単独店売上高日本一、“素性のわかる豆腐屋”になるまで: とうふ工房わたなべ@都幾川村(後編)

「とうふ工房わたなべ@都幾川村」の続きである。先週の取材後に、上海に出張していた。後編を書くのが遅くなってしまった。なお、この取材をきっかけに、今週末には小川町の商店主さんたちに再度取材をすることになった。関連取材がどんどん広がっていく。


<工場を改造して直売店舗を作る>
 店売りをはじめてみると、チラシと口コミの効果で来店客が急に増えてきた。国産大豆でとうふを作っていることや、青豆や黒豆の豆腐が珍しかったこともあったのだろう。
 来店客が増えてきたところで、問題がふたつ持ち上がった。ひとつは、駐車場の問題である。もともと工場を改造した豆腐店である。車で来店する客がほとんどだから、駐車する余分なスペースはない。狭い駐車場で、車同士の接触事故がしばしば起こった。警備員を雇うと、一日に1万2500円かかる。もうひとつは、待ち行列を効率良くさばくために、POSレジを導入する必要がでてきたことである。ソフト込みでレジ一台が100万円もした。
 商工会が斡旋してくれた指導員のアドバイスもあって、思い切ってPOSレジを購入した。安全確保のために、警備員も置くことにした。将来への投資というよりは、必要に迫られての決断だった。
 店売りをはじめて3年目で、年商が1億円を突破した。卸売りが少しは残っていたが、新規は開拓せずに、既存店への納品だけに限定することにした。この時点で売上のほとんどが小売になった。当然である。地元の食品スーパーへは、小売価格の20~30%で納品する。ところが、同じ商品を店売りにすると、スーパーの販売価格にさらに20%は上乗せできる。同じ商品でも、直売のほうが50%ほど利幅は大きい。国産大豆を使った豆腐を欲しがるスーパーもあったが、いまだにすべて断っている。
 「店売りと卸売りで二重価格になるのがいやなんです」(渡辺さん)

 <おいしい豆腐の作り方> 
 ふつうはここで話は終わるのだが、渡辺さんのすごいところは、とうふの製造工程にも手を入れたことである。渡辺さんは、父親の商売を否定することでいまの形を作ってきた。
 「父親の時代は、豆腐を作る技術を機械屋に教わった。大量生産で効率だけを追求していては、美味しい豆腐は作れない」(渡辺さん)
他の業界であれば、息子を仲間のところに修業に出して、商品の製造方法や販売技術を教えてもらうようにする。しかし、スーパーに納品するために作る豆腐(屋)には、手作りの技術は必要がない。結果として、安価な輸入大豆を使って、効率よく大量に豆腐が作れる機械(屋)に、豆腐業界の技術開発を依存することになる。それでは、美味しい豆腐を作ることにはならない。製品と技術の差別化ができないから、同業間での熾烈な価格競争に追い込まれる。
 渡辺さんは、独学で豆腐作りを学んだ。父親や出入りの機械屋に学ぶことは、最初から考えなかった。むしろ、美味しい豆腐を作る技術をもっている同業者に教えを請うた。熟慮の結果、店売りを始めて売上が伸びてきた時点で、とうふの製造機械をすべて入れ替えることにした。国産の大豆を使って美味しくて「素性のわかる豆腐」を作るには、製造工程にもそれなりの手作り感覚がほしかった。気温や水、原材料の特性によって、豆腐の味は微妙に変化する。大量生産で標準品だけを作っていたのでは、そうした変化には対応できない。材料のよさを活かした作り方があるはず。そう考えた。
 「単独店で売上3億5千万円は日本一ですが、味の点ではやっと100本の指に入るくらいかな。自分の仕事はまだまだ雑だと思う。次の目標は、おいしさで日本一になることかな」(渡辺さん)

 <国産大豆の調達>
 事業転換から5年目で、店売りが2億円を超えた。鳩山町や江南町(現在は熊谷市の一部)の農家からの直接購入では、大豆の供給が追いつかなくなった。それと、農業生産であるから、作柄はお天気だのみになる。年によっては、予定数量を確保できないこともある。一箇所に集中するとリスクが大きいので、調達を分散するようにした。
 現在は、宮城農協と埼玉(熊谷農協と秩父農協)から、全農経由で国産大豆を仕入れている。ただし、農協を経由すると問屋仲介の仕入になる。播種契約なので、最低ロットサイズが大きい。最低が20トン単位である。問屋経由で、埼玉40トン、宮城20トンの合計60トン。金子さんの有機農家グループなど、県内農家との直接契約が50トンである。
 小川町の有機農業生産者グループからは、大豆を10トンほど購入している。これらは、完全な有機栽培の大豆である。加工して販売する場合も、「霜里ブランド」という別ブランド名で販売している。「霜里納豆」は豆の粒が大きく、つやつやこりこりしている。すごくおいしい。
 金子さんたちの有機大豆は、栽培品種も異なっている。金子美登さんが、「青山在来」という古くからこの地方で栽培されていた在来種を復活させたものである。「青山」は小川町の一地区の地名である。それまでは有機栽培に懐疑的だった地元の生産者リーダーが、在来種の大豆栽培に取り組んだものである。2003年に、金子さんに相談にきたのは、75歳の地区長、安藤郁夫さんだった。
 「安藤さんは影響力が大きい方だったので、地元の生産者が集団で有機栽培に取り組む力になりました。小麦や米との輪作ですが、いまは大豆だけで7ヘクタールになっています」(金子さん)
 都幾川村を訪問するときには、青山在来種の大豆を原料にした「霜里とうふ」(絹ごし豆腐)をお勧めしたい。
 「これから夏場に入って、冷やっこで食べるとおいしいですよ」(店主の渡辺さん)

 <国産大豆が輸入大豆に置き換わるか?>
 有機栽培の大豆は、通常の国産大豆に比べて価格が約二倍になる。金子さんたちの有機栽培の大豆は、キログラム当たり500円前後。最高級の有機大豆でとうふを作ると、一丁500円でないと、コストがカバーできない。ちなみに、スーパーで販売されている豆腐は一丁120円前後である。特売時には、価格が100円を切ることもある。
 これに対して、国産の契約栽培(非有機)の大豆は、キログラム当たり250~300円である。全農経由のもので補助金がつくと、キロあたり200円にまで下がる。昨年までは、輸入大豆の相場はキロ当たり40~80円で推移していた。相場はさらに上がる気配がある。
 新聞を見ても(例えば、本日(5月22日)の日経地方版)、安心・安全が理由で、輸入物から国産に農産物の需要がシフトしてきている。国産大豆だけでなく、おそらくは、小麦にしても米にしても、これだけ輸入農産物の価格が上昇すると、国内農産物に価格競争力が出てくる。
 小川町の生産者グループのように、集落単位で土地を集約すれば、土地生産性は2~3倍は上げられることがわかってきている。国産の有機栽培大豆のように、それに価格プレミアムがつけば、国産でも輸入物と十分に対抗できるチャンスが生まれてきた。ただし、渡辺さんのように、2~3倍の価格差で国産の農産物を購入できる、小売の業態が買い支えてくれることが条件になる。

 <新しい商農提携のモデル>
 「都幾川・小川モデル」が成り立つには、商業者の側で農家の再生産を保証してあげることが絶対条件になる。2003年に、小川町の生産者グループと直接契約をはじめたとき、渡辺さんが金子たちと交わした取引条件は3つであった。全量を買い取ること、現金で取引すること、再生産コストに見合う価格を設定すること。
 「誰かが買わないと、農家さんはその翌年から、わたしたちが必要とする大豆を作ってくれなくなるのです」(渡辺さん)
 とうふ工房わたなべが商売を続けていくには、素性がわかる国産の大豆を用いることが必須である。国産大豆でも、再生産価格がキログラム当たり250~300円に下がってきている。しかしそれでも、価格設定は、もめん豆腐350円、絹ごし豆腐280円になってしまう。今度は、この価格で成り立つビジネスモデルを完成させなければならない。国内農業を守れるかどうかは、商業部門のイノベーションにかかっている。
 渡辺さんと金子さんグループが取り組んでいる「都幾川・小川モデル」は、地域農業と地域商業が生み出した新しい提携の形である。ディスカウント志向とセルフサービス一色だった、近代商業の歴史の中では、異型の発展形である。新しい商農連携のモデルになれるかどうか?期待は大きい。
 地域の農家との約束を守ることを使命感に、とうふ作りの仕事に励む渡辺さんに、「次なる課題は?」とたずねてみた。
 「よりおいしい豆腐を作ること。当店に来ていただいた方に、商品を体験してもらう場所を用意することです」
 お客さんからは、とうふの料理教室やレストランを開いて欲しいという要望がある。