洞戸村滞在日記(3):旧洞戸ショッピングセンターの前で(12日作成)

「高賀の森水」の生みの親、船戸行雄先生は、平成14年1月1日に不慮の事故で逝去されました。岐阜県会議員(通算8期)や岐阜県森林組合長を歴任され、岐阜県と洞戸村のために大いに貢献された方です。とくに、亡くなられる前の5年間は、洞戸の水を全国的な商品にするために奮闘されました。


わたしが洞戸村に長期滞在しているのは、実は洞戸村から湧き出ている水が縁になっています。高賀の森水をマーケティング面で助けるために、船戸先生と洞戸村について、少し長めの物語を残していくことが任務です。洞戸村の歴史(村史、上・下)、武儀郡近辺の森林事業(山師達の大きな洞話)、板取川・洞戸観光ヤナや奥長良川名水(株)の成り立ちなど、村在住で船戸先生ゆかりの人たちにインタビューを続けています。
 7日と昨日(11日)は、「山の番頭さん」と呼ばれている船戸幸雄さんに、2度にわたって取材をさせていただきました。「船戸林業」で船戸先生の森林事業を支えた金庫番です。同時に、船戸先生の実娘、教子(のりこ)さんに、船戸先生の父親としての姿とお母様(美登里さん)との馴れ初めの話などを伺いました。
 一昨年、先生が亡くなる直前に、わたしは船戸先生と東京・青山で加藤とき子さんのお姉さんが経営している「ロシア料理店」で一度だけお会いしています。そのときの印象と、これまで皆さんから断片的に聞いていた人物像が、教子さんのお話で確認できました。わたしが想像していた通りの方だったようです。実父(小川久)に似ていたみたいです。14日には、お盆でご兄弟が揃うそうです。ふたりの息子さんから直に話を聞けることを楽しみにしています。
 船戸先生のお住まいは、村役場から2キロほど離れた大野部落にあります。現在は、山の番頭(船戸幸雄)さんが、午前中に残務整理に寄るだけだそうです。教子さんに、「先生が寝ていた部屋に泊めてください」と冗談で頼んでみたら、本当に準備してくださっているようです。どうなることやら。思いつきでいつも周囲に迷惑をかけています。そんなところは、もしかすると船戸先生も同じだったのかもしれません。
  *  *  *
 法政大学が縁とはいえ、桑原和男さんには毎朝一緒に走ってもらっています。村の人には、お世話になりっぱなしです。少しはお返しをしなければと思っています。そんなわけで、昨日と今日は、道路脇で地元特産品の商売を始めた「森づくり塾」(美濃市)の塩田昌弘君たちにアドバイスをしてあげました。塩田君は、桑原製材の手伝いをしながら、この夏を洞戸村で過ごしている学生さんです。将来の目標は、ログハウスビルダーになることだそうです。
 桑原さんの発案で、「旧洞戸ショッピングセンター」の跡地を借りて、洞戸の特産品を販売するため、露店のアンテナショップを作っている途中です。建物は使えるそうですが、屋内を使うと光熱費など維持費がかさむので、とりあえずは軒先を借りて露店アンテナショップとして利用してみたい。最初の日に、キウイマラソンのコースを走りながら、桑原さんから聞いた「山の駅 洞戸市」計画でした。昨晩も10時頃まで、山師の皆さん(元秘書の和田さん、桑原さん、元村会議長の山内さん)と食事をしながら飲んでいました。洞戸の人たちは、村の名前の通りに洞話が多く、話が暴発気味です。
 雨上がりの午後は、外へ取材に出かけました。昼過ぎに、板取温泉に向かう国道256号線沿いにある「旧洞戸SC」の前を通りかかりました。大野部落の船戸家からの帰り道です。「山の駅」は屋根と看板が完成していましたので、車を駐車場に寄せて様子をうかがってみました。塩田君と新宮領(米次)君が、有機栽培の枝豆と三谷学園(美濃市の特別養護老人ホーム)のひとたちが焼いた炭を仮店舗に並べて売ろうとしています。
 村役場前の国道256号線は、夏の期間には一日2千台の車が通る道です。「高賀の森水」を汲みにくるひと(年間20万人)、板取川に水遊びに来る人、観光ヤナに鮎を食べに来るひと(年間6万5千人)など、さまざまです。このひとたちを地元産品のお客さんにして呼び込みたい、というのが桑原さんたちの目論見です。
 塩田君は、これまで学んだ森や木に関する加工技術を活用して、ショッピングセンター横に天然木で組んだログハウス風の仮店舗を完成させたわけです。問題は、商品を並べただけでは売れないということを彼が理解できていないことです。商売をやったことがないので当然ですが。
 取材の途中で寄ったついでに、「枝豆を縦に陳列してみたら」とアドバイスしてみました。国道を走る車から、有機栽培の枝豆を販売しているのが見えないからです。販売用の檜の板に、枝豆を横に寝かせて陳列していました。「200円」と値段を書いた札が、ドライバーからは見えません。そのことを指摘してわけです。
 高賀神社の取材で帰ってきた夕方、桑原さんに会いたかったので、仮店舗に立ち寄ってみたのでしたました。結果を知りたかったこともあります。結論から言えば、枝豆が2束売れたようでした。3つあった大きな炭の袋も一袋は売れていました。
 「う~ん、びっくりしました。買ってくれた人が、『販売しているものがわかったから』って話していたので・・・」(塩田君)
 森や林を維持する技術だけでなく、商売の基本を教えてあげる人も、彼らには必要なようです。わたしも、ちょっとは役に立ったようです。