タックシールを貼った年賀状を郵便局の窓口に置いてきた。一時期は500枚近くあったが、絞って400枚に抑えている。仕事関係で来ている賀状には返信しない。現役生に対しては、卒業後継続した賀状が来たら返すようにしている。長年のルールだ。
401枚の投函に対して、喪中のはがきが約30枚。だいたい8%の比率は、このところ一定している。大往生で最高齢は98歳。いちばん若くて亡くなっているのは45歳。40代での逝去はとても痛ましい気がする。幼児死亡率は低下しているが、一昨年は孫を失った家族もいた。これも返す言葉がない。
全員が年齢を書いているわけではない。大往生を遂げた場合を除いて、プライバシーの問題があるので、死因は書いていない。事情があって年齢を書かない場合もあるのだろう。亡くなった人の平均年齢は計算していないが、83歳~84歳くらいではないかと思う。日本人の平均年齢のようだ。
若い人に聞くと、年賀状を出さないひとが増えた。同年代でも、一時期はネットで年賀状を送ってくるひとが増えた。これは、次第に淘汰されている。少なくとも、わたしのところに届くは年賀状は、99%がはがきに戻っている。例外的に、電子メールに添付して、元旦に届くのがある。これも、三人だけになった。名前が特定できるくらいだ。
それにしても、12月26日に、年越しの作業がすべて完了していることは驚きだ。そんなに暇なわけでもなかったが、気が付いてみれば、庭も垣根も年賀状も室内の清掃も、原稿も年内にすべて終えていた。
今年の成果は、原稿の締め切りをほとんど守れたことだろう。唯一の例外が、『新潮45』の「ローソンがセブンイレブンを超える日」だった。これだけは、慎重にタイミングを見計らっていたので、10月の予定が12月に延びた。いや、編集の吉澤さんに、締め切りを延ばしてもらったのだった。
来年早々に、新潮45にはふたつの原稿を準備している。そして、単行本の出版にこぎつける。林まやさんの翻訳と日本実業出版からの価格の本も、来年早々には刊行できるだろう。