2002年夏から前後して5度、中国の現地日系企業(上海、北京、大連、青島)を訪問した結論である。事実上国境が消滅しつつある東アジアの消費市場を、仮に「漢字文化経済圏」と呼ぶことにする。
通説では、大陸進出で先行してきた欧米大手企業が中国市場で勝ち組になると考えられている。欧米流のスピード経営が、中国人の若手経営者を惹きつけ、欧米型のマーケティングとマネジメントシステムが大陸を席巻し、アジアの標準型になると信じられている。
ところが、この数年で大陸へ進出した日本の大手メーカーと流通サービス業の躍進を見ると、日本的なマネジメントが大陸で敗北を喫するという危惧は誤りであることがわかる。資生堂の化粧品(オプレ)、サントリーのビール(三得利麦酒)、キリンビバレッジの飲料(午後の紅茶、生茶)、伊勢丹の現地事業(上海梅鎮龍伊勢丹、天津伊勢丹)、ファーストリテイリングのカジュアル衣料店(優衣庫)、アイリスオーヤマの生活雑貨店(大連アイリス)、INAXの直営店舗。ホンダとトヨタが、フォルクスワーゲンとGMを追い越すことは自明である。松下電器、キャノンしかり。中国人の消費感覚は正直である。品質感に裏打ちされた商品力が圧倒的にちがうからである。
日本企業の健闘は、製造・小売の分野にとどまらない。小学館の”OGGY”(発行部数5万部)は、いまや上海市に住む若い女性にもっとも人気のあるファッション誌である。日本的な生活文化が、欧米人のライフスタイルより中国人にとって受け入れが容易だからである。メディアを通して日中の情報格差が縮まっている。街中を歩いているとたしかに”ローマ字”(英語)は目立つが、郊外の製造工場と流通現場(バックヤード)に入ってみれば、現場労働者は”漢字”の世界に浸っている。コンピュータの端末スクリーンには、英語ではなく漢字の世界が広がっている。
物理的にも、日中間の国境は事実上なくなっている。たとえば、東京や福岡から見ると、北京や大連や上海は、いまや日帰り経済圏である。偏西風に乗ればわずか3時間、物の流れでいえば、上海と福岡の間は一晩あれば高速船で荷物が運べるのである。
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逆説の根拠をまとめてみる。ほぼすべての消費財産業において、欧米勢と比較して日本企業が中国消費者市場で優位に立つことができる。筆者がそのように主張する根拠は、以下の6点である。
(1)「漢字文化圏」
日中両国は文化的に共通の言語基盤(漢字文化)を担っている。消費生活行動は、「文化的な借用」(相手の文化を敬う意識)の上に成り立っている。だから、お互いの文化に対する親近感と尊敬の念は、経済行為に先行する基礎条件である。日本文化はいまやアジアの国で優勢である。また、華人(本土と台湾)は日本的な生活スタイルや嗜好(テースト)を「クール」(かっこいい)だと考えている。日本発の商品やブランドは浸透しやすい。
(2)「日帰り経済圏」
東シナ海と日本海をはさんで、日中韓では事実上、国境が消えつつある。東京(福岡)と上海、北京とソウルは「日帰り経済圏」を構成している。移動の際に、時差ぼけに悩む必要がない。会議や電話連絡で時間調整をする余分な労力もいらない。欧米とのビジネスでは、物流とコミュニケーション面で見えないコスト(例えば、電話前の待機コスト)がかかっている。
(3)「中国は日本企業のテスト市場」
日本のメーカーや流通業は、国内で規制にがんじがらめに縛られてビジネスを展開してきた。政府規制だけでなく、競合からの圧力や中間流通業者に気兼ねをして商売をしなければならなかった。中国市場は、新たに事業システムを作るという点で「禁じ手」がない。日本ではできなかったことが実験できる。たとえば、メーカー(卸)が直営店を出すとか、普及品メーカーがプレミアム市場を相手にするとかである。中国で成功したビジネスモデルは、いずれ日本に還流してくる。これが日本のメーカー小売りの関係性を根本から変えてしまう可能性さえある。
(4)「優れた技術開発力と商品投入サイクル」
中国市場で、日本製品は高いプレミアム価値を獲得している。その理由は二つである。高度な技術開発力を背景にした品質感(高い知覚品質)。そして、ファストサイクルでの商品投入力である。これに、多品種少量生産・流通を可能にするシステムを持っている強みが加わる。欧米流はスピード経営とは言うが、速いのはマネジメントサイクル一般であって、商品開発や新製品の素早い投入となると日本企業に優位性がある。
(5)「標準プログラムの同時直接移転」
(1)と(2)から、日本で開発した商品を、ほぼそのまま中国市場に持ち込むことができる。日中間の同時商品発売も可能である。例えば、店舗デザイン、商品パッケージ、広告コピーも手直しがほとんど必要とされない。商品を消費する文化と生活上の文脈が同じなので、わずらわしい翻訳も不要である。すなわち、転写コストは最小ですむ。日本企業は、中国消費市場を膝元においてはじめて、グローバル企業としてのスケールメリットを享受できる条件を手に入れることができた。意外や意外、このことを指摘している学者はあまりいない。
(6)「日本流ビジネスがわかる中国人経営者」
日本流のビジネスを理解できる中国人留学生が、北京や上海へ進出した日本企業のなかで働いている。彼らはみな礼儀正しく意欲あふれる若者達である。15年前、中曽根内閣時代の「留学生10万人計画」で育った留学生たちである。50万人とも言われる中国留学生OB・OGは、いま本国に帰って日本企業の中国駐在事務所で、あるいは、東京や大阪の海外事業部で活躍している。