一昨日と同じコース(洞戸~美濃市方面)を、今日はひとりで走った。洞戸の気候に、やっと身体が慣れてきた。
 ここに来てあることに気がついた。それは、風景が動かないである。いま窓から夕方の景色を眺めているが、青い空と森の緑をきれいに配置した静止画を見ている状態である。小さな鳥や虫がときどき目の前をよぎるが、それ以外は畑と植物でこれらは動かない。
 都会には、たくさんの人がいる。都会の人間はじっと止まっていることがない。それ自体が動画である。ここではひとの数が少ないので、動画的な要素がまばらということにな不思議な感覚である。鳥や虫や魚は動いているのに、せわしなく感じない。どことなくのんびりと自然だからだろうか?
 そんなわけで、都会に住んでいると、いつも動画を見ていることに気がついた。これが精神的な疲労の原因だったのかと納得したものである。